ミュンスター彫刻プロジェクトは10年に一度の開催で、今回初めて訪れることができた。ミュンスターの街の中心部にあるノルトライン・ウエストファーレン美術館(LWL)は彫刻プロジェクトの本拠地。会期中は無休、午後8時まで開いていて、プロジェクトを回って疲れたらトイレ休憩などに使えるし、ロッカーも使いやすい便利な立地と施設。しかしLWLは単なる中継地ではない。そのコレクションたるや中世キリスト教美術から近代アートまで途切れない。しかも彫刻プロジェクト開催中は、現代アートのインスタレーションまである。まさにアートの至福である。
プロジェクトは、ミュンスター市街のいくつかの場所に作品がある。街中は歩いて回れるが、市街地の公園などにある作品は、自転車で回るしかない。ミュンスターはだいたい平地の街。レンタルバイスクルがあり、筆者も借りたが、一番低いサドルに合わせたのに足が着くかつかないか。それでも歩いて回るより多くの作品に見えたのはよかったが、本当に作品解説・理解としてよかったのはLWLから歩いて回れる範囲の作品をめぐるガイドツアー。ガイドのカレンさんは英・独・仏・西語ができてイタリア語はまだまだという。ドイツ語は全く不明、英語もおぼつかない身にとっては驚異の人だが、いろいろな参加者のレベルを察してか分かりやすい、聞き取りやすい英語で案内してくれたので助かった。むしろ現代アートは解説なしではよく分からないまま通り過ぎてしまうことが多いので、ガイドは有益だ。
LWLから出発するガイドツアーの最初の作品は、もともと美術館の敷地内にあったヘンリー・ムーアの彫刻がまるでトラックの荷台に乗せられ、いまにも運び出されそうな視覚の錯覚を企図した作品(Tom Burr)。カレンさんは、問う「作者は何を意図していると思うか」と。どんなに重く確固たるものに見えても容易に運び出され、そこの実像ははじめからなかったかのように思われてしまうこと。筆者は「Refugees(難民)」と答えたが、果たして作者の意図に合致していただろうか。いくつかの後に訪れたのは内部が空洞の大きな石柱(Lara Favaretto)。空洞なのが分かるのは、人間の目の高さに細い切れ目があるから。貯金箱?これもギリシアやイタリア、スペインなどEU内で債務超過・経済破たんが現実化、危惧される国に対し、EUや国家のヘルプが果たして、一国を助けることができるのか、いや、一人ひとりの「義援金」ではないか(それもふくめて無意味)とのアイロニーか。
Nairy Baghramianの鉄骨のチューブが3つに切断された作品には、思わず「Christianity world?」との頓珍漢な問いにカレンさんは即座にNo。もちろんキリスト教の三位一体を想起したのだが、筆者の考えすぎというより、そもそも西洋美術がキリスト教由来というずいぶん前の西洋美術理解に縛られていたということか。作品は、隣の場所で6つに切断されていた。かように可変的な固い物体は、実はどのようにも分断的で切断的である。それは変化も分散も許さないかに見えたスチール製の「紐」が実は、柔軟なのである。チューブか紐か?紐帯と言うことばがあるのか分からないが、結ぶものは、はずれ、解かれるもの。印象深い作品だ。
街を挙げての芸術祭は、いろいろ地域を回れて楽しい分、移動が結構大変だ。ミュンスターではレンタルバイスクルも利用したが、それもない場合はおよそすべての作品を回ることは出来ない。都会の芸術祭(次回紹介するドクメンタなど)は公共交通で回れるが、地方ではそうもいかない。たとえば瀬戸内国際芸術祭などは作品が島に点在していて、その島を巡る船も限られている。ミュンスターに3,4日滞在して、彫刻プロジェクトほかふらふらと過ごすのが理想なのだろうが。しかし、何らかの政治的発言も伴うコンセプチュアル・アートたる現代美術は、その意味をじっくりと考え、その作家の発言するその意図に諾か否かの姿勢を自問自答してみるいい機会と言う意味で、長い時間が必要だろう。(Nairy Baghramian)