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近代革命の社会力学(連載第67回)

2020-02-03 | 〆近代革命の社会力学

九 日本近代化革命:明治維新

(6)明治政府の革命的政策展開
 明治政府が単なる「改革」政権ではなく、「革命」政権であったことは、その政策展開の急進性に現れている。そもそも、明治政府にとっての最初かつ最大の課題は、過去数百年にわたり連綿と続いてきた武家支配の軍事的封建制を根本的に解体することであった。
 豊臣政権とそれを引き継いだ江戸幕府は、それ以前の領主支配的な封建制に重要な修正を加えて、中央権力による統制を強化し、中央集権制への橋渡しはしたが、封建制のバックボーンを根底から解体することには進まなかった。これに対して、明治政府はそうした岩盤的な古い社会組織そのものの解体を目指した。
 その第一歩が廃藩置県であった。これは単純な地方政治制度の改革にとどまらず、従来の領主支配制を解体し、中央集権的な地方行政制度へ転換することを意味していた。そのために、多くは戦国時代の封建的軍閥に沿革を持つ旧藩主層を罷免・排除し、官僚的な県知事に置き換えるとともに、軍閥の象徴たる城塞の破却を命じた。
 廃城に関しては、つとに江戸幕府による一国一城令に基づき、戦国時代を象徴する無数の城塞の大半は破却されていたが、明治政府は一国一城も許さず、原則廃城を目指したため、全国の城塞の大半がこの時期に破却された。こうした徹底策には旧藩主層の反乱基地となりかねない城塞を破壊するという革命防衛的な目的もあったろうが、西欧の近代革命でも例を見ない廃城政策は、明治政府が軍事的封建制の解体に並々ならぬ決意で臨んでいたことの証でもあった。
 さらに、近代的中央集権国家の物質的基盤となる貨幣による租税制度の導入も急務であった。明治維新以前の日本近世の税制は米による物納という旧式のものであり、これが農本的な封建制の物理的基盤であり、生命線を成していたから、ここにもメスを入れる必要があった。
 それが地租改正であるが、これも単なる税制改正を越えた革命的な変革を惹起した。まず耕作者ではなく、地券の発行により法的に認証された土地所有者を納税義務者としたため、ここに近代的所有権の観念が初めて刻印されることとなった。結果として、農民付きで領地を有する封建領主ではなく、土地所有権を有する地主が新たな階級として形成された。日本初のブルジョワ階級の誕生である。
 明治政府にとって、もう一つの課題は西欧的な資本主義経済体制の確立である。そのためには、従来、職人階級によって支えられてきた徒弟制による封建的手工業体制を転換し、資本に基づく大工業を興す必要があった。といっても、民間には原初的な資本を蓄積した資本家は大商人層を含めて皆無であったから、政府自身が国策として資本主義を推進する必要があった。
 そうした殖産興業政策の具現化として、多数の官営工場が設立された。これは、民間資本家を中心に発展した西欧的な資本主義とは異なり、国家自身が総資本家として経済を主導する国家資本主義の一形態である。しかし、明治の官営工場制度は後のロシア革命で見られた社会主義的な志向性を持つ国有企業とは異なり、いずれは民間払い下げを想定した過渡的な官営企業であった。
 そのため、後年、民営化の過程で、政府要人とのコネクションをもとに資本蓄積を図る政商と呼ばれるような政治的資本家の形成を促進し、かれらの中から日本近代資本主義における最初の民間資本家が輩出し、寡占的資本企業グループとしての財閥が形成されていった。
 そうした点では、革命としての明治維新は、ブルジョワ革命ではなく、ブルジョワ階級の創出へ向けた前ブルジョワ革命という意義を担ったと言えるだろう。そうだとすると、続く第二次革命として、本格的なブルジョワ革命のうねりが起きる可能性があった。

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