kenroのミニコミ

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日本では制作できない快哉  「金子文子と朴烈」

2019-04-10 | 映画

紙幣の意匠が全面的に変更されるという。渋沢栄一と津田梅子と北里柴三郎。前回の福沢諭吉と新渡戸稲造の時は、彼らの中国、朝鮮半島への覇権主義、植民地主義を理由に反対もあったようだが、今回の3名はどうだろうか。少なくとも戦後の民主主義に基づく歴史的評価としてプラスであるとされる内村鑑三や田中正造など一度は体制に異議を唱えた人物は選ばれないだろう。ましてや天皇(制)に弓を引いたとされる幸徳秋水や管野スガ、大杉栄などは。そして金子文子も。

恥ずかしながら金子文子は名前くらいしか知らなかった。しかしその実像と功績を韓国映画で、韓国の俳優さんで知ることになろうとは。演じたチェ・ヒソが素晴らしい。大阪で育ち、日本語はネイテブとして完璧。言葉の壁の問題ではない。彼女は役になりきるため、金子文子の自伝を読みこなし、当時の時代状況を徹底的に体得し、役作りに没頭したという。その甲斐あって、強く、たくましく、優しく、余裕があり、凛とした金子文子を見事演じきった。

関東大震災における朝鮮人虐殺が日本政府(官憲)の恣意的プロパガンダが原因であり、その史実は紛れもない事実である。しかし小池百合子東京都知事が、慰霊祭での追悼文を見送ったように、歴史修正主義勢力は幾度も「死亡者数の過大さ」をあげつらい、虐殺そのものをなかったことにしようとする。しかし、そのような論が全くデタラメであることと、自国の負の歴史を直視しない姿勢こそ、世界史的には友誼が持てない国に成り下がっている現実を反映しているのではないか。

それはさておき、金子文子と朴烈の生き様、裁判を徹底的にリサーチしたというイ・ジュンイク監督の描いた二人は日本人監督でもこうはならなないだろう、いや、日本で制作すれば腰が引けるのではないかというほど、明快で面白い。「大逆罪」という最大にして最悪、絶対主義の天皇制国家において死刑しかない大罪、もちろん、君主制を否定する金子らを葬らんとする捏造=冤罪ではあるが、を犯したと獄に繋がれているのに彼女らのこの朗らかさはどうだ、潔さはどうだ。第1回公判で、朴と金子が要求した韓服での出廷は史実らしい。そして、尋問判事が認めた勾留中の二入の記念写真撮影。痛快である。そして公判で滔々と自説を述べる金子と朴。大審院の時代ではない「戦後民主主義」下の現在の法廷の方がよっぽど不自由だ。

アナーキズムは「無政府主義」と訳される。多分そうなのだろう。しかし、本作で描かれたのは個の自由を求め、君主制たる天皇制などの特権階級のない社会を目指す、ひたすら平等で個の選択権を認める世界の実現であった。理想主義的すぎると言うなかれ。世界的に見れば内実はともかく君主制より共和制をとる国が多いし、フィンランドのように君主制も取らずに社会的平等がかなりの程度実現した国もある。そして彼の国ではベイシックインカムの社会実験もなした。

本作が出来上がったのは、出演俳優らが日本人も含めて、皆バイリンガルであった故。思想的劣位も含めて、日本では、そもそも制作が困難だったであろうことは容易に想像できる。

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