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10月革命100周年

2017-11-07 | 時評

今年2017年は、ロシア革命100周年に当たる。中でも今日は、二段階にわたった革命の第二次革命―10月(新暦11月)革命―の日である。しかし、ほとんど忘れられている。

ロシアでも、旧ソ連時代からソ連解体後の2005年までは祝日だった11月7日の革命記念日を廃し、代わりに革命で打倒された帝政ロシア・ロマノフ王朝樹立のきっかけとなった1612年に遡るモスクワ占領ポーランド軍を排撃した11月4日を国民団結日に定めた。

これは単なる祝日の形式的な変更にとどまらず、10月革命を事実上否定し、帝政ロシアの歴史的意義を再発見するようなロシア・ナショナリズムの潮流を反映した政策的な変更である。

ナショナリスト・ロシアを警戒する向きも多いが、反10月革命的な歴史観は、ロシアに限らず、世界的にも主流的であろう。たしかに10月革命を旧ソ連が公式的にしていたように手放しで賛美することはもはやできないが、かといって何事もなかったふりをして歴史から抹消することもできない。

100周年を機にロシア革命の功罪を振り返り、今後の100年を見通すよすがとすべきであろう。とはいえ、二段階にわたる複雑な経緯をたどったロシア革命を整理するのは容易でなく、それだけで一冊の大部な書になりそうであるが、ごくざっくり整理するとすれば━

ロマノフ朝に象徴されたような専制君主制が、歴史的に葬られる契機となった。ロシアでも君主の存在しない共和制自体は、ほぼ恒久的に確立されている。君主制を残す諸国でも、君主は象徴的な存在として、実態は共和制に接近していった。

しかし、最大の意義は、労働者が初めて社会の主役に上ったことである。フランス革命からロシア革命第一段階の2月(新暦3月)革命までのブルジョワ民主革命では、二級的な地位しか与えられなかった労働者―広くは民衆―に光が当たる契機となったのだ。

その結果、10月革命を敵視した資本主義諸国においても、労働者階級の利害を代表する政党が結成され、政治参加することが通常となった。労働者階級政党が結成されなかったアメリカでさえ、大恐慌という資本主義的破局に直面して、「ニュー・ディール政策」のような形で労働者階級に配慮する新政治潮流が生じ、以後も継承された。

しかし、10月革命の罪の部分も大きい。それは武装革命としては「成功」したがゆえに、内戦期を含め、おびただしい流血と経済的混乱を避けられなかった。少数の革命家集団が革命プロセスを主導し、政権確立後はすみやかに独裁体制化していった。 

独裁党の地位を確立した共産党は党名に反して共産主義を正しく展開できず、曖昧な「社会主義」でお茶を濁し、労働者は体制を正当化するための名義上の存在と化していった。あたかも専制君主制が退いた場所に一党独裁制が座っただけであった。

そうした点で、10月革命は20世紀武装革命の集大成的な悪しき教科書となった。実際、10月革命後、世界で継起した武装革命のほとんどが10月革命をなぞるように同様の経過をたどって、およそ革命の評判をすっかり落とし、革命を虐殺と同義のようにしてしまった。

10月革命100周年は、こうした武装革命の潮流に終止符を打つ節目である。ただし、革命をすっかり忘れてロシア革命以前の世界に引き戻すための節目ではなく、その功罪を踏まえて10月革命を正しく超克し、今後の100年を見据える節目である。

どんな今後100年を描くかについては様々あろうが、非武装革命による真の自由な共産主義世界の形成という新たな形の革命に向けた100年を描く私見は、現時点では極少数意見のようである。

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