Cafe de Kerm ~毒味ブログ~

物言いにも、珈琲にも、もれなく毒が混入している可能性が無いこともないです。

「パソコン」の未来は

2004-11-30 23:05:43 | PC
パソコン大手3社、2007年までに撤退・米社が予測Nikkei Net

 米国の情報技術(IT)調査会社、ガートナーは30日、世界の大手パソコンメーカー上位10社のうち3社が収益悪化で2007年までに市場から撤退するとの予測を発表した。世界のパソコン市場の伸びが鈍化する上、中国など新興国のメーカーが躍進するため。

 いま、デスクワーカーからパソコンを取り上げるのは、「仕事をするな」と言う宣告に等しい。ライターからはペンと資料を奪うに等しい行為だし、商店に取っては帳簿を燃やされるも同じ事だ。

 つまり、それくらいパソコンという道具は浸透してしまっている。
 では何で、そんな大きな市場から、大手PCメーカーが撤退しなければならないのだろうか。

 それは、先進国にとってもはやPCが当たり前の道具になったことを意味する。
 何でもそうだが、市場が活性化している頃は、とりあえず出せば売れる。なぜなら浸透しきっていない為、需要が常に見込めるからだ。だが市場が成熟してしまう=需要が低迷するとなると話は変わってくる。

 PCは生鮮食料品でも、日用雑貨のように取り替えるスパンが短い物でも、長く使えるが値段が安く、気分によってちょくちょく変えられるような物でもない。
 大多数の人にとってPCは、値段が馬鹿に高く、一度使い込むと環境を変えるのに大変な労力がいり、廃棄するのも気を使うやっかいな道具のはずだ。一部のマニアでもなければ、CPUが速くなったから、グラフィックカードが新しくなったから、HDDがなんか遅いからとホイホイ買い換えるなんて事はできない。ノートPCの場合は元々オールインワンと言うこともあり、その傾向はより高いと言える。そして、近年はデスクトップよりもノートがよく売れている・・・

 となると、新規の顧客が減ってくるスピードと、買い換えの頻度が全く合わないため、当然業界は先細りに。買い換えるにしても、何でも付いているお高い大手製よりも、何にも付いてないがとにかく安いメーカーを選ぶのも確かに魅力的な選択ではありましょう。これはDELLが確実にシェアを伸ばしていることからも読み取ることができます。

 多分、Windows3.1や95の時代のような、「買い換えると爆発的なパフォーマンス改善がねらえる」という状況が続いていたならば、こういう事態は起こらなかったと思うのですが、いかんせんインターネットも、メールも、デスクワークの多くも、結局は文字情報がメイン。今の「ある程度のスペックがあれば不自由はない」という状況から抜け出すのは多分難しいでしょう。

 今後、どのメーカーが撤退するのかは分かりません。傲れる者久しからずや。5年後、PC業界がどうなっているのか、こういう側面から見るのもまた一興でしょう。

「言葉について」かんがえよう

2004-11-29 23:49:59 | Thinkings
 ええと、帰り際に下水道本管を重機で引っかけちゃったと言う報告が。しかも発生はお昼の12時頃。何で4時間も寝かせますか?熟成ですか?復旧に3時間・・・嫌がらせですか?嫌がらせなんですか?
 と言うわけで連れとの約束が流れてしまったKermountです、こんばんわ。

 さて、今回のお題は「言葉」について。

 よく言葉について「乱れてきた」とか「美しい日本語」とか度を超して言う人がいますが、そんな人は古事記の時代の言葉でも使っていなさいと言いたいですね。
 平安時代に書かれた源氏物語や、江戸時代に書かれた東海道中膝栗毛の原著が、現在の言葉とかけ離れているように、言葉がその時代時代で変革していくことは自然なことであり、それを「美しい日本語」などというもっともらしい型に無理にはめ込むことは、言葉に対しての冒涜ですらあると思うのです。

 などとこんな事を書きますと、私がいかにも「現代の若者言葉を養護している」と思われるかも知れません。しかし私はそんなことをこれっぽっちも思ってはいません。むしろ、彼らの使う言葉のほとんどは「まがい物」だとさえ思っています。
 それどころか、私の使う言葉や、私よりも年齢層の高い人の使う言葉でさえ、怪しい物がずいぶんと含まれていると思うのです。

 それは何故かと言いますと、例えば「流行語」と言われる言葉がありますよね。その流行語のほとんどは今後1年以内に消え去る運命にあります。・・・今更誰も「ゲッツ!」なんて言わないでしょ?それらはまがい物だから、逆に言えば必要とされていないから「淘汰された」訳です。
 逆に今までとは違う用法や、全く新しい言葉が何年も残り続けることがあります。これはもちろん必要とされたから「生き残った」と言えます。
 例えば、「携帯」と言う略語。これは今だから「携帯電話」の事だとみんな理解できますが、ほんの数年前までは、この言葉が日常生活で出てくるなんて年に数えるほどしか無かったはずです。

 では、昔からの今は全く使われない言葉と、現代でよく使われるあたらしい言葉、どちらが「正しい」日本語なのか。もちろん現代においては、後者が「正しい」と私は考えます。

 言葉は道具です。そして、道具という物は洗練された物ほど美しいと思います。
 日本語は気の遠くなる時間をかけて、漢字を手に入れ、カナを手に入れ、いらない表現をこそぎ落とし、横文字をも取り入れて、洗練に洗練を重ねてきました。結果、他の民族から考えると複雑怪奇とも思えるような言語体系を確立し、その代価として幅広い表現方法を手に入れました。
 言葉を「相手に感情、意思を伝える道具」として考えるなら、日本語は最高に近いツールだと言えるでしょう。そして今でも新たな表現を取り入れ、別の表現を淘汰し続けている。つまり日本語はまだ発展途上であり、まだまだ柔軟な道具なのです。そんな未完成な物を捕まえて「美しい」「乱れている」という議論を交わすのはいかにも滑稽です。

 ただ、「あまりにも文法からかけ離れている」、「どう考えても意味が通らない」や「時と場合を考えない」、「助詞や修飾語が明らかに間違って使われている」などは問題外です。
 「美しい」「乱れている」という論議以前に、「正しく相手に伝わる」と言うことが言葉にとって一番重要な命題であることを忘れてはなりません。

 ちゃんと日本語、使えてますか?

「環境について」考えるために

2004-11-28 22:42:38 | Weblog
 前にも書いたとは思いますが、私はボーイスカウトの指導者をやっています。
 指導者と言うからには、子供を指導して行かなくてはなりません。で、ボーイスカウトの場合、指導のためにはプログラムがつきもの。今日はそのプログラムを「環境」をテーマにして組むためのセミナーに行ってきました。

 「環境」と一口に言っても、身近にある物から地球規模のものまでそのスケールは千差万別。しかもその一つ一つが複雑に絡み合っているのですから一口に説明と言っても中々難しい物です。
 例えば、環境のため「ゴミを分別しよう」「リサイクルしよう」「資源の無駄遣いをやめよう」とみんな口をそろえますが、子供に「なぜそれが環境の為になるの?」と問われたときに、答えることが果たしてできるのか。また説明できたとして、子供にきちんと理解してもらうにはどうしたらいいのか。それのヒントとなるべき事を講義してもらいました。

 講義と言っても座って話を聞くだけのつまらない物ではありません。ボーイスカウトの信条は野外活動ですので、野外で行う簡単なゲームや、キャンプに絡めた討論など気軽な物でした。
 気軽と言っても内容は真剣です。
 ボーイスカウトは、下は小学校低学年から上は大学生までと非常に幅広い年齢層をカヴァーしなくてはなりません。ですから、子供が気軽に行えるゲームを通じて、いかにわかりやすく環境というテーマを伝えるか、という非常に難しい条件をある程度の線でクリアしているサンプルを教えてもらえるのですから、真剣になるのも当然というものでしょう。

 子供がやっておもしろいものですから、ある程度知恵のついてきた大人がやっても当然おもしろいものです。そして、子供がやってある程度理解ができるのですから、すでに下地がある大人がやれば、より理解が深まるというもの。
 環境というとっかかりにくい問題に対して、子供にはいい足がかりになると思うし、大人にとってもまた、いいきっかけになると思います。

 今日の抗議の中で印象に残ったものは、
「環境は先祖からの授かり物ではなく、子孫からの預かり物だ」
というインディアンの言葉の紹介でした。
 今までどおり、ゆがんだ利便性に走り、環境を破壊し資源を食いつぶすという、「子孫からの借金を踏み倒す」のか、それとも「利子を付けて返す」のか。
 私にもできる選択がきっとあるはずです。

本当はひどい「血液型占い」

2004-11-28 00:08:41 | Life
<血液型番組>「性格決めつけ」視聴者から抗議相次ぐ 毎日新聞

 最初に断っておきますと、血液型占いというのは、すでに統計学的に否定されています。テレビや雑誌などのメディアの力で信じ込まされているに過ぎない間違った情報です。現に、血液型占いなどというカテゴリがある先進国は日本しかないのです。

 ま、そんな血液型占いですから、視聴者から抗議が出るのは至極当然。誰だって「いい加減」とか「二重人格」なんて決めつけられるのは気分が悪いもの。しかも全く自分の性格とは違っていても、占いの結果だけでイメージを修正されてしまうことが多々あるのですから困ったものです。

 しかし、残念なことに、「統計学的に否定されている」とこっちが言っているのにそれでもなお、「いや、それでも血液型は性格に影響する」と言って聞かない人がたくさんいるのです。
 彼らは「血液型占いは、血液型占いによって自分の本当の性格をしり、それに合わせる」などという本末転倒な理論を述べることもありますが、あなたの性格はそんな安い物なのですか?

 私は完全に血液型占いの否定論者です。元々否定されていると知っている理論を信じるなんて馬鹿馬鹿しいですし、そもそも自分はA型ですが、あまり几帳面でも勤勉でもありません。所詮A型の性格なんて当時、つまり血液型占いが生まれた時の大多数の日本人の性格に過ぎないのですから。
 それに、たかだか4種類しかないカテゴリーに、人間の性格を全部分けきるなんて不可能もいいところです。それによって差別されたり、いじめの原因になっている原因を鑑みると、正直な話「間違っていました、と番組を撤回しろ」と言いたくなりますね。
 その「番組」ですが、結果を出す過程で視聴者に出すデータはせいぜい100人くらいがいいところでしょう。これは統計を出すには不十分なデータです。本気でやるからにはもっと数を集めればいい。しかしそういうまじめな統計調査を行う番組は絶対にありません。なぜなら、やると血液型による性格の差異はないという結果が出るからに他なりません。つまり彼らが望む結果を出すには、あらかじめ仕組まれたサンプルを使う必要があり、そのために数が用意できないのです。また、2000とか3000とかの数字を出したときに、あからさまに数字をいじることができないという事も考えられます。
 要するに、いい加減な検証で、いい加減な結果を出しているのだから、当然結論はでたらめ。むちゃくちゃです。逆に言えば「そんなもの信じる奴らにも問題がある」と言えなくもないです。

 誰にでもわかりやすい血液型占いの否定方法は、「世界にはB型だけの集落、一族が存在する」という事実を出すことでしょう。その集落の人々が皆性格が同じな訳ないでしょう?私の経験上、この例を出すと、肯定論者は大概黙ります。が、心のそこからは納得していない様子。思いこみというものは恐ろしいものです。

 占いに何をここまで、と思う方もいらっしゃるでしょう。しかしその占いによって不当な扱いを受けている人もたくさんいるのです。いい加減こんな占いから目を背けてやる時期が来ていると、私は思うのですが。

   

「ハウル」を見てきました

2004-11-26 22:37:55 | Weblog
 いやあ、さすがは悪魔と契約している魔法使い。やっぱりハリーなんとかという小僧っ子とは魔法の質が違いますなぁ!

 と言うわけで、宮崎駿監督の「ハウルの動く城」を数日前に見てきました。風邪でぶっ倒れている最中に体にむち打って行ったくらいですから、実はかなり楽しみだったのです。
 できるだけ内容に触れずに感想を書きますと、まず声はあんまり違和感はありませんでした。特に木村拓哉氏の演じるハウルは、「本当に彼なのだろうか」と思う位でした。ただ、主人公のソフィー(若いとき)や火の悪魔はややつたない感じが。また、音楽は大変すばらしかったです。

 魔法の描写については賛否両論あると思いますが、西洋的魔術の危険性、異端性をきちんと描いている点が非常に好感が持てました。つまり、魔法を便利な道具としてではなく、危険をはらんだ諸刃の剣として書いているのです。その辺も小僧っ子とは違うところですね。

 で、一番重要なお話の方は、やや説明不足感が高いように感じました。見ている途中で「アレ?」と思うような箇所が数回、見終わってから「そういえば」と思う点も数点あり、そのあたりは「自分なりに解決しなさい」と言うことなんでしょうか、監督。
 ただ前の千と千尋の様な「東洋的な」わかりにくさではなく、「西洋的な」わかりにくさですので、分からないときは素直に負けを認める覚悟も必要だと思います。

 しかし、そういうわかりにくさとかを全部ひっくるめて、最終的には何故か胸にこみ上げるものがありまして、ああ感動しているんだなあと。
 少なくとも、私にとっては「コラテラル」の10倍は良かった映画でした。 

ジャパンカップでゲットしたい!一撃10万馬券

2004-11-25 21:20:54 | Sports
 いきなり俗な見出しで申し訳ない。

 とは言え、実は私、本気でねらっております。一撃10万馬券を。
 と言いますのも、今年から競馬に3連単というオッズが跳ね上がる制度が導入されたからに他なりません。
 この3連単という制度、1着から3着までの馬を着順通り当てるという、極めてわかりやすくかつ難しい、故に配当も当然大きくなると言う素敵なものです。
 
2頭、着順関係ナシであたらんのに3頭なんて無理だ!
 ごもっとも。しかし、私のやり方ならば5頭から6頭選べ、来さえすればほぼ損はしないのです。

 配当が大きくなると言う事は、当然100円ずつ大量にばらまいても元が取れる、あわよくば大もうけができる可能性が高いと言うことです。現に200万馬券はすでに出ています。
 そこで、私は「5頭を選んでそれの組み合わせ全部にかける」というやり方を考案しました。

 ちなみに5頭なら60通り、6頭なら120通りになります。3連単の傾向を見ますと、悪くても8000円馬券位なので、5頭ならばよほどの鉄板でない限りは元が取れる計算です。そして、この間のマイルチャンピオンシップでは13千円、エリザベス女王杯では53千円とまずまず。

 ちなみにこの買い方は、エリザベス女王杯で初めて導入しましたが・・・
 1着3着は当てたんだけど・・・ちなみにマイルチャンピオンシップの時は、
競馬どころじゃありませんでした。

 本当に不景気なここ最近。せめてこれくらいはいい夢見られるといいんですけど・・・

風邪?で寝込む

2004-11-24 18:56:24 | Weblog
 実は私、今年の6月に1週間入院をしておりました。病名は急性扁桃炎。入院中は退屈で退屈で、そして、飯がまずいのまずくないの・・・もうあんな思いは嫌だ、と思っていたのですが・・・

 はい、ここ二日間寝込んでいました。更新したくてもできませんでした。病名?はっはっは、急性扁桃炎ですよ!
 ですが今回は、前回ほど熱もだるさもありませんでしたので、午前中を通院に使い、仕事にも行ってきました。仕事ができるのはいいことです。半日休んだだけで机の上に書類の山がありましたから。また1週間休むなんて考えただけでも恐ろしいです。

 この病気の嫌なところは、のどが痛くて飯が食いにくいところです。
 想像してください。
 のどが真っ白になるくらい、口内炎がびっしりできている中で、固形物を飲み込むのを。

 そりゃあやせます。事実、やせました。
 しかし、たちの悪いことに味は変わりませんので、おいしい物はおいしいのです。生殺しです。

 こんな思いはもうたくさん。早いところ直して、こってりした物をぐいぐいのどの奥に流し込みたい気分です。
 体には気をつけましょう・・・ 

H2Aロケットに託す、日本の宇宙

2004-11-21 21:31:05 | Weblog
H2A打ち上げ、2月にも再開 気象衛星搭載見込み

H2Aロケットの打ち上げが来年2月に再開される見通しになった。昨年11月の6号機打ち上げ失敗を教訓に設計変更した大型固体補助ロケット(SRB)の信頼性、安全性が燃焼試験で確認でき、技術的に再開のめどがついた。気象衛星「ひまわり5号」の後継機を搭載する見込みだ。相次ぐトラブルで停滞していた日本の宇宙開発が、再び動き出すことになる。

 唐突だけど、私は宇宙が好きだ。だから、全段国産のH2ロケットができ、しかもその性能が世界トップ(貨物/重量)だと知ったときそりゃあ嬉しかった。
 しかし皆様も知っての通り、最近のH2Aロケットは失敗続き。何とも寂しい限りだ。

 しかし、今度はどうやら大丈夫のようだ。ちょうど一年前の失敗によってずっと延期されてきた、ひまわり5号の後継機を打ち上げる事も、次の打ち上げでようやくかないそうだ。自分の国の気象情報を見るのに、アメリカの衛星を間借りするなんて情けないことがようやく終わりになる。

 実は、人類の宇宙開発史は、事実上アポロが月に言った時に止まっている。
 もちろん、火星や木星、果ては冥王星などの外惑星の調査は進められているが、それは無人の偵察衛星の話だ。人類自身が最も地球を離れたのは月が最長なのだ。
 さらに、私たちが小さい頃に思い描いていた宇宙旅行は、未だ地球周回軌道でも実現していない。(もっとも、20億円積めば何とかなるらしいが。)すばる望遠鏡が覗いた150億光年の彼方にある原始の銀河に比べれば、玄関から一歩踏み出たにすぎない距離なのに。
 それほどまでに宇宙は広大で、人類は小さい。

 宇宙開発は、実績的にあまり金にならない。だから日本ではどうにも予算が付かない。よって、技術力の発展は後手後手に回ってゆく。悲しい現実だ。
 それでもH2Aが定期的に発射できるようになれば、日本の宇宙開発は飛躍的に進歩するかもしれない。なぜなら、H2Aは公的な用途だけでなく、民間にも使用されることが前提だからだ。衛星を使った新しいビジネスが民間から出てくるなら、政府は宇宙開発により大きな予算を割くことができるようになるだろう。

 かつて、アメリカとロシアが人工衛星を打ち上げていた頃、日本では2,300メートルしか飛ばないペンシルロケットで実験を繰り返していた。そして、ようやく追いついた矢先の失敗の連続。
 H2Aの真の成功こそが、日本の宇宙開発を次のステージへ押し上げるのだろう。

ナイス・・・あ、ファーーーッ!

2004-11-21 01:38:09 | Dialy
 と言うわけで、コースに出てゴルフをやってきました。ショートコースなんですけどね。

 クラブは8番、ピッチング、P/S、サンド、パターだけ。後から7番も持って行けば良かったと後悔しましたが。コースも長くて250ヤードまでと、気楽に回れる9ホールを2周して来ました。そんなですので、”行き先はボールに聞いてくれ”な初心者(私のことだ)でも、むちゃくちゃ遠くには飛んでいきませんので、OBの際に人にぶつける心配は軽減されます。
 それでもファーーーッ!と叫ばなければいけない訳で。

 スコアは・・・まあ、頼みの8番もきれいにスライスしてくれまして、アプローチで何とかつないだ感じですか。しかし肝心なところでパターがふるわない。パー3で8つとは・・・へこみました。

 それと、これはここに書いておかなければ。
 ややくの字に曲がった打ち下ろしのコースで、思い切り打った球は見事にスライス。ファーッ!の声と共に隣のコースに消えてゆきました。ここまでなら良くあること。しかし、ミラクルはこれからでした。
 先に回っていた組がグリーンに近づくと、ワンオンしたボールは1つのはずなのに、何故かグリーン上には2つのボールが。
 はい、私のボールでした。しかも私が打ったティーから、そのグリーンはほぼ真横にあったのです。
 つまり、隣のグリーンにワンオン。しかもブーメランのように180°ボールが戻ってきて!
 変わったこともあるものです。人がグリーンにいなくて本当に良かった。

 しかし、やっぱりゴルフはおもしろい。ちゃんとミドルアイアン以上がコンスタントにまっすぐ飛ぶようになったら、ちゃんとしたコースに再チャレンジしたいものです。

 

二つの次世代機

2004-11-19 21:59:10 | Weblog
 今年の年末に、NintendoDSとPlayStationPotableという二つの次世代機が発売される。両ハードとも、現在のゲームのメインストリームであるポリゴン表示を盛り込んだ携帯ゲーム機だ。だが、共通点はそこまで。それ以外は全く毛色が異なるハードに仕上がっている。

 ある意味、両方とも”従来には無い”ハードだ。ただし、PSPは”従来にはない機能を有した”ハードであり、DSは”従来には無い楽しみをもった”ハードであると言える。
 正直な話、こんなところでハードの説明をしてもしょうがないので省くことにするが、両ハードは”ゲーム”というコンテンツをどう扱うか?というSONYと任天堂の姿勢を雄弁に語っていると思う。

 前にPSXの記事を書いたことがあったが、今回のPSPはその思惑に重なっている。つまり、SONYはゲームを、音楽や映画といったものと同列に扱っているのだ。これはVAIOシリーズなどでも一貫していることだが、やはり老舗のAV家電メーカーは違う。(これでATRAC3を捨ててくれれば言うこと無いんだがw)PSPの携帯ゲーム機にしては大きい画面と、意地でもフレキシブルな光ディスクというこだわり。音楽やムービープレイヤーを同時に搭載したというマルチメディアな機体は、SONYを体現しているようだと言えるだろう。

 変わってDSは、”新しい遊びを提供する”というただ一点だけを追い求めた、ある意味スパルタンな機体だ。”花札・トランプ”から連綿と受け継がれた任天堂ismあふれる、まさに”遊びのためのハード”と言えるだろう。だが、ちゃっかりアドバンス対応という商売っ気も忘れない。やっぱり最初に十時ボタンを開発した所は違いますなあ。

 結局、SONYはAVメーカーであり、任天堂はゲームメーカーだったと言うことだ。

 とまあ、ずいぶんと投げやりな考察になってしまったが、私は両方とも期待している。NintendoDSは新しい遊びの提案に。PSPは”白き魔女”に。

 実は、NintendoDSを本日予約して来ちゃいまして・・・