Cafe de Kerm ~毒味ブログ~

物言いにも、珈琲にも、もれなく毒が混入している可能性が無いこともないです。

学術書も信用できないとか

2009-05-06 22:00:31 | Thinkings

 昔は、本に書かれたことは正しい、なんて思っていましたけれど、今になってはっきりと言えますが「信用しない方が良い」と言うのが正しいようです。

 もっとも、基礎的なことについて、つまり教科書とか基礎参考書、工学系の技術書に関しては「だいたい正しい」と言うことができるでしょう。その当たりの技術の多くは枯れていて・・・特に数学などは100年単位で技術の基礎を担ってきたわけですから、故意とかヒューマンエラー以外に、技術的知見という意味ではほぼ間違いはあり得ない訳です。

 それ以外に世の中にあふれている、いわゆる健康法とかビジネス書、啓発書の類や、オカルトに首を突っ込んだ書籍についての多くは・・・大概は、「現代医学は間違っている」「この事実は隠蔽されていた」とか大見得切っているものですけれど、大半は読む価値無しです。むしろ、読むことによって害を受けることが多いわけですが、困ったことにうっかりとそういう書籍がベストセラーになってしまったりするから、なかなか油断なりません。有名どころでは、五島勉の「ノストラダムスの大予言」とかグラハム・ハンコックの「神々の指紋」とか。最近だと武田邦彦の「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」という環境問題に対する便乗本もありました。「アポロは月に行かなかった」なんてのもありましたね。
 要は、本に書いてあることを頭から信じると、場合によっては痛い目を見ることがあると言うことです。

 先に、教科書に書いてあることはだいたい正しい、と書きましたが、これが大学・社会人レベルまで行くとだんだん怪しくなってきます。というのは、その頃になると最先端技術まで範囲に入ってくるため、新しい発見や検証によって過去のデータが覆されることはままあることだからです。
 そして、常に新発見や画期的な論文が紙面を賑わす学術書ともなると、その傾向はさらに顕著になってきます。それまでに全く知られていない事なのだから、そもそもそれが本当に正しいことを書いてある論文なのかは誰もわからない訳です。そこで、権威ある学術書の場合は必ず「査読」と言って事前に専門家による検証が入り、内容の正しさをある程度担保した上で掲載するのです。一流紙ともなると、その査読は大変厳しく、それ故の権威なのですが・・・
 今回の例は、その権威を悪用した例ですね。

嘘を嘘と見抜ける人でないと学術専門誌を読むのは難しい? 米科学雑誌が警告 Technobahn

TS誌によると学術専門出版社のエルゼビア社が出版している「Australasian Journal of Bone and Joint Medicine」という雑誌(ジャーナル)は一見するとエルゼビア社が出版している他の学術専門誌と同じ査読付きの論文雑誌のように思えるかもしれないが、実は、この雑誌は、医薬品大手のメルクによる宣伝目的の小雑誌に他ならず、掲載論文は査読は行われることなしに、メルクに都合の良い記事ばかりが掲載されていることが判ったとしている。

 要するに、雑誌全部が新聞の全面広告だった、ってことですね。あの全面広告も、たまーに普通の紙面と区別がつきづらいことがありますが、それが全編にわたって続いていたというわけです。製薬の分野は多額の金が動くので、こういう雑誌は珍しくないとしてありますが、ありそうな話と言えばそうですね。

 学術書というとあんまり一般人には関係ありませんし、製薬系の・・・という冠がついている時点でさらにぐっと関係者は絞られてしまいます。ただ、本屋の書棚にも、そしてインターネットにも誤った情報や害のある情報はあふれていますから、「何でも鵜呑みにしない」「必要な情報は複数のソースを持つ」等と言った対策を立てることが必要でしょうね。
 過去に比べて情報を得ること自体にスキルは必要なくなりましたが、今度はそれらの情報をいかにして選別するかというスキルが重要になってきました。果たしてどちらが難しいかは、個人個人の判断で。