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奴隷の世界歴史(連載第27回)

2017-11-13 | 〆奴隷の世界歴史

第三章 世界奴隷貿易の時代

大西洋奴隷貿易の終焉
 16世紀に本格化し、18世紀に最盛期を迎えた大西洋奴隷貿易は、19世紀に入ると、急速に終焉期を迎える。その要因が何であったかについては様々な分析がなされるが、経済的な土台に関わる要因として、大西洋奴隷貿易の経済的な仕組みを成していたいわゆる三角貿易の破綻が指摘される。
 すなわち、欧州の旧大陸と西アフリカ沿岸、カリブ海地域を含む新大陸方面をつなぐ国際貿易のシステムにおいて、新大陸におけるプランテーションに投入される労働力確保のために実行されていたのが大西洋奴隷貿易であったところ、無計画な競争的奴隷徴用の結果、供給可能な奴隷数の減少により奴隷価格が高騰、さらに北米プランテーション農産物の価格下落により、奴隷貿易による利潤が急減したのであった。
 これに対しては、奴隷貿易に参入している各国間の協定で奴隷獲得数を割当制とするなどの統制貿易により克服することも可能だったであろうが、18世紀の奴隷貿易の中心的担い手であった英国で人道的観点からの奴隷制廃止運動が盛り上がったことが、奴隷貿易終焉を後押しした。
 この19世紀初頭に頂点に達した奴隷制廃止運動については、時代遡行的構成を採る本連載ではすでに前章で言及済みであるが(拙稿参照)、英国は1807年の奴隷貿易法をもってアフリカ人奴隷貿易の禁止を打ち出したことを皮切りに、自国のみならず、他国の奴隷貿易船の取り締まりも断行する強い姿勢を見せた。こうした規範的な態度を見ても、奴隷貿易の廃止が単に経済的な要因だけでは説明できないことがわかる。
 ちなみに、アメリカでも1807年の連邦法をもって奴隷貿易は禁止されていたが、奴隷制に依存した南部諸州からの需要により、「密輸」は続行されており、現在知られる限り、最後の「密輸」は1860年、アラバマ州の奴隷商人が組織した奴隷船クロティルダ号によるものと見られる。
 その数年後、内戦の代償を伴いつつ断行されたアメリカの奴隷制廃止ともども、結局、人道主義という上部構造的要因の推進力なくしては、奴隷所有者層を中心に反対も根強かった奴隷制廃止は実現しなかったであろう。その意味で、大西洋奴隷貿易の終焉は、経済的下部構造と上部構造の連関性を実証する一つの事例である。
 もっとも、大西洋奴隷貿易の終焉は決してアフリカ地域の自立を結果したのはなく、やがて西洋列強がアフリカを直接に支配下に収めるという形の帝国主義を呼び込むことになる。奴隷供給国家として奴隷貿易に加担していた西アフリカ諸王国は、それに抵抗するだけの地力を喪失していた。

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