前作「パッチギ」から設定は4年後の1974年、東京。東京で在日朝鮮人の地域といえば台東区などが思い浮かぶが、小集落の枝川が舞台である。幻の東京五輪1940年に江東区から強制移住させられた朝鮮人集落、それが枝川である。当時はゴミ焼却場と消毒所しかなかった湿地帯に自らのコミュニティを築いていった様が作中、宇野重吉が見せる紙芝居で語られる。ストーリーは京都から移り住んだハンソン、キョンジャら兄妹の一家に息子チャンスは難病に。キョンジャは芸能界を目指し、家族を持たない日本人・佐藤のハンソン一家らとの交流を交えながら、アンソン・キョンジャの父=徴兵(もちろん日本帝国主義による強制)からの脱走、太平洋ヤップ島まで逃れ生き抜いた30年前を重層的に描く。さきの紙芝居一つをとってもエピソードが多すぎ、前作ほどのキレに欠けるようにも思えるが井筒監督、李鳳宇製作のかかると分かりやすさを失ってはいない。
分かりやすさはエンターテイメントの命である。李プロデューサー率いるシネカノンは「ゲロッパ!」や「パッチギ!」、「フラガール」など娯楽性がとても高い。特に「パッチギ」は在日韓国・朝鮮人「問題」という日本において最大の未解決在留外国人課題をテーマにしながら、おかしくて、切なくて、笑い涙した記憶は新しい。「フラガール」も炭坑という斜陽産業の廃れゆく街にスポットを当てながら、心温まる作品であった。
「LOVE & PEACE」というとネーミングとしてはクサい極致とも思えるが、本作の主題はそのとおりである。愛の力によって家族が助けあい、家族を持たなかった佐藤が家族に触れてゆく。戦争から逃げ出した父のおかげでアンソン、キョンジゃが生まれ、在日が生きていく術としての芸能界で出自の壁に跳ね返され、家族のもとに戻ってくるキョンジャ。「家族」というと、アンソン一家のような濃い血縁共同体が基本となるが、枝川自体は民族のコミュニティであって、みんなが血縁関係であるわけではないし、日本人の佐藤もアンソン一家を家族と感じるようになるのも血縁を越えた「家族」の姿である。ヨーロッパでは移民社会が当たり前であるため、さまざまなシチズンシップが成立、自国民との格差をなくそうと歴史的に試行錯誤が繰り返されてきた。日本においてはヨーロッパ型の移民ではなく、「強制連行」「強制徴用」という負の遺産ゆえの在日朝鮮人・韓国人社会が形成されてきたが、ならばなおのことシチズンシップ形成に努力するべきである。が、外国人登録証の常時携帯義務はいまだなくならないし(作中、警察官がアンソンらに外国人登録証を見せなければ逮捕する、と脅かしていたのは現在でも変わらない)、指紋押捺制度は92年に永住者には廃止されるまで残っていたのである。
キョンジャが芸能界で成り上がるために「三国人」発言のプロデューサーにまで取り入って得たヒロインの映画は、三流特攻映画。「死ぬことこそすばらしい」と繰り返すこの思い切りくだらない劇中作品が、「三国人」発言の石原慎太郎東京都知事による製作・総指揮の「俺は、君のためにこそ死ににいく」の井筒流のブラックジョークであることは間違いない。
いや、アンソン・キョンジャの父が住んでいた済州島の最初の場面で、女性が「給料がもらえるぞ」などと言われながら無理やり警察官にトラックに乗せられていくシーンがちらりとあるのも、「広義の強制性はなかった」などとまだ放言して、その後アメリカに平謝りしてる(謝る方向が違うと思うが)現首相に対する皮肉でもあるのだろう。
重いテーマゆえのエンターテイメント。シネカノンの次作にも期待したい。
(写真はキョンジャ役の中村ゆりさん)
分かりやすさはエンターテイメントの命である。李プロデューサー率いるシネカノンは「ゲロッパ!」や「パッチギ!」、「フラガール」など娯楽性がとても高い。特に「パッチギ」は在日韓国・朝鮮人「問題」という日本において最大の未解決在留外国人課題をテーマにしながら、おかしくて、切なくて、笑い涙した記憶は新しい。「フラガール」も炭坑という斜陽産業の廃れゆく街にスポットを当てながら、心温まる作品であった。
「LOVE & PEACE」というとネーミングとしてはクサい極致とも思えるが、本作の主題はそのとおりである。愛の力によって家族が助けあい、家族を持たなかった佐藤が家族に触れてゆく。戦争から逃げ出した父のおかげでアンソン、キョンジゃが生まれ、在日が生きていく術としての芸能界で出自の壁に跳ね返され、家族のもとに戻ってくるキョンジャ。「家族」というと、アンソン一家のような濃い血縁共同体が基本となるが、枝川自体は民族のコミュニティであって、みんなが血縁関係であるわけではないし、日本人の佐藤もアンソン一家を家族と感じるようになるのも血縁を越えた「家族」の姿である。ヨーロッパでは移民社会が当たり前であるため、さまざまなシチズンシップが成立、自国民との格差をなくそうと歴史的に試行錯誤が繰り返されてきた。日本においてはヨーロッパ型の移民ではなく、「強制連行」「強制徴用」という負の遺産ゆえの在日朝鮮人・韓国人社会が形成されてきたが、ならばなおのことシチズンシップ形成に努力するべきである。が、外国人登録証の常時携帯義務はいまだなくならないし(作中、警察官がアンソンらに外国人登録証を見せなければ逮捕する、と脅かしていたのは現在でも変わらない)、指紋押捺制度は92年に永住者には廃止されるまで残っていたのである。
キョンジャが芸能界で成り上がるために「三国人」発言のプロデューサーにまで取り入って得たヒロインの映画は、三流特攻映画。「死ぬことこそすばらしい」と繰り返すこの思い切りくだらない劇中作品が、「三国人」発言の石原慎太郎東京都知事による製作・総指揮の「俺は、君のためにこそ死ににいく」の井筒流のブラックジョークであることは間違いない。
いや、アンソン・キョンジャの父が住んでいた済州島の最初の場面で、女性が「給料がもらえるぞ」などと言われながら無理やり警察官にトラックに乗せられていくシーンがちらりとあるのも、「広義の強制性はなかった」などとまだ放言して、その後アメリカに平謝りしてる(謝る方向が違うと思うが)現首相に対する皮肉でもあるのだろう。
重いテーマゆえのエンターテイメント。シネカノンの次作にも期待したい。
(写真はキョンジャ役の中村ゆりさん)