ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

共産教育論(連載第4回)

2019-05-08 | 〆共産教育論

Ⅰ 共産教育総論

(3)知の共産化
 現代では、多くの諸国で出生に基づく身分階級制は消滅し、それに代わり学歴に基づいて社会的な立ち位置が決定される社会に移行しつつある。いわゆる学歴社会である。このような社会編制は出生時の身分でなく、成長期の「努力」に応じて社会的ステータスが決せられる「民主的」なあり方だとみなされがちである。
 しかし、前回も指摘したとおり、最終学歴を飾る高等教育課程は親の資力に依存するところが大きい限り、学歴社会の前提には、有産階級の親の下に出生したか否かという偶然性の要素が大きく横たわることは明らかである。ただ、それが外見上は「努力」により勝ち得た学歴に基づく「民主的」な知識階級制として発現するというだけのことである。
 資本主義社会において知は所有されるものであり、それは知的所有権のようなあからさまな所有権としてのみならず、子どもの教育に充分な私財を投入できる有識階級によって、学歴という非物質的な資本の形態でも集団的に所有されている。その結果、有識者と非有識者の階級格差―知識階級制―が生じる。
 しかし、高度情報社会を迎えた今日、非有識者も高度な知にアクセスすることが可能となった一方、有識階級が基盤としてきた大学制度の過剰な拡大増殖により、「大卒」学歴の価値下落―学歴インフレーション―が生じ、知識階級制は揺らいでいる。
 その点、共産主義社会における知は、社会全般によって、究極的には人類全般によって共産され、共有されるものであるから、学歴という資本形態は廃される。その結果、教育制度上も、初等教育‐(中等教育)‐高等教育といった階級的な段階制を採らないのである。とりわけ、今日世界中で高等教育の中心機関として定着している大学という制度が存在しないことは大きな特色となる。
 こうした言説から、かつて1970年代のカンボジア共産党独裁体制下で断行された知識人虐殺のような帰結を想定するなら、それは誤解である。真の共産主義社会における教育は、知識人を抹殺するのではなく、社会成員全般を知的に啓発することを目指すのである。
 その具体的な制度体系は後に述べるが、共産主義的な教育制度は義務的かつ段階を分けない一貫的な基礎教育課程と、生涯にわたる継続的または補充的教育を可能とする生涯教育とに大別される。かつ、この両課程は初等‐高等というような上下の階層関係になく、目的を異にする教育の種別にすぎない。
 従ってまた、基礎教育課程内部及び基礎教育課程と生涯教育課程の間に入学試験による選抜という関門プロセスは介在せず、誰でも、いつでも両教育課程にアクセスすることが可能となる。ただし、生涯教育課程に組み込まれた一部高度専門職教育課程には入学選抜があるが、それとて試験によるものではない。

コメント