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奴隷の世界歴史(連載第28回)

2017-11-20 | 〆奴隷の世界歴史

第三章 世界奴隷貿易の時代

イスラーム奴隷貿易:後期
 8世紀以来の歴史を持つイスラーム勢力による奴隷貿易は、西洋主導の大西洋奴隷貿易が始まった15世紀末以降、新たな段階を迎える。この後期イスラーム奴隷貿易は、前期に比べ、いくつかの点で変化する。
 まず、交易ルートの変化である。前期イスラーム奴隷貿易の交易ルートのうち、西アフリカへつながるサハラ交易ルートは16世紀、アフリカ西海岸に進出したポルトガルによって撹乱された。このルートは最終的に、16世紀末、モロッコに出現したアマジク系イスラーム王朝サアド朝による寇掠を受けて決定的に衰退した。
 それに代わって、東アフリカ沿岸ルートが中心を成すようになるが、主導勢力は変化し、16世紀に大帝国化するオスマン・トルコが台頭してきた。トルコの奴隷制度は極めて組織的なもので、その供給地は地中海沿岸からカフカース、バルカン、東欧にも及んだが、東アフリカからは黒人奴隷を徴用した。
 トルコの奴隷制度上、主にキリスト教徒系の白人奴隷は男子なら兵士、女子は宮廷のハレム職員やスルターン側女・妃、あるいは性奴隷とされ、黒人男子の場合は家内奴隷やプランテーション労働者、宦官とされることが多かった。
 奴隷供給勢力/国として協力していたのは、地中海沿岸ではバルバリア海賊、ロシア・ウクライナ方面ではモンゴル帝国の血を引くクリミア・ハン国、東アフリカではキリスト教古王国であるエチオピアであったが、中でもバルバリア海賊は在野勢力ながら強力であった。
 彼らは半自治的な北アフリカ沿岸都市に拠点を置き、地中海沿岸から時に英国やアイスランドにまで及ぶ広い地域のキリスト教徒を奴隷狩りによりオスマン帝国に送り込む役割を果たした。その活動時期はちょうど大西洋奴隷貿易の時期と重なり、欧米で奴隷貿易禁止の動きが出てきた19世紀初頭、アメリカとの二度の戦争で衰退するまで勢力を保持した。 
 ところで、東アフリカの奴隷貿易は17世紀半ば以降、アラビア半島南部に台頭したオマーンによって支配されるようになる。オマーンは16世紀初頭以来、支配を受けてきたポルトガルを駆逐し独立して以来、インド洋まで勢力圏とする海上帝国化する。特に19世紀前半には東アフリカのザンジバルに遷都して全盛期を迎えた。
 後期イスラーム奴隷貿易は、19世紀に大西洋奴隷貿易が終息を迎えてもなお継続されていくが、19世紀後半以降、主導していたトルコ、オマーン両大国の衰退に伴ってようやく終焉へ向かう。「瀕死の病人」となったオスマン・トルコ及びオマーンより分離独立後、英国の保護領化されたザンジバルは、ともにアフリカ奴隷貿易を禁止する1890年ブリュッセル会議条約に加盟している。
 とはいえ、イスラーム圏全体では、奴隷廃止運動が内発的に隆起することはなく、奴隷慣習が20世紀、一部は21世紀まで残存ないしは復刻する形で継続中であることは、第一章でも見たとおりである。

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