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共産教育論(連載第2回)

2019-05-10 | 〆共産教育論

Ⅰ 共産教育総論

(1)共産主義と教育
 
共産主義と教育は、資本主義と教育よりも不幸な関係にある。というのも、共産主義と教育を少しでも結びつけようとすれば、歴史的に悪名高い旧ソ連やその亜流諸体制下で行なわれていた―現在も一部残存している―ような思想洗脳的イデオロギー教育が想起されてしまうからである。
 本連載のタイトルを決定するに際して、「共産主義教育論」とするかどうかで悩まされたのもそれゆえであった。しかし、このタイトルが不穏なイメージを醸し出すのも、「共産主義」という用語に塗りつけられてしまったいまだ容易に拭い去ることのできないネガティブなイメージのなせるわざである以上、これを回避することとした。
 そこで、「主義」という語を除去して「共産教育論」としたわけであるが、ここで意味するのは前回序説でも示唆したとおり、「共産主義社会における教育制度のありよう」ということに尽き、共産主義のイデオロギー教育という含意はない。その点で、旧ソ連をはじめ、「共産主義」を公称してきた諸体制、とりわけ共産党支配体制におけるイデオロギー教育とは何らの関係もない。
 これらの諸体制におけるイデオロギー教育が、共産党ないしはその亜流政党による権威主義的支配を支えるための思想教育という位置づけを持っていたことは明らかである。このような「共産主義教育」は真の意味での教育の名に値しないものであって、支配政党による宣伝活動の一環である。
 「共産教育論」として提示するのは、このような似非教育論ではなく、共産主義社会における教育とはどのようなものであり得るかという観点からの教育論である。それは現在多くの諸国で実施されているような「資本主義社会における教育」を論じることと全く並行的な関係にある。言わば「資本教育論」に対するものとしての、「共産教育論」である。
 もっとも、資本主義にせよ、共産主義にせよ、社会を成り立たせる基本原理を子どもたちに体得させることは教育の基本であるから、イデオロギー性を完全に除去することも不可能である。資本主義社会における教育は共産主義に対立する資本主義のイデオロギーから完全に自由になれないことと同様である。
 そうした前提の下、「共産教育論」の特徴を総括的に挙げるとすれば、共産主義社会=貨幣と国家という概念・制度を持たない社会の担い手たるにふさわしい知識素養及び人格を形成するための教育ということになる。すなわち、貨幣交換を行なうことなく生産・消費活動が継続され、国家という概念なくして社会運営がなされていく社会の担い手を育成するための論である。
 この簡易な総括からも、すでに具体的な教育理念をいくつか抽出することができるが、それらが本章次節以下で見ていく共産教育論の土台を成す基本理念となり、次章以下で見る教育諸制度はそれらの理念を実現するための最適な手段方法として展開されていくこととなるであろう。

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