kenroのミニコミ

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根源的な問いこそ先  高橋哲哉『靖国問題』(ちくま新書)

2005-07-06 | 書籍
靖国神社を分析、解説、その歴史的経緯を説いた本は数多ある。また、靖国神社の「問題」を問うた著作も人口に膾炙している。が、現在の小泉首相の靖国参拝の意味をーー中国からの抗議に対する反発ではなくてーー靖国の持つ現在的意義から解説したのは本書が初めてではなかろうか。
高橋は従来の靖国神社についての歴史的解説と政治的動向に重きを置いた手法を踏襲せず、「感情の問題」「歴史認識の問題」「宗教の問題」「文化の問題」そして「国立追悼施設の問題」という切り口で、靖国の今、何が問題であるのかを入門者にも分かりやすく提示して見せた。節ごとの掘り下げの甘さというか、物足りなさについては各自それまでの靖国本を参照したらいいのだろう。
個人の価値観の範疇として上記のような分類、接近の手法は肯べられるとしても、新書本の限界性故物足りない部分もある。たとえば、神社信仰から靖国へと収斂させられた明治の神道会の動き、戦後の靖国と遺族会、遺族援護法との関わり、政治家との関わりなど。
しかし高橋の論旨は明確である。国家による追悼を前提とする施設の存在は、国家による死=戦争を前提としてでなければありえない。すなわち、「日本の平和と独立を守り国の安全を保つため」の死とは、日本が戦争をすることを前提としており、それは憲法(前文や9条の理念)と相反するものであると。
ところが、現在の「靖国問題」は中国や韓国からの歴史認識の問題追及/齟齬があるからという認識であり、かつ、「日本の平和と独立を守り国の安全を保つため」むしろ海外派兵さえもしているという現実矛盾に直面しているというのである。
言うまでもない。高橋の論証は別に目新しくもないし、憲法9条擁護派からさんざん言われていることでもある。でも、なぜ新鮮なのか。それは、靖国の本質=反逆側は絶対祀らないという靖国の前身、東京招魂社の実相、それを諾としつつ、靖国を祖国の英霊を慰霊するため絶対的存在としてきた近代天皇制と真正面から向かい合うことを避けてきたからにほかならない。
高橋は指摘する。首相の靖国参拝を問う訴訟において「違憲」または「違憲の疑いあり」また、憲法判断に踏み込まなかった判決はいくつかあるが、いずれも「合憲」としたものはないと。
そう、小泉首相の靖国参拝は「合憲」にはなりえないのだ。だから、靖国側は憲法そのものを変えようとしているという理解が正しいと。
追悼施設のあり方は、各国、各地模索の対象だ。沖縄の「平和の礎(いしじ)」は、戦争責任の追及が甘いと批判され、天皇さえ訪れる。一方、ドイツはベルリン、ブランデブルグ門の前に広大に敷設されたナチス犠牲者追悼碑群は、イスラエルからの反発をも無視して建設された。そして、そのドイツは先の戦争に区切りをつけたのではないかもしれないが、戦後初めてコソボに海外派兵を果たした。
国連常任理事国入りを狙う日本、そしてドイツ。国際社会のなかで自国の戦争責任を自国が追悼するかたちで解消しようとする試みについては大きな躊躇を持ったほうがいい。高橋の靖国入門書はさらなる靖国「問題」理解への一助となりうる。
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