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kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

「あなたがポムゼルの立場ならどうしていましたか?」 ゲッベルスと私

2018-08-21 | 映画

「A」や「FAKE」で知られる映像作家の森達也さんがドキュメンタリーであるからといって作者の作為や意図が全く入らないことはあり得ない旨述べていたことを思い出した。

「ゲッベルスと私」もナチスの宣伝相であったゲッベルスの秘書(タイピスト)であったポムゼルの語りや、挿入される映像に監督が改めて脚色したことはないだろう。しかし、ポムゼルに対するインタビューのどの部分を映画として残し、その合間のどこにどんな映像を挟むかという編集作業に監督の問題意識や考え方が反映されるのは当然だろう。だからといって、本作がナチスの暴政やポムゼルの個人責任を問うプロパガンダ作品ではない。

ポムゼルは「ドイツ国民全員に(ホロコーストの)責任があるとするなら私にもある」と。それは日本の「一億総懺悔」に通じるものがある。一部の重い責任をうすめて―日本では当然大日本帝国を総攬していた天皇ヒロヒトであろう―その時の国民全員に被害国(民)に責任があるとする立場は結局一人ひとりの責任を問わないことになってしまう。また、1945年当時の1億人には植民地であった朝鮮半島や台湾などの人も含まれる。この人らには日本内地から「一億総懺悔」と括られる謂れはない。これは本作でもオーストリア人にとってナチスに加担した責任が明確に示されていて不評だとの傾向に通じる。そう一介の市民は国家権力の被害者であることは感じていても、侵略、圧殺した他国の市民に対して加害者であることには自覚的にはなれない。その無自覚さは容易に次代の他国民圧殺や国内の外国人やマイノリティに対する差別に結びつきやすい。そして差別は戦争を生む。

クレーネス監督とヴァイゲンザマー監督は言う。「この映画は決して歴史についての映画ではありません。むしろ、現代についての映画なのです。(中略)一番怖いことは、私たちが政治や社会について無関心になってしまうことです。この映画は戦争における個人の責任についても語っています。邦題『ゲッベルスと私』(原題はA German Life)の〝私〟とはあなたのことでもあるのです。もし、あなたが彼女の立場だったら、どうしていましたか?」

「戦争法」をはじめ、着々と強権国家づくりがなされるこの国では、市民レベルでは(それ以上かもしれないが)ヘイトスピーチもまかりとおる。「あなたが彼女の立場だったら、どうしていましたか?」を反芻すべき作品である。

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冤罪がなくならないのはなぜか。また考えてしまう「獄友」

2018-06-04 | 映画

冤罪と一語で言ってしまいがちであるが、その経験はそれぞれである。当たり前のことだが、無罪を勝ち取った人、出獄したがそうではない人、死刑囚であるのに再審開始決定が出たから出獄した人とその思いと経験は大きく違う。しかし、彼らには共通項がある。冤罪であるということ。

「獄友」は、2010年、狭山事件の石川一雄さんを撮るときからずっと、冤罪の人たちにカメラを向けている足かけ7年の大作である。大作と呼んだが、冤罪被害者5人とその家族などを追うドキュメンタリーで、豪華でもすごい展開があるわけでもない。布川事件の杉山卓男さんは2015年病のために亡くなっている。同じ布川事件の桜井昌司さんは明るく、芸達者、話も面白い。その桜井さんが半ば他の人たちを巻き込んで「獄友」グループを結成しているようにも見える。しかし、他の人たちも個性豊かだ。石川さんは、恬淡とした趣で本当に紳士である。足利事件の菅家利和さんは愛嬌のあるおじさんだ。しかし、ただ一人死刑囚の袴田巖さんは49年の獄中生活、死刑の執行におびえる毎日で精神疾患に。しかし『世界』に青柳雄介さんの連載「神を捨て、神になった男 確定死刑囚・袴田巖」を読むと、袴田さんは決して正気を失ってしまったわけではないことが分かる。警察も検察も裁判所も袴田さんの無実を見つけられなかった(警察・検察はむしろでっち上げた方がだが)から、袴田さんが3者や当時のメディアを裁いているのだ。このブログを書いている週にも袴田さんの再審開始の可否が出そうだ。よもや開始しないなどとはあり得ないが、名張毒ぶどう酒事件や恵庭OL殺人事件など再審の門さえ開かない事件は多い。その象徴的な事件の一つが狭山事件であろう。石川さんは再審請求をずっと続けているが、いまだに開かれていない。もう石川さんが出獄して14年になるというのにである。裁判所は再審請求者が死ぬのを待っているとしか思えない。飯塚事件では死刑確定からわずか2年で執行されており、遺族の再審請求も蹴られている。

「疑わしきは被告人の利益に」とか「99%疑わしくても100%でなければ無罪」といった言い回しがむなしく聞こえる。反対に、現在進行形のモリカケでは、登場人物が十分怪しいのに早い段階で「シロ」と決めつけ、収束させようとしている。「獄友」は、冤罪以外者の単に重いフィルムではない。なぜそれが生み出され、未だに再生産されているのかを考えるためのヒントであるのだ。それは、実際の監獄でなくても、社会全体が監獄と化す方向に見える現在の政治や社会に生きる者にきびしく問われている。桜井さんの明るさがその問いを共有しようと誘っているように見えてしまうのだ。

 

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「謎の天才画家ヒエロニムス・ボス」と「ジャコメッティ 最後の肖像」

2018-01-20 | 映画

400年余の時空を超えてネーデルラントの巨匠と現代彫刻の粋が見えたわけではない。巨匠と書いたが、ヒエロニムス・ボスは生年もはっきりしない(1450年頃?)不明の部分が多い北方ルネサンス期の画家である。現存する作品も工房作も含めて25点程度と言われ、同年代のレオナルド・ダ・ヴィンチに比しても謎の部分が多い。しかし、その少ない作品は現代の人々を魅了してやまない。その代表作がスペインはプラド美術館の至宝「快楽の園」である。「謎の天才画家 ヒエロニムス・ボス」は「快楽の園」をめぐって美術界のみならず各界の著名人がその謎解きに挑む野心作である。

ルターによる宗教改革の前夜、ボスは宗教的教訓満載の「快楽の園」を描いた。そこに描かれている人、動物、得体の知れぬ化け物の姿はいったい幾つあるのか。人はすべて裸体で、交合する者もいるが、歓喜の踊りに興じる集団もある。そして圧倒的な迫力で迫りくるのは主に右パネルに描かれた魔物たちに拷問を受ける憐れな者たち。石臼でひかれる者、ハープに串刺しされる者、魔物に体丸ごと食われる者。左パネルに描かれているのがキリストとアダム、イブであることから、その対称性は明らかだ。宗教的教訓と書いたが、ボスには「七つの大罪と四終」という作品もある。大罪を犯した人間は禁断のリンゴを口にしたアダムとイブを筆頭に楽園を追放され、まだ食べ物の奪い合いや、享楽にふけるが(中央パネル)、ついに魔物の餌食となる(右パネル)。「七つの大罪」ほど分かりやすくはないが、その分、細部をじっくり見る楽しみが広がる。そしていくら見尽くしても見尽くせないほどの多彩な表現と数々の寓意。プラドを訪れる決して敬虔なクリスチャンではない多くの観光客の誰もがじっと見入ってしまう魅力がそこにはある。

映画では数々の著名人 世界的指揮者、作家、画家、現代美術家、美術史家、美術館長 らが口々のその魅力を述べる。そしてこの作品の謎がすべては解明されていないことも。いや解明されないのを皆楽しんでいるかのようだ。ボスはなぜこれを描いたのか、どのように奇想の魔物を生み出したのか、一つひとつの意味は? 500年前の絵画が投げかける疑問の数々を前に悪戦苦闘している私たちをこそボスは楽しんでいるのかもしれない。

一方、名優ジェフリー・ラッシュが演じる「(アルベルト・)ジャコメッティ 最後の肖像」はドキュメンタリーではなく言わば実録もの。あの極端に細長い人物彫刻で知られるジャコメッティだが日本人哲学者矢内原伊作をはじめ、肖像画も多く描いている。しかし、取材で親しくなったアメリカ人作家ジェイムズ・ロードはモデルになってくれないかと誘われ「夕方までには書きあげる」との言葉を信じて、モデルを引き受けたのだが。

芸術家は、近代以降、その性癖が明らかになっている人はたいてい破天荒、気難し屋だったりする。そうジャコメッティの彫刻のあの細長さが、対象の要らない部分をそぎ落とすだけそぎ落としていけばああなるとの解説もうなずけ、作品はいいが、ジャコメッティと友人になるのはご免である。ましてやモデルなど、と思わせる。結局、ロードがモデルを務めたのは18日間。その間、愛人が訪ねてきて全然筆を握らない日や、完成間近と思えたのに塗りつぶしてしまったり。何度も帰国便を変更し、散財した上にニューヨークで待つ恋人には愛想をつかされる。そしてじっと席に座っていたら、思うように描けず苦悩し、叫喚する芸術家。朝からワインを浴び、時には売春屈へ。いらぬことに気を回さずさっさとえがいてくれたたらいいのに、と考えるのが凡人か。いや芸術家には作品が簡単にはできないだけの芸術家なりの理由がある。ジャコメッティは言う「(作品に)完成などない」と。

主演のジェフリー・ラッシュはもちろん脇を固める役もいい。弟ディエゴを演じるトニー・シャループ、愛人の娼婦がたびたび訪ねてくる家で微妙な表情を見せる妻アネットにはシルヴィー・テステュー。彼女はどこかで見たと思ったら、聾唖の両親のもとクラリネット奏者をめざした物語「ビヨンド・サイレンス」の主演少女だったのだ。

ディエゴと示し合わせて、また塗りつぶそうとするのを遮り、肖像画を完成させたジャコメッティとロード。これがジャコメッティ最後の肖像画となり、再び渡仏し、ジャコメッティと再会しようとしたがロードだったが、叶わず芸術家は逝ってしまった。

400年の差と、ドキュメンタリーと脚本の違いはあるが芸術家の真実に迫るのは知的好奇心を揺さぶられる。ボスの絵も、ジャコメッティの彫像ももっともっと見たくなった。

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歴史修正主義に抗い続けるために   否定と肯定

2018-01-07 | 映画

ナチスドイツ時代の非道や虐げられた人たちの悲しみを描く映画は枚挙にいとまないが、「シンドラーのリスト」を頂点とする実際的な暴力を描くものから、その時代を生きた人たち  それは被害者も加害者もそして、傍観者、被害者であり加害者である微妙な立ち位置、意識の人まで  多彩な人たちを描いてきた。そしてここにきて、戦後ナチスの罪を暴こうとした人たち、それに抗う人たち、長い沈黙の故を語る人たちの作品にシフトしてきた。

「ハンナ・アーレント」(2012年)や「顔のないヒトラーたち」(2014年)は言わばそれらナチスの犯罪に向き合わなかった戦後責任としての戦争責任追及映画と言える。「否定と肯定」はそのような作品群の中でも描かれた時代が1990年代とつい最近である。

「『ガス室』はなかった」。日本では雑誌『マルコポーロ』が廃刊にいたった事件では同誌の発売が1995年1月17日という阪神・淡路大震災と同日であったため、日本での騒ぎは海外のユダヤ人団体等からの指摘があってからとされる。しかし、その前年にこの「ホロコースト否定」訴訟がおこっていたことからすると、その当時ナチスの蛮行否定論者やアーヴィングのようなヒトラー崇敬者が一定論壇を沸かせていたということであるだろう。

ユダヤ人学者デボラ・リップシュタットの著作とその出版社を「名誉棄損」と訴えたのが後に言う「歴史修正主義者」のデイヴィッド・アーヴィング。しかも訴えた裁判所は、名誉棄損ではないとの立証責任を被告側に課する法制度のイギリス。そして、イギリスの法廷では事務=戦略策定弁護士(ソリシタ)と法廷弁護士(バリスタ)と明確に役割分担がなされている。学者の矜持と自身の良心を持って、アーヴィングと直接対決したいリップシュタットは弁護団の方針で法廷での直接証言も止められ、ホロコーストの生き残りである人たちの証言も採用しないという。弁護団と激しく衝突するリップシュタット。

アーヴィングの「嘘」は、彼が歴史的証言を意図的に誤訳、誤導したから。それはアーヴィング自身が反ユダヤ、差別主義者としての主義主張に裏打ちされたものである。学者としての客観的解読姿勢ではないからと、攻撃する弁護団の法廷戦略に最後は納得するリップシュタットであったが、裁判長は最後の最後になって「原告が信念をもって、(歴史を)そう解釈・著述している場合は表現の自由の範疇では?」。さて判決は。

現在、朝日新聞が「従軍慰安婦」の吉田証言についてその真実性を否定し、それを前提とした報道については撤回・謝罪したことから、日本の右派勢力が「朝日によって日本が貶められた」旨の裁判を起こしているが、もちろんすべて一審で敗訴している。これら裁判の詳細を承知していないが、おそらくは従軍慰安婦の強制性があったかなかったか?などという(ここではもちろん「強制性」の字義が問題となる。)中身の話に入ることなく、公器である新聞が誤報を認めて謝罪したからといって、すぐに原告らの名誉棄損といった損害賠償請求権が発生するかどうかという、原告適格などの訴訟要件の段階で蹴られたのであろうと思う。が、リップシュタットの裁判はかなり違っている。そこではホロコーストの真実性に対する学者の表現の自由をも問題になっているからである。日本では、大江健三郎と出版社を被告とした「百人切り裁判」が、その歴史的証言等も認定材料とされ、軍人の子孫である原告の名誉を棄損していないと大江側の完全勝訴で終わっている。しかし、通常リップシュタット裁判のような「中身」に入る裁判は考えにくく、現に、アメリカでは「(慰安婦)少女像」建立を名誉棄損と在米日本右派勢力(幸福の科学アメリカ支部が資金源ともいう)が起こした裁判はスラップ訴訟(企業等の資金・権力を持つ側が、その反対勢力を黙らせようと多額の損害賠償をふっかける裁判)であるとの認定を受けてさえいる。

本作の解説では憲法学者の木村草太が「「あ、これ知っている。」リップシュタットの裁判の詳細を調べたことがあるという意味ではない。もっと生々しく「いま、これを体験している」」と述べている。木村は「荒唐無稽な主張が、いつの間にか一般の人にも広がってゆく。日本でも、南京大虐殺など、日本軍の残虐行為を否認する主張についてよく見られる光景」とも言う。「従軍慰安婦」否定論者も「南京大虐殺」否定論者も、安倍政権応援団と重なる。そして、「教育勅語」を諳んじ、「安保法制とおってよかったね」(木村の指摘するように憲法学者の9割が「違憲」との立場)と幼稚園児に言わせる当時の森友学園名誉校長は安倍昭恵氏。真偽は不明だが、昭恵氏を通じて安倍首相から森友は現金を受け取ったと森友学園理事長は主張している。

日本でもリップシュタット裁判は必要か。そうでもしない限り、この国を覆う歴史修正主義を打ち壊せないものなのか。しつこくナチス映画=戦争責任を問い続ける欧米の映画に学ぶことはできるのだろうか。

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「動く絵」にゴッホの晩年に思いをはせる  ゴッホ 最後の手紙

2017-11-12 | 映画

ゴッホの死にまつわる話は多い。本命?の自殺説に加えて他殺説も多い。それも本編で出てきた村の不良説から、ガシェ医師説、最愛の弟テオ説まであるという。他殺説は眉唾とされているらしいので、一応自殺説がかたいのだろう。本作は、ゴッホのテオあての最後の手紙を郵便配達人の父から託された息子ルーアンが渡す相手を探す物語。ゴッホの死を探索するなかで、ゴッホが最後に泊まっていた宿の娘、ガシェ医師の娘と家政婦、ゴッホが訪れたボート屋の主人にパリの画材商などゴッホを知る人を訪ねるが、口々に語られるゴッホ像は一致しない。最後を看取った場所である宿の娘は「冷静な人」といい、家政婦は「邪悪な人」という。ゴッホの最大の理解者であったガシェ医師の娘は、言を左右する。

本作はストーリーもさることながら描かれるタッチがすばらしい。アニメーションの一技法であろうが、ゴッホのタッチを真似ることのできる画家が公募で150名も集められ、彼ら彼女らがアニメーションの原画を丁寧に描いて完成させたのだ。気の遠くなるような作業の成果は、まるでゴッホの描いた人物がそこにいて動き、話しているような効果を現出せしめた。郵便配達人、タンギー爺さん(パリの画商)、宿の娘、ガシェ医師、医師の娘、ボート屋の主人。すべてゴッホ作品に登場する人物たち。ゴッホは寝食以外すべて描画に時間をさいていたという。もともとのデッサン力はもちろんのこと、その人となりを滲み出させる画力は驚くべきものだ。

もともと画家を目指していたわけではないゴッホは、親が美術商であったが、その後継ぎに失敗し、牧師を目指しても挫折。奮起一転画家を目指した時点でその志を支え続けた4歳下の弟テオの存在なくしてゴッホの偉業は語れない。無一文のゴッホに、テオは仕送りを続けた。しかし生前売れた絵はたった一点というのは有名な話。そして心を病み、自殺。テオもゴッホの後を追うように半年後に病死。テオの妻ヨーがゴッホとテオの書簡を出版したことからゴッホの偉業が知れ渡るようになった。ゴッホが最後に過ごしたオーヴェールでの10週間で70点の作品を遺したという。晩年の創作意欲は驚異的だ。

それら晩年の肖像画を中心に「動く絵」でこの映画はできている。それだけでも新しいのに、ストーリーそのものがゴッホ評伝に忠実なのがすばらしい。そう、映画に限らずある特定の人物を作品化するとき、さまざまな「解釈」もあり得るが、ゴッホの場合、自殺説を前提にするならその道行きに齟齬はない。ゴッホの足跡を緻密にたどる描き方は作品の基本だろう。しかし、ともすれば歴史的評価が大きく分かれるような人物の場合「解釈」に、描きたい製作者の「評価」が上乗せされることも珍しくない。少なくともゴッホが「近代絵画の父」という表現が当を得ているかどうかは別にして、それまで歴史画・宗教画を中心とするアカデミーが独占していた絵画を、印象派が屋外や一人ひとりの市民や風景を描く革新を経た後、表現主義やシュールレアリズムの端緒となったフォービズムの鍵であることは間違いないだろう。そのゴッホでさえ、そこに行きつく前にパリでゴーガンやロートレック、日本の浮世絵などの影響を受けたことが大きいのは明らかだ。

現在動画界の主流であるCGにしてもアニメーションの丹念な作業の賜物である。「ゴッホ 最後の手紙」は、ゴッホの生涯そのものと、「動く絵」の醍醐味を味わえる稀有な作品である。あのうねるようなタッチのゴッホであるから成し得た業であるとはいえ、他の画家、たとえばオデュロン・ルドンやジョルジュ・ルオーなども取り上げら面白いのではないだろうか。楽しみである。

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政権批判は一人ひとりの行動から   ヒトラーへの285枚の葉書

2017-07-22 | 映画

本作では主演の2人より、ゲシュタポの警部を演じたダニエル・ブリュールがいい。ブリュールは4か国語を操り、ヨーロッパ映画界では引きも切らない存在となっているが、本作でもナチス=ヒトラーを弾劾するポストカードをばらまく「反逆者」を追う情け容赦ないゲシュタポの警部を演じ、オットーらを捕え、職責を果たしすっきりするかと思いきや、オットーらが斬首された後、そのカードを街頭にばらまき自死する。SS(ナチス親衛隊)に不合理な暴力を受け、オットーらの行動になにか責めきれないものを感じていた知識層の懊悩を演じていたように見えた。

ナチス下におけるドイツ人の反政府運動、反ヒトラー行動は軍のヒトラー暗殺計画が有名だが、「白バラの祈り」(60年前のお話では済まされない 白バラの祈り http://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/2c448236af9aaf4ed04823dbd5c239b8)で記したように圧政は、直接的な政府転覆行動のみならず、反政府行動、政府批判、事実報道すべてを弾圧する。白バラの場合、単に政府の言う戦果は間違いでスターリングラードで多くのドイツ兵が死んでいると書いたもので事実を伝えよと言っているだけであるのである。太平洋戦争期の日本でも事実は伝えられなかった。大本営は常に「戦果」発表であった。

1940年、ナチスドイツがフランスに勝利したニュースに沸き立つベルリンで、息子の戦死を伝えられたオットーとアンナ。平凡な労働者階級の二人はいま行われている戦争に疑問を持つ。「総統は私の息子を殺した。あなたの息子も殺されるだろう」とカードに記し、街にばらまくようになったオットー。アンナもその行動を支え、2年間に300枚近くのカードを街に発した。「ハンベル事件」は、オットーが勤務先の工場でカードを落としたために発覚し、夫婦とも簡単な裁判で斬首されたのが歴史的事実だが、それを発掘したのがナチス時代不遇をかこった作家ハンス・ファラダである。ファラダは戦後、本作の原作「ベルリンに一人死す」を書きあげ、直後に亡くなった。それが最近また「発掘」され、英語訳も出されたことから映画化となった。

ヨーロッパ映画の主要なテーマがナチスドイツを描いたものであることは間違いない。「シンドラーのリスト」でアウシュビッツの暴力を直接描いたあとは、ナチスの圧政に抵抗する人、しない人、逃げ惑う人、さまざまな作品がつくられてきたが、まだそれが衰えることはない。さすが「シンドラーのリスト」のような二度目の直視も勇気がいる作品は減ったが、ナチスの時代になにがあったのか、何を感じていたのかを描く映画人らの意欲は衰えることはないようである。これは、商業的にナチス=悪者、という描きやすい題材に乗っかったということもあるだろうが、しつこく伝え続け、描き続けなければならないと考えるヨーロッパ映画人の矜持ともとらえたい。ナチス時代に迫害されたのは、ユダヤ人や政権に批判的な人はもちろん、自由な報道をできなかったメディアそのものだからである。

オットーとアンナが撒き続けた政府批判のカードは権力から独立すべきメディアの本質を現している。加計や森友で、政権の姿勢でなんら明らかにされないと思われる日本の現状。政権批判をした街の人たちを安倍首相は「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言い放ち、政権批判の声を「こんな人たち」とまとめて否定した。オットーとアンナのカードが必要とならないために言うべきことは多い。

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自分が自分であることの権利と自由   「私は、ダニエル・ブレイク」

2017-03-27 | 映画

近年の作品からケン・ローチも好々爺となったかなど揶揄してしまったが、80歳になったローチがいったん映画から身を引くと言ったのに「怒り」故に本作を制作したということに、ケン・ローチが帰ってきた!と快哉を叫びたい作品となった。

そして「マイ・ネーム・イズ・ジョー」以来の労働者・貧困層ものの傑作と言いたい。傑作と言ったが、ストーリーはきつくエンディングは悲しい。

59歳の大工ダニエルは、医者に仕事を止められ、働くことができない。雇用支援手当を受けようと政府が民間委託した就労支援機関で「働ける」と認定され、手当てを打ち切られそうになる。その機関担当者たるや医師でも看護師でもない「医療専門家」。手当てを継続して受給しようとするためには、就労の意欲と活動を示さなければならない。しかし継続申し込み受付はネットのみ、担当者からの電話を待たなければならない。ネットが、グローバルにつながれる(という幻想の)分、個々のつながりや「お世話様」的、隣人的つながりを破壊したことは言うまでもないが、何十年も現場で大工をしてきたダニエルにネットは使えない。一方、機関で時間を護らなかったと追い返されるシングルマザーのケイティとその子どもと親しくなるダニエルは、生活に潤いを感じる。

しかし、貧困にあえぐケイティはフードバンクで極度の空腹で配給中に缶詰を貪り食い、スーパーで万引きをしてしまう。スーパーの警備員からの「困っているなら、連絡を」との誘いに乗ったら、案の定、体を売る仕事を紹介される。ケイティを助けたい、しかし自身も手当てが入らず困窮していくダニエル。就労活動をしないといけないので、自身の経験を話して採用されそうになるが「病気で働けないんだ」「ふざけるな!」。

「就労支援」機関でさんざんな目に遭ったダニエルは行動に出る。「I, Daniel Brake」などと建物にスプレーで大書するのだ。そう、就労希望者番号でも、ネットで区分けされ排除され、生活保護収容者予備軍(=国家の厄介者)でもなく、「私は、ダニエル・ブレイク」だと。ダニエルの抵抗はささやかすぎて、国家政策を動かすこともないし、ダニエルに手をさしのべる者もいない。しかし、もともと通信制大学に行っていたケイティが紹介した弁護士の手で不支給不服審査が通りそうになるが。

ケン・ローチがずっと描いてきたのは労働者だ。それは、ホワイトカラーのように種々のセイフティネットがあるわけでもない、将来が不安、しかししっかり働いて、それゆえ自己の尊厳を保ってきた労働者だ。

尊厳とは何か。筆者は「自分が自分であることのできる権利と自由」と定義したい。ダニエルやケイティを追い込んだのはもちろん経済的理由であるが、その前提として、ダニエルらの尊厳を奪う制度ややり方を告発しているのだ。大工としての腕はまっとうなのに、ネットが使えない、煩瑣な書類をことごとく要求して、それらができないとダメ人間のレッテルを張る仕組み。いかにして国の福祉・恩恵を与えないと、民間委託した「機関」にあの手この手で求職者、受給者を排除する国家。

イギリスは労働者の国ではなかったか?「ゆりかごから墓場まで」の国ではなかったか。もちろんサッチャー政権で福祉国家でなくなっていた。そして、今や、ブレグジットで主要な労働力である移民を排斥しようとまでしている。

しかし、湯浅誠さんは厳しく指摘する。「ダニエルはEU離脱を支持しただろうか。たぶんイエスだ。ダニエルはトランプを支持しただろうか。たぶんそれもイエスだ。」それは、私たち一人ひとりがダニエル、ケイティのような存在を忘れ去っていたのに、それに気づかないまま、トランプが「あなたを忘れていないよ」との声かけをして、それが効いたからとする。そう、ダニエルの尊厳を奪ったのは、国家政策、その末端機関、職員であったとしても、ダニエルに声をかけなかった、ケイティに手を差しのべなかった、新自由主義か高度資本主義か呼び方はどうでもよく、その流れを欲した私たちでもあったのだ。

人の尊厳が奪われることに無関心であるのは、自己の尊厳にも無関心であること。と思う。

ケン・ローチの復活に溜飲を下げている時ではない。

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女性首相が誕生する理由も分かったか、の国  未来を花束にして

2017-02-05 | 映画

18歳選挙権がはじめて行使された昨年の参院選では、18歳の投票率は45%程度であったという。全年齢のそれが54.7%であったので著しく低いともいえないが、そもそも投票に行かない有権者、というのが日本の実情だろう。そのような選挙の権利が女性には長い間なかったことを、投票に行かなかった人たちは想像できるだろうか。

原題のSUFFRAGETTEとは、女性参政権活動家を指す新聞の造語だそうだが、その中身は「過激な」ニュアンスが含まれる。事実、活動家たちは世間の耳目を集めるため、商店の窓ガラスを割ったり、郵便ポストを爆破、電話線を切断したりした。人を傷つけないようにしながら。一方、活動家か否かを問わず、参政権鼓舞集会や議会に詰めかける女性らに対する警察の暴行は苛烈である。警棒で殴りまくり、引きずり回し、そして牢獄へ。世の中の暴力で一番苛烈なのは国家によるそれであるというのは紛れもない真実であるが、100年前のイギリス、一応「紳士・淑女」の国でさえそうであったのだ。

映画に登場する人物は2人だけ実在の人である。一人は、中流階級出身で活動の理論的支柱であったエメリン・パンクハースト夫人。そして、国王に女性参政権実現を直訴するため、競馬レースの最中に、国王の馬の前に飛び出て「殉教」したとされるエミリー・ワイルディング・デイビソンである。それら実在の人物を追いかける、政治意識の特になかった下層労働者、洗濯婦のモード・ワッツは、運動を支えた当時の普通の活動家、支持者らの姿を投影したものだ。活動家の中には夫のDVにより公聴会で証言できなくなった者もおり、モードは、活動を理解しない夫により愛息を養子に出される。驚くべきことだが、女性には選挙権どころか、自分の子どもに対する親権もなかったのだ。失うものもないモードは変わっていく。

エミリーの葬儀に、多くの女性参政権支持者らが参列し、大きく報道されることによって、女性参政権の運動は、ロンドンの少数活動家の希みではなくなった。しかし、映画で描かれている1912年ころから、女性が参政権を得たのは6年後の1918年になってから、完全に男女平等選挙となったのはさらに10年後の1928年のことであった。ちなみに日本では1925年にやっと成年男子すべてに選挙権が与えられ、女性がその権利を得るのは1945年、戦後である。

過激と言われようと、時に実力行使までして自己の権利を実現しようとするのが市民革命である。そして市民革命を経てこそ、民主主義や共和政は勝ち取られる。エミリーが国王に直訴しようとしたくらいであるから、イギリスは王制のままであるが、真否、好き嫌いは別にして、王室の醜聞がこれでもかと書き立てられるのが、日本と違うかの国の姿でもある。そして、共和制を選ばなかったが、サッチャー政権後、苛められつくした感があるが、イギリスは紛れもなく労働者の国である。そして労働者の権利にしても、女性参政権にしても、上から降ってくるものではない。一人ひとり、それこそSUFFRAGETTE(の語源はSUFFER(苦しむ、耐える)から来たのではないかと思っていたが、SUFFRAGE=参政権、のこと)たることによってこそ、実現されるものだということだ。

日本では同じころ、1910年、女性の政治参加はもちろんのこと、差別のない社会をと訴えた幸徳秋水らが、冤罪「大逆事件」で国家権力により抹殺された。この事件で管野須賀子も処刑された。そんな時代である。国会で圧倒的多数を占める自民党は、天皇を「元首」、「家族は助け合え」と規定した改憲草案を発表している(2012年)。日本は100年間で何を学んだのか、我々は進歩したのか。

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英雄をつくること、自国民をほめたたえることが本意ではない 「ニコラス・ウイントンと669人の子どもたち」

2017-01-10 | 映画

杉浦千畝が日本で人気なのは、人道主義に基づいてユダヤ人を助けた、からではない。日本人にも世界に誇るいい人がいる、日本人はスゴイ、からである。そこにはその時代の戦争でユダヤ人を迫害・殺りくしたナチスドイツと同盟国であったこと、ナチスと同じように他国の人を迫害、殺りくした事実は顧みられることはないし、その世界大戦で圧倒的に侵略側であった事実が見返されることはない。「日本(人)は素晴らしい」から一歩も出ていないのである。

同時に、その戦争でドイツに対する見方はホロコーストに偏っているのも事実である。またユダヤ人の計画的殺りくは、絶滅収容所設立以降ととらえた場合、ホロコーストという語はその時期以降を指すものであり、それ以前のユダヤ人迫害と分けて考えなければならないのに、映画の世界も含めてナチスドイツのユダヤ人迫害全般=ホロコーストと捉えがちで、かえってナチスドイツによるユダヤ人迫害の全貌が一面的に描かれてしまうという指摘もある(本作のパンフレット、映画評論家江戸木純氏の論考による)。

ナチスがドイツの全権を握り、膨張=侵略、ユダヤ人迫害をすすめる中で、当初ナチスがとったのは、ユダヤ人の国外出国政策であった。それは、ユダヤ人の財産を奪い、追い出し、一文無しのユダヤ人を周辺諸国に押し付けることによって、周辺諸国でのユダヤ人=厄介者視、急激な移民流入による財政圧迫を企図したものであった。ニコラス・ウイントンによるチェコスロヴァキアでのキンダートランスポート(子どもの輸送)は、そういった背景を抜きに語ることはできない。イギリスの証券会社のディーラーであったニコラスは、請われるままプラハを訪れ、ナチスの迫害にさらされ、明日の命も危ういと感じた多くのチェコ人を目の当たりにする。まるで、取引をするかのように公的機関の移住担当を装って、チェコのユダヤ人の子どもらを移住させる計画を実行するが。

要請したすべての国に移民を断られたニコラスは、唯一受け入れを表明した母国英国での里親探しを徹底的に行い、受け入れの法的整合性を確保する。かくて1939年3月から9月1日に第二次大戦が勃発するまで669人の子どもの英国移送に成功した。これがもしナチスによるユダヤ人絶滅政策以降ならおよそ成功しなかったであろう。しかし、ニコラスは第二次大戦直前の9月に移送を予定していた250人の子どもらの移送を戦争勃発によって断念したことを悔い、669人を助けた事実を誰にも明かさなかった。それが、戦後50年経ってニコラスの妻グレタがたまたま物置で見つけたスクラップブックによってニコラスのなしたことが明らかになったのである。スクラップブックには「輸送」の克明なデータが記載されていたのだった。

映画は、完成に先立つBBCのドキュメンタリーなどが下敷きになっている。グレタから資料を得た記者が、ニコラスに助けられた子どもらを探しだし、テレビ番組で再会させるというサプライズを用意したのだった。ニコラスはすでに90歳だったが、それまで長きにわたり慈善活動を続けていて、すでに大英帝国勲章を受章するなど有名な人道活動家であった。しかし、若い頃、戦前チェコで子どもらを助けたなどグレタも知らなかったことだ。そして、その子どもらの親らはほとんどすべて絶滅収容所に送られるなどして、子どもらと再会できていない。ニコラスに子どもを託したことで子どもらだけは助かったのだ。

本作の肝はニコラスの善意を描くことだけではない。その後ニコラスに救われた子どもらの子、孫らが世界で自分たちができること、知らない世界の子どもらを支援する取り組みに踏み出したことが描かれる。そこにユダヤ人であるとか、キリスト教精神があるからとかは関係ない。謙虚であったニコラスが助け、その思いをつないだ孫の世代はやはり謙虚にできることをしようとしているだけだったのだ。

ある一つの民族や人種、階層を迫害した歴史の中、ニコラスのように時に無私の構えで迫害される他者を支える行動はのちに賞賛されるし、されてしかるべきだ。しかし、そのような歴史が繰り返されると分かっているのに、何もしないのは大きな罪である。ヘイト・スピーチが跋扈し、世界的に不寛容なすう勢と歩調をそろえるかに見える日本の在り様もまた、そのような英雄でないニコラスを見習いたい時代であると思う。

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「日常」を蝕む「銃後」という実相  「この世界の片隅に」

2017-01-03 | 映画

茶色のやつを探せばいいだけだとわかるさ。

子犬だって見つけられる。

そうすれば、俺たちと同じように、

規則を守ってるんだと安心して、

死んじまった昔の犬のことなんてすぐに忘れるだろう。

(『茶色の朝』フランク・パヴロフ)

 

資金が足りず、クラウドファンディングで支援を集め、やっと制作、上映したところ、異例のロングランヒットとなり、年を明けても上映中でやっと観られた。地味なアニメーション、静かな展開、大きな事件と言えば主人公のすずが米軍の落とした爆弾で右手を失うことくらい。描かれるのは日常。広島市で海苔業を営む両親のもと育ったすずは縁談が来て、そのまま呉の北條家に嫁ぐ。夫周作の姉黒村径子からは「いけず」をされるが、径子の子晴美からは慕われ、平々凡々と過ごす日常。しかしその平凡な日常とは銃後の日常。

戦時統制で食糧は欠乏。配給はどんどんひどくなり、食べられるものは雑草でも何でも工夫して食いつなぐ。きれいな着物はすべてモンペに。防空壕を掘り、軍事教練と防空演習。それでも文句も言わず、苦しい日々を生きるすずをはじめ、北條家の人間はせっせと働いて過ごす。やがて防空演習は、本物の空襲となり、それでも世の流れには決して逆らわない。しかし、銃後は生活そのものを、一人ひとりを、人との関係を壊していく。すずの兄は戦死し、石ころ一つで還ってくるが、命があまりにも軽く失われていく。天皇を守るためには、己の命など、鳥の羽より軽いと思え(「人固有一死 或重於泰山 或輕於鴻毛」司馬遷『史記』より)とした軍人勅諭のもと、一兵卒の命などどうでもよかった天皇制軍国主義下、兵隊でもない人の命などもっと軽かった。そしてその死について、何の説明も保障もない。そもそもなぜ戦争をしているのか、いつまで続くのかも分からない。すずらにとって。

右手を失ったときに晴美も命を奪われるが、それら最大の理不尽を強要するのが戦争の実相、実態だ。ただ、知らないこと、知ろうとしないことも罪であると佐高信が指摘するように戦争「責任」は、日常の無知、無視から発展する。そういった意味ではすずらもあの戦争の加害者でもある。

しかし、同時に先述のようにすずは徹底的に被害者でもあった。呉に嫁いだために原爆に遭わなかっただけのことだ。そしてすずの日常は、日本国内あまねく銃後を担った人たちの日常であった。玉音放送の後、静かだったすずが初めて「なんで今になって」と戦争が長引き、多くのものを失ったことを嘆き、慟哭する。好意的な見方をすれば、本作がこれほどヒットしたのは、原作者のこうの史代が言うように、現在の政権のすすめる「嫌な感じ」が戦前のあの時に似てきているように感じる危機感を、多くの人が持ったからせめてと映画館に足を運んだからかもしれない。同時に、ただアニメーションの可能性とか、「安保」法制や南スーダン派兵など現実で進行している事象を自分とはなんの関係もないと「平和ボケ」日本人が「無視」を決め込む一般的な感性でもあるのだろう。

 

茶色以外の猫をとりのぞく制度にする法律だって仕方がない。

街の自警団の連中が毒入り団子を無料で配布していた。

えさに混ぜられ、あっという間に猫たちは処理された。

その時は胸が痛んだが、

人間ってやつは「のどもと過ぎれば熱さを忘れる」ものだ。

(同)

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