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共産教育論(連載第1回)

2019-05-11 | 〆共産教育論

序説

 もとより、いかなる社会も単に生産のような物質的営為の反復継続だけで維持していけるわけではなく、社会を支える担い手たる人間の育成をも不可欠とする。その点で、教育は当該社会の将来の担い手を育成し、社会を維持していくうえで不可欠の精神的営為である。
 そのため、いかなる社会も何らかの教育制度または慣習を備えている。文明を受け入れず、伝統的な生活様式を固守し続けるいわゆる未接触部族の非制度的な社会ですら、子どもを教育するための慣習的過程は備えている。それは、文明社会において文明を維持継承していくための教育課程が法令上制度化されていることを常とするのと並行的な関係にある。
 文明社会における制度的教育の中心は今日、その主義を問わず、学校制度に代表されるようになっている。学校という制度をおよそ備えない文明社会は存在しないと言ってよいであろう。教育と言えば学校を想起するのが、文明人の常識である。
 中でも、現代世界においては資本主義を基調とする社会がますます多数を占めるに至っているところ、資本主義社会における教育は、子どもが貨幣を基軸とする市場経済の担い手となるべく、貨幣収入を稼得するための職業へ結びつける制度を中核としている。
 その中心にあるのが、通常は有償で提供される学校教育制度である。もっとも、義務教育を無償とする政策が趨勢となっており、教育制度そのものは必ずしも資本主義的原理で貫かれているわけではないけれども、資本主義教育制度の最終目標が子どもを資本主義社会に適応させることにあることは言うまでもない。
 筆者が当ブログの核となる『共産論』において構想提示した共産主義社会もまた文明社会の一つの範型であるから、そこにおける教育課程は制度的に整備されるが、資本主義社会における教育制度とは自ずから異なるものとなるであろう。その概要については、『共産論』第6章にて示したところであったが、共産主義社会の全体像を示すという連載の性質上、個々の制度について詳述することはできなかった。
 そこで、その点を補充するべく、当連載は共産主義社会における教育制度のありようを集中的に論じることを目的とする。その際、当連載では既存の諸制度との具体的な比較対照を通じて、異同を浮き彫りにし、精確な理解の一助となるように心がけるつもりである。

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