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共産論(連載第42回)

2019-05-29 | 〆共産論[増訂版]

第7章 共産主義社会の実際(六):文化

(3)マス・メディアの帝国は解体される

◇メディアの多様化
 資本主義社会の言論装置として、今日マス・メディアの支配力を無視することはできないが、このことはインターネット時代にあっても―支配の形態や影響力に多少の変化はあれ―本質的に変わりない。
 マス・メディアはそれ自身が情報=商品を販売する商業資本であると同時に、一般商品の広告も受託するというように、商品価値の文化体系の担い手でもあり、また文学・芸術の商業的スポンサーとして市場的検閲の一端をも掌握している。まさに、マス・メディアは文化の帝国である。
 共産主義社会ではこのマス・メディアの帝国支配に終止符が打たれる。といっても、マス・メディアが権力的統制下に置かれてしまうからではなく、その運営及び内容の両面で多様化されるからである。
 共産主義社会のマス・メディアは、過度集中排除の観点から、少なくとも新聞とテレビは完全に分離されたうえで、「メディア協同組合」のような新たな組織形態の下、非商業的に運営されるようになる。これによって、今日、テレビとインターネットに押され気味の新聞も、販売部数に拘泥せず自由に発行できるようになるため、多種多様な新しい新聞の創刊を見ることができるに違いない。
 またテレビの世界でも、スポンサー資本の圧力を受けた視聴率至上の商業主義路線が廃される結果、視聴率に拘泥せず社会的な問題を掘り下げる硬派番組も自由に制作できる可能性が増し、かえって番組の多様化が進展することが予測される。
 ところで、かつては放送メディアの元祖として重要な媒体であったラジオの斜陽化が著しいが、共産主義社会ではメディア全般が商業主義から解放される結果、案外ラジオという古典的メディアが再発見され、蘇生するかもしれない。

◇誰もが記者に
 このようにしてマス・メディアの帝国支配が解体されることで、社会のコミュニケーションのあり方全般が変革されるであろう。すなわち画一的なマス・コミュニケーションはその比重を低下させ、より多様で直接的なコミュニケーションの世界が開かれる。これは旧式の伝承や口コミに依存した情報後進的な世界とも異なり、誰もが作家・芸術家になれるという事態に対応するものとしての、誰もが記者になれる世界の到来である。
 すでにインターネットの世界では一般市民が時にマス・メディアよりも早い写真や動画の配信を含め、一種の記者活動を展開しているように、共産主義社会ではこうした「市民記者」的な活動がよりいっそう盛んになるであろうし、そのような活動が集団化されて新しいメディアが結成される動きも活発化してくるだろう。
 その点、基礎教育課程において論理的な文章を書くことの訓練が徹底されることは(拙稿参照)、一般市民の筆力の向上を結果し、市民的記者活動の質の担保として働くことが期待される。
 このようにして、「報道の自由」というものもマス・メディアの特権ではなくなり、みんなのものとして民衆の手に渡されるのである。これも、メディア統制などとは全く正反対の、「共産主義的自由」の発露であると言えよう。(※)

※言論の自由が保障される限りメディアというものは自生的に形成されていくから、共産主義社会におけるメディアのあり方を確定的に描くことは困難であるが、一例として別連載『共産主義生活百科』の拙稿を参照されたい。

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