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奴隷の世界歴史(連載第29回)

2017-11-21 | 〆奴隷の世界歴史

第三章 世界奴隷貿易の時代

世界奴隷貿易の全体像
 本章では、西欧キリスト教世界主導の大西洋奴隷貿易のみならず、それより起源も継続期間も長かったイスラーム奴隷貿易も包括して「世界奴隷貿易」と規定し、その流れを見てきたが、最後にその全体像を総括しておきたい。
 まず最も気がかりな奴隷として「輸出」された人頭数であるが、これについては、精確な台帳のような記録が残されていない以上、推測とならざるを得ず、当然にも諸説が林立する。最も調査研究が進んでいる大西洋奴隷貿易について言えば、最小で1000万人、最大で5000万人という推計がある。
 最も有力なのは中間をとって1200万人程度とする説であるが、この数字は大西洋奴隷貿易が進行していた16~19世紀の数字としては、かなり大きな値である。というのも、大西洋奴隷貿易が終息に向かった19世紀半ばでも世界人口はようやく10億人強にすぎなかったからである。
 他方、その継続期間が千年以上に及んだイスラーム奴隷貿易の場合はいっそう推計は至難であり、最小は800万人、最大で1700万人、中間は1100万人程度とする説までまさに諸説ある。その細目として、前回見たバルバリア海賊により奴隷としてオスマン・トルコに送られた白人奴隷は100万人超とされる。
 ここで大西洋奴隷貿易とイスラム奴隷貿易を比較すれば、300年程度の間に千万単位の奴隷を輸出した大西洋奴隷貿易における人身売買システムの組織性の高さと効率性が理解できる。
 さて、こうして奴隷貿易によって送り込まれた奴隷たちの中には、前にも見たように、逃亡して独自の共同体を形成する者たちもあったが、多くは奴隷として生涯を終えるか個別に解放され、奴隷制度が廃止された後は自由人となり、現地で子孫を残した。
 大西洋奴隷貿易の結果、新大陸に送られた黒人たちの子孫は、現在も南北アメリカの全域に黒人層として居住しているが、特にプランテーションの盛んだったカリブ海域では、ハイチやジャマイカをはじめ、黒人層が人口の大半を占める諸国を形成しているため、カリブ海地域は言わば「中米のアフリカ」となっている。
 これに対し、イスラーム奴隷貿易の結果、イスラーム圏に送られた奴隷たちの子孫は、現在イスラーム圏で現地のアラブ人やトルコ人などと混血・同化しているケースが多いと見られる。特にオスマン・トルコでは皇帝スルターン自身も含め、白人奴隷女性との通婚が盛んで、本来はモンドロイド系だったトルコ人を遺伝系譜的にもコーカソイド系に変化させるほどの人口触媒となった。
 もっとも、黒人奴隷は必ずしも同化しなかったようであり、結果として、現在でもアフリカ系トルコ人という一種の少数民族集団を残している。また、黒人奴隷が多く送られたイラクでも、南部のバスラを中心にアフリカ系イラク人が存在する。
 いずれにせよ、千年以上に及んだ世界奴隷貿易による「奴隷」という不幸な形での人口移動は歴史上最も大きなものであり、その結果がまさに現代世界の地域人口構成にも永続的な影響を残していることが知られるのである。

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