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kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

「受け継ぐ者たちへ」真に受け継ぐやり方とは   「奇跡の教室」

2016-11-12 | 映画

フランスは揺れている。映画の冒頭、学校にムスリムの生徒がスカーフを被ってやってくる。バカロレア(高校卒業・大学受験資格国家試験)の合格証明書を取りに来ただけなのに「校内ではスカーフを取」るよう教師に言われ、揉める。在校時はスカーフをはずしていたのに。フランスのライシテ(世俗主義)は公の場で徹底的に宗教性を排する。学校でイスラム教の象徴であるスカーフは許されないし、十字架も隠せと言われる。それは宗教的権威や王制を否定した共和制の証と伝統なのであろう。しかしトリコロールの青「自由」は、自由であれというあまり、時に規制の方向へ走る。スカーフが学校でムスリムを多数派にするわけでもないし、ましてやイスラム原理主義の温床になるとも思えない。自由が不自由を生み出すジレンマ、これもまた民主主義的共和制の苦悶の姿でもあるのだろう。

パリ郊外の移民の多い地域クレテイユのレオン・ブルム高校の1年生ゲゲン先生のクラスは荒れ放題。授業中に化粧はするわ、ヘッドフォンを離さないは、授業妨害、けんかも。アフリカ系、アラブ系、日系の子もいる。成績は最低、無断欠席も多く「問題クラス」。歴史地理と美術史を教える担任のゲゲン先生は、生徒らに目標と一緒に作り出すことの大切さを教えようと提案する。「ホロコーストでの子ども、若者のことを調べてコンクールで発表しよう」と。もともと授業もきちんと聞いていないし、「調べる」訓練もしていない生徒らは興味も持たず、あるいは「できるわけがない」。そもそも彼らには家庭での学習環境が整っていない。アル中の母親を持つレアは将来「生活保護で生きる」とい言い放つ。けれど、みんなが少しずつゲゲン先生の情熱と生徒に対する信頼に気づき、熱心に調べ始めたころにはレアも変わる。強制収容所経験のある、ユダヤ出身の政治家シモーヌ・ヴェイユの自伝を読んではまりこんでいくのだ。極め付けはアウシュビッツからの生還者レオン・ズィゲルが生徒らに自身の経験を語った場面。いくらインターネットでサクサクと調べても、文献で読んでも感じられなかったホロコーストの実態を、証言者の語りに、真実の訴えに、あれだけ落ち着きなく騒いでいた子どもらが沈黙、引き込まれ涙する。生徒の「宗教があなたを生き残らせたのですか?」という質問にズィゲルは答える。「いえ、私は無神論者です。がんばったことを後で自慢しようと思ったこと、それが支えでした」。なんのことはない、ズィゲルもいいかっこをしたかったブルム校の生徒と同じ10代の普通の子どもだったのだ。

出来すぎだが、レオン・ブルム校の生徒とゲゲン先生の発表はコンクールで一等賞をとる。けばけばの化粧だったレアは、コンクールのプレゼンテーションですっぴん、堂々とグループの成果を述べる。しかし本作はノンフィクションであるところがすばらしい。ゲゲン先生は名前こそ違うが、高校も生徒も実在で、ゲゲン先生のモデルとなった教員は今もその高校の教壇にたっている。

生徒の中アラブ系で、次第に熱心なイスラム教徒と変化していく男子は、同じくアフリカ系ムスリムと諍いをおこす。「なぜ、モスクに来なかったのか」。名前もムスリム的に変え、ユダヤ人虐殺を指弾することは、イスラエル称揚につながるとグループ学習に距離をおく。結局彼は、共同作業はするが、コンクールの発表・表彰式には参加しなかった。一方、人種を超えて共同作業の価値を知った生徒は街中でムスリム差別に直面する。さらに学習の中で分かったのは、ナチスドイツに支配され、傀儡となったときのフランスはすすんでユダヤ人やその子どもを強制収容所送りとして差し出したことも。

自信と目標、学び続けることの大事さを知った彼ら彼女らはゲゲン先生のクラスを離れた後も、バカレロアで優秀な成績でとおった者が多いという。しかし、度重なる「テロ」で分断がすすむフランスでは、来年の大統領選で極右・排外主義の国民戦線のマリー・ルペンが勝ち抜くこともあり得る様相。すでに日本ではグローバルスタンダード的には「極右」の安倍政権が盤石。先ごろアメリカではレイシストのトランプ大統領が誕生した。EUを離脱したイギリスに、オーストリア、ハンガリーなど排外・右翼政権の誕生がヨーロッパを席巻している。

なにごとにも、とことん議論を尽くし、「自由」と「平等」、「寛容」を旨とするフランスのそれら価値は「教室」から生まれ、育まれる。軍国少女、戦後その反省から民主教育にまい進した北村小夜さんは、「戦争(軍国主義)は教室から生まれる」と指摘した。「奇跡の教室」の原題は「受け継ぐ者たちへ」。受け継いでほしいし、受け継いでいいと思ってもらえるほどの引継ぎが、戦争を知る者と、その橋渡しを紡いだ世代の責任である。

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日本酒の深さと造り人の広がりに「カンパイ! 世界が恋する日本酒」

2016-10-10 | 映画

愛の映画である。日本酒への愛、作り人への愛、コメ農家への愛、日本酒を広げようと奮闘する人への愛。しかし、愛では日本酒の魅力を伝えきれない。愛の奥に合理的な戦略、簡単には真似できない努力がある。

日本酒というか、アルコール全体の消費量はじり貧である。その理由は、若い人がアルコールをあまり飲まなくなった、飲酒運転による悲惨な事故が相次いだ、飲酒時のマイナスイメージなどいろいろあるだろう。しかし、「悪酔い」という言葉もあるように良い飲み方を実践すればよいし、そのためには悪酔いしないお酒を選ぶこと。日本酒、アルコール全体の消費は減っているのに、日本酒の海外輸出はどんどん伸びている。三増酒(三倍増醸清酒)の時代しか知らない者からは、これが日本酒!と思わせるほどの洗練されたSAKEが今や世界を席巻しつつあるといっても過言ではないのである。

そのような洗練された日本酒をつくることを目指し、紹介してきた3人が本作の主人公である。英国は地方出身のフィリップ・ハーパーはアメリカ人ジョン・ゴントナーとともにJETプログラム(日本の公立学校への英語教師派遣プログラム)で来日した。日本酒について全く興味も知識もなかった2人がそれぞれ日本酒の魅力に取りつかれ、ハーパーはその後奈良県の酒蔵の蔵人となり、大阪の酒蔵を経て、京都の木下酒造の杜氏として迎えられ、新しいお酒をどんどん生み出している。片や、ゴントナーは日本酒伝道師として世界にその魅力を発信するとともに、英語で日本酒を教える「酒プロフェッショナルコース」を開催し“信者”を増やしている。やがて信者らは日本の外で蔵(ブリュワリー)を展開していく。

造り酒屋の5代目、久慈浩介は地元で「蔵を継ぐぼんぼん」という視線に重圧を感じていたが、蔵に戻り、蔵元となると持ち前の行動力、アピール力で南部美人を海外展開していく。  

映画はこの3人へカメラを向けて展開していくが、日本人のどの蔵人以上に職人気質のハーパーは最初撮影を断ったという。しかし小西未来監督の説得と「押しかけ」によって、その日本酒と造りに対する揺るぎない信念を見せつける。主人公はこの3人だが、彼らを取り巻く仲間や支えあう人々も撮りこまれる。久慈の友人で東京農大の同級生の鈴木大介はハーパーと蔵人として一緒に働いたことがあり、そして、東日本大震災で友人や実家の蔵を失った。流された蔵の跡や友人の墓を訪ねる鈴木にカメラは同行する。失くしたものは還らない。しかし、鈴木は現在山形県で旨し酒造りに挑むことで、震災を失ったものを忘れないようにしているように見える。震災後すぐに花見で酒を呑んでくださいと訴えた久慈も思いは同じだろう。当時は「自粛」ブームの中「花見なんてとんでもない。酒を売りたいだけだろ」という中傷もあったそうだ。しかし、このような「自粛」(=実際に被害者が止めてくれと言っているのではなく、周囲や関係のない人が、被害者感情を過剰に忖度する日本人的感性)では地元の復活や、心の回復にはつながらないと、むしろ世界に打って出た久慈こそ勇気ある人だろう。

映画が伝えたいことはたくさんある。日本酒の奥の深さは言うまでもない。しかし、久慈が自分の息子を継がせるかどうか、彼が継ぐかどうかなど分からないと言った言葉に、娘は対象でないというジェンダーの問題。ハーパーほどの求道者でなければ務まらない蔵の「ブラック」な労働条件、そして杜氏制度をなくし大成功した「獺祭」(旭酒造)に見られるような近代化・合理化の波とどう付き合うかなど。

 現在女性杜氏も複数誕生し、東京農大の風景では女子学生がたくさん見られた。変わらなければならないことと変わってはいけないこと。酒造りはその難しさを端的に見せてくれる世界なのかもしれない。ところで英語で表記されるSAKEは英語では目的とか理由といった意味である。お酒をつくる目的と理由とは何か?人に幸せをもたらすため? イスラム世界を除外しているようだが、含意深い語ではある。

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傷は共有できないが、人は共存できる   シアター・プノンペン

2016-09-24 | 映画

1990年代末から2000年代にかけて、旧ユーゴスラビアを舞台にした優れた映画が何本も制作された。旧ユーゴではクロアチア紛争に始まってボスニア、そしてコソボへと内戦を繰り返したが、そのすべてが一応収束し、クロアチアなどは現在観光大国となっている。

旧ユーゴでの内戦とはなんだったのか? 民族紛争であろうが、先日まで同じ国の隣人として接していた人に銃を向け、そして殺される日常。その理不尽さ、悲しみ、怒りなどを描いた秀作が多かったということだ。内戦終結からわずか数年から10年以内にである。

一方、「シアター・プノンペン」の舞台カンボジアは長らく内戦が続いていたが、1991年のパリ協定で終結したとされる。そして、その内戦の引き金となったのが、ポル・ポト派(クメール・ルージュ)の支配であった。

ポル・ポト時代を描いた映画と言えばその過酷さを頂点的にきわめた「キリングスフィールド」がまず思い起こされる。しかし、「キリングス」が「シンドラーのリスト」のように戦争、ジェノサイドの過酷さも実際を描いていたのに対し、「シアター・プノンペン」はまるでユーゴ映画のように戦争のそのものを描くというより、その外縁部を描いているように思える。厳格な父親と病気がちな母のもとで大学生活を送るソポンは、夜な夜なボーイフレンドと遊び歩いている。ある時、学校そばのバイク置き場になっている古い映画館でクメール・ルージュ時代を映画監督して弾圧、収容されたソカに出会う。ソカが映画「長い家路」の最終巻を失ったことを知り、美しい女優だった母親ソテアを見つけたソポンは、映画の撮り直しをはじめる。

 実は、ある意味単純なクメール・ルージュ時代の悲惨さを振り返る作品かと思っていたが、物語はもっと複雑だった。ソカは映画監督でもなんでもなく、ソカの兄がそうだった。そして兄を「映画監督だ」とクメール・ルージュに密告し、殺させたのはソカ自身で、失われたとされる「長い家路」の最終巻は実は残されていたのだ。そして、そこで描かれていた結末とは。

物語は重層的である。それは現実がそうであるから。クメール・ルージュの時代、300万人とも言われる人が犠牲になったが、生き残った人の中には、親族や仲間・友人を裏切り、差し出すことで命を助かった人もいるだろう。そして、圧制側のクメール・ルージュの下層兵士の中には、戦後その内戦時の犯罪から逃れた者も。加害と被害、加害者がかかえる悩みと被害者がかかえる悔い。ソポンに代表されるように戦後生まれた世代は、内戦を知らず、内戦時を生きた人々は語ろうとしなかった。しかし、同じ国の同じ民によって膨大な人が殺された歴史は、それを語り、伝えることによってしか反省や抑止にはつながらない。

 ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』では、圧政、内戦や戦争によって、荒廃した国土の復興に土木建築をはじめ、産業界の需要が大幅に増大するから、巨大資本が戦争を欲する構造を明らかにした。カンボジアも現在、西側の格好の投資の対象となっている。その中で薄れていく内戦の記憶。しかし、それは薄れさせていく力がはたらいているからで、本当に消えるものではないだろう。

 ソポンが母親らの苦難の時代を知り、向き合うとき、若い世代が紡ぐ平和とは本当に力強いものになるだろう。沖縄でもひめゆりの現役世代が年をとる中で、若い語り部が生まれている。人が人に、それも個人的理由ではなく、殺意を向けた時代を再び再現させないためにシアター・プノンペンが問いかけるものは多い。

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本当の「絶望」が「壁」を壊す   オマールの壁

2016-06-29 | 映画

前作「パラダイス・ナウ」ではいわゆる「自爆テロル」実行者に選ばれたパレスチナ青年の日常と彼らをとりまく群像劇を描いて見せた。そこでは「殉教」を選ぶ「大義」に重きが置かれていた(理想郷はそこにある パラダイス・ナウ http://blog.goo.ne.jp/kenro5/s/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%B9)。しかし同時に「殉教」までせずとも、日々圧迫の元凶であるイスラエル側に一泡吹かせてやろう、一矢報いてやろうという思いは多くのパレスチナ人に共有されるものだろう。

オマールは高さ8メートルの分離壁をよじ登り、仲間と彼女に会いに行く。ふだんはパン焼職人としてなんとか食いつないでいるが、幼馴染のタレク、アムジャドと練っているのは検問所のイスラエル兵を襲うこと。タレクの妹ナディアと恋仲にあるが、タレクに結婚したいと言いだせないでいる。ある日イスラエル兵に不合理な(そもそも占領自体が不合理、非合理の極みである)仕打ちを受けたオマールは「今日、襲おう」と2人に持ち掛ける。見事アムジャドがイスラエル兵の狙撃に成功するが、秘密警察にオマールは捕まってしまう。拷問、そして「協力者」にならないかと持ち掛けられ、解き放たれるが、それ故非占領、パレスチナ人居住区で「内通者」「裏切り者」と目される。裏をかいて、取引した捜査官らの襲撃を迎え撃とうとするが。

全編緊張感にあふれている。そしてオマールとナディアとの恋の行方も見放せない。しかし、日本の作品名にある「壁」とあるように(原題は「オマール」)その壁は物質的、具体的な壁を表しているだけではない。オマールに「協力者」を持ちかけ、それ故仲間との間に生まれる「壁」、貞操と家父長制が厳しいイスラム社会でナディアとの結婚に暗雲が指す「壁」。そして、オマール自身、自身の本当の気持ちと誰を信じ、信じてはいけないのか、何を信じ、信じてはいけないのかとともに、そういった答えを欲しない、逡巡する自己内の「壁」。仲間のあいだで「こいつがスパイではないか」と疑うことは、相手もそう疑っているということだ。最初捕えられた時、オマールは「自白はしない」と言いきった。その「自白しない」言説自体が「自白」になり「懲役70年」となるから無茶苦茶だ。しかし、オマールの「(それは)変わらないのか?」の問いに弁護士は「占領が続く限り」。

「壁」は絶望の象徴である。絶望した若者は―若者に限らないけれど―なんらかで、自己の命を失うことに躊躇を覚えない。それが「自爆テロル」であったとしても。

しかし、オマールにはナディアと結婚するという夢がある。占領下の夢。これは逆説である。夢とは、自己を束縛しないことを意味するのに、さまざまな「壁」の中でも思い描く夢とは。オマールは、自分を「裏切り者」に仕立て上げ、結果的にナディアとの仲も裂き、パレスチナ社会での自分の立ち位置を貶めた狡猾なイスラエル秘密警察捜査官ラミを、射殺するが同時に抹殺される。

「壁」に明日はない。そして明日を作らない、考えさせない。けれど、生きている。佐高信は、安倍改憲政権の時代にリベラル派の「絶望」が足りないといった。「絶望」と「生きている」ことの両立が大事で、そして「オマールの壁」は観る者を奮いだたさせる。

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ジャーナリストには気概と「正義」を  スポットライト 世紀のスクープ

2016-05-08 | 映画

アメリカには、ポリティカル・コレクトネス(political  correctness)という用語が幅を利かせている。政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別偏見が含まれていない言葉や用語のことで、職業性別文化人種民族宗教ハンディキャップ年齢婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現を指す。なかでも「宗教」はセンシティヴで大きなファクターだ。

スポットライトで描かれるのは、ボストンのカトリック界で、司祭らが子どもを性虐待していたことをおおい隠そうとしていた事実をボストンのグローブ紙がスクープした実話がもとになっている。おぞましいばかりの性虐待。なかには成人後、その傷に苛まされ、自ら命を絶った被害者もいる。そう、性虐待は、魂の殺人なのだ。

問題は、そのような事件を、カトリック界を敵に回す報道を地元新聞社として全面的にできるかということ。ボストンはアメリカでも有数のカトリックの強い地域で、ボストン・グローブ読者の53%がカトリックと言う。しかし、さきほど「ボストンのカトリック界で」と書いたが、ボストンで起こっていたことは、全米、いや全世界で起こっていたことだ。そうするとヴァチカンを敵に回すことになる。記者ら、特に上層部や、教会とつながりのある弁護士らが事実を明らかにすることに躊躇、反対することは当然だろう。しかし、ジャーナリズムにはポリティカル・コレクトネスではないけれど「正義」は必要だ。少なくとも、この件を明らかにしようとした新任の編集局長バロンと「スポットライト」チームはそう考えた。

被害者の証言は必要だが、聞き出せるのは容易ではない。話せるのは自己の被害を知らせて、加害者をきちんと罰してほしいと思うサバイバーだけだからだ。そして、記者の一人サーシャが偶然会うことのできた司祭は「いたずら」であって「性暴力(行為)」ではないという。それは「満足を得られなかったから」。自分勝手で明らかに倒錯しているが、性暴力加害者とはあながちそういうものかもしれない。「いたずらだった」「合意があった」。そして、元神父で「問題のある」神父が送られてくる療養所で働いていた情報提供者のサイプは性犯罪を研究してきた心理療法士でもあり、加害者の性癖を分析してみせる。加害者は「性的に未熟」あるいは「神父全体の6%が小児性愛者である」と。

サイプの指摘通り、ボストン全体の神父中約6%の87名が関わっていたことが記者らの調査で明らかになる。そして、泣き寝入りさせられていた被害者らに強引に示談を持っていたのにはチームリーダーであるロビンの旧知の友人である弁護士が関わっていたことも。

全編、スリリングでウォータゲート事件を暴いたかの「大統領の陰謀」を彷彿とさせるジャーナリズムの王道。ボストン・グローブ社はこの報道でピュリッツァー賞ほか多くの報道大賞を得、映画はアカデミー作品賞・脚本賞を受賞した。

ジャーナリストは第4の権力足り得るためにどのような取材対象にもひるんではならない。しかし、「正義」のアメリカだからこそ暴かれたのかもしれないし、そこにカタルシスを持つ向きもあろう。翻って、NHK会長が「原発報道は政府・電力会社側の言い分を」といい、報道関係者の重鎮は、度重なる首相との会食をこなしているこの国。報道の自由度ランキングが史上最低の61位になった日本。甘利経済再生相の収賄疑惑もきちんと続報がない。政府の武器輸出を「防衛装備移転」との造語に乗るメディアの姿勢といい、スポットライトチームのような気概も「正義」もないことは明らかだ。

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違いを笑いに、そして理解と友好に  「最高の花婿」

2016-05-03 | 映画

テーマは国際結婚。しかし、デフォエルメされているとは言え、フランスは北部シノン城近郊の由緒ある旧家の娘らの婿は長女がムスリム、次女がユダヤ、三女は中国人。そして四女の彼は…。

フランスで大ヒット、史上最高の興行収入をあげたのにはわけがある。フランスでの国際結婚率は20%。他のEU諸国の平均5%を大きく超える。周囲の5人に1人は国際結婚という割合。そしてドイツが歴史的にトルコなど中東地域からの移民が多かったことに比べて、アルジェリアを植民地として有していたこともあり、対岸のアフリカからの移民が多い。身近な話題かつ、切実な問題なのだ。

大きな枠組みの中で文化の違いと一言で片づけてしまいそうだが、その中身は食習慣であったり、どのような行為を許容あるいは拒否するかという宗教的バックグラウンド、他の民族をどう見てきたか、どう接してきたかという歴史的背景、そして日常の言動・しぐさと言った個人的相違まで。イスラム教徒が豚肉を食さないのは有名だが、長女の夫のように飲酒をする人もいる。最近では日本でもハラル(イスラムで食していいもの、またその加工法)は知られるようになってきたが、フランスではほぼ当たり前。ハラル認証の食品だけを扱うお店は、主人公夫婦が住む比較的古く保守的なシノンの街にもある。そして、次女の夫はコーシャ(ユダヤ教で許された食品の規定)にこだわる。面白いのが、次女の夫はさかんにナチュラルコーシャで商売を起こそうと試みるが「ユダヤ市場は小さい」と相手にしてもらえない。そこで、三女の成功した夫に資金を提供してもらってはじめるのはハラル食品。その頃にはいがみ合っていた、あるいはギクシャクしていた彼らも仲良くなっていたということだ。

四女の彼はカトリックで、両親は喜んだが、連れてきたのはコートジボアール出身の黒人。ショックを受けた母親はうつで倒れ、父は庭中の木を切りまくるという奇行に出る。離婚の危機と心配した長女らを助けようと、長女の夫以下3人自分らのことは棚に上げて、一致団結して四女の中を裂こうとする。そして四女の結婚にもっとも反対したのは彼のコートジボワールの父親。本国ではかなり裕福な層で、その分ナショナリズムの意識も強い。「フランス女(と訳していたが、カトリーヌ・ド・ヌーブと言っていたのが笑える)に大事な息子をやれるか」。二人の結婚(式)を潰そうと画策する両方の父親。しかし、「ドゴール主義者」で意気投合し、結婚を許すことに。そうとは知らず、結婚をあきらめ傷心のまま一人パリに帰ろうとする四女。

本作は最初から最後まで笑いっぱなしで見られる。それも、さきの文化的摩擦や意識、言葉の端々に見られる他者への偏見と皮肉、そして「差別していない」と強調するのに丸見えの差別意識。これらを少しカリカチュアしてはいるが、分かりやすく、おそらく「フランス人」の本当の姿で、また自分らの姿であるからに違いない。これら厳しい世界を笑いで描けるのはすばらしい。

ヨーロッパでは他者を皮肉り、自分を笑うジョークに事欠かない。しかし、長い戦争を経たヨーロッパの国々が再び戦争をしないための知恵であり、揺れていはいるがヨーロッパ統合の理念の証である。不安定な中東や北・西アフリカ情勢のもと多くの移民が再びヨーロッパを目指す現在。移民政策に濃淡があり、テロ事件に見舞われたフランスは対移民強行政策に舵を切りつつある。しかし、自由や平等を旨とするフランスの国是を揺るぎないものだと自覚する矜持をこの映画に見た。

お互いに笑いあうペーソス、余裕を持たずに戦争の危機ばかり煽っているかのように見える東アジア情勢。フランス国民ではなく、東アジアの一員たる私たちこそ見るべき作品かもしれない。

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戦争加害者は常にその加害に無自覚である  顔のないヒトラーたち

2015-11-23 | 映画

森達也さんが「多くの歴史的過ちは、こうして始まった」(『「開戦前夜」のファシズムに抗して』所収 2015.10 かもがわ出版)で、カンボジアを訪れた経験を語っている、プノンペンにあるトゥール・スレン虐殺犯罪博物館は、クメール・ルージュが支配していた(ポル・ポト派の)時代、学校の校舎で殺りくを繰り返していた現場。拘束器具はもちろん、血のりもふくめてすべてそのままに残してある。カンボジアの負の歴史を隠そうともしない。

森さんもだが、筆者はアウシュビッツを訪れたことがある。アウシュビッツはポーランドだが、ドイツが、その存在、世界遺産登録に反対したことはない。ドイツ最大の負の歴史の証拠であるのに。ドイツ国内にもダッハウやビルケナウなど強制収容所であった場所は、ナチスの蛮行と戦争を記憶する施設としてある。翻って森さんは言う。カンボジアやアウシュビッツをはじめとしてドイツの博物館を訪れて、カンボジアは野蛮な国、ドイツは尊敬するに値しないひどい国だと思うだろうかと。

「顔のないヒトラーたち」は、アウシュビッツでなされたことが、戦後ドイツ市民に知らされていなかったこと、歴史的記憶が共有されていなかったことを明らかにする。しかし、戦後13年、1958年、戦後復興にまい進するドイツでは、フランクフルトでアウシュビッツの実相、ナチスに加担した「普通」のドイツ市民の責任追及を明らかにしようとする正義感あふれる検察官ラドマンには壁の連続だった。

しかし、ユダヤ人で被収容経験のある検事総長バウアーの後ろ盾を得て、アウシュビッツを生き残った人たちの証言を得、アメリカ軍が保有している膨大な資料を精査、ナチスの先兵として加担した市民を逮捕、告発していく。ナチスの時代を隠そうとする政権や市民の思いは強く「父親を犯罪者として告発するのか」との攻撃、「傷が癒えている寝た子を起こすな」との批判に耐えて。そして、捜査に5年の歳月を要し、1963年に始まったアウシュビッツ裁判で、ドイツ人の市民が侵した罪を裁くことになった。ナチスに加担し、ユダヤ人らを殺りく、その末端を担ったのに、戦後は加害性を一切問われない普通の市民面していた人たちが裁かれたのだ。

このフランクフルトの検察官らの正義を求める意思が、ドイツで本当にナチス時代を清算することにつながったのだ。その後、賛否はあるがドイツでは「闘う民主主義」の伝統が根付く。民主主義のためには、自国民すべてに及ぶ過去の加害事実に目を向けないことはないと。

それは、いまだアウシュビッツ、ホロコーストに関する映画を制作し続けるドイツの姿に明らかである。冒頭の森さんの言説にかえれば、自国の負の歴史を描いたからといって、「ドイツは残虐でひどいから付き合わない」と思いますかと。「従軍慰安婦はなかった」「強制連行はなかった」「朝鮮半島、台湾、中国満州等で日本はいいことをした」。自己の負の歴史を否定し、それを後ろ押しする政権と、その政権を「支持」する世論。この国では1958年当時のドイツまでもたどり着いていない。

さらに、森さんは言う。日本で戦争を思い起こす「記念日」といえば、1945年8月15日である。ところが、ドイツではヒトラーが全権を握った日と、アウシュビッツ解放の日を戦争を記憶する日としていると。その違いはとてつもなく大きい。

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これは遠い日の出来事ではない 「自由」のために ヒトラー暗殺、13分の誤算

2015-11-03 | 映画

「ある部分が当時のドイツの空気と似ていなくもない今日の日本に暮らす私たちは、この物語を遠い他国の昔の話だと言ってはいられないと。」(きさらぎ尚)

 本作の主人公、実在する一介の家具職員ゲオルグ・エルザーがヒトラー暗殺に失敗したのが1939年11月8日。ヒトラーがドイツで全権掌握してから6年が経っていた。その頃日本は、1931年の柳条湖事件後、32年の満州国建国、そして37年の盧溝橋事件で中国大陸への侵略を本格化させていた。39年7月には国民徴用令を公布しており、40年の大政翼賛会設立、そして41年の日米開戦へと総力戦前夜であった。エルザーは早い段階から、ヒトラーの危険性に、ドイツが戦場になり、多くの犠牲が出ることを予感していたのだろう。そして、ヒトラーを暗殺しなければ、自己の自由が奪われると。

エルザーが守りたかったのは「自由」。イギリス諜報部の差し金でも、ロシアの陰謀でもなかった。だからむしろ、過酷な拷問を受けても、ナチス=ヒトラーが欲するような暗殺計画の背後、理由など自白しようがなかったのだ。さすがに恋人エルザに危険が及んだときに、黙秘を止め、自ら爆弾の製造方法などその綿密かつ大胆な計画を語ったが、「一人でやった」を押し通すことができたのだ。むしろ、エルザーを恐れていたのはヒトラーの方。だからありもしない「背後」を暴こうと、拷問ときに懐柔などあらゆる手を使って、「真実」をエルザーに吐かそうとするが、決して殺しはしなかったのだ。

エルザーの破壊工作でヒトラー以外の8名の市民らが亡くなった。だから、その「テロ行為」を賞賛する者もいなかったし、エルザーの名は長くドイツの歴史の中で黙殺されてきたという。逆に言えば、エルザーが「自由」ゆえにヒトラーを抹殺しようとした理由を理解、共感できなかったからかもしれない。

エルザーがかような思いに至ったのは、日々ナチスの勢力が強まり、ドイツ全体が生きにくい社会になりつつあることを実感していたからだ。共産主義運動に理解を示す友人は、捕えられ強制労働へ。ユダヤ人の知人も町でさらし者にさせられる。普通にお酒を飲んで、恋愛をおう歌できた時代は去り、ビアホールも「ハイル・ヒトラー」の挨拶ばかり。村の収穫祭はナチスのプロパガンダの場と化し、世の中がたった一色になっていく閉塞と恐怖。

有名なマルチン・ニーメラー牧師の手紙では、最初共産主義者だけが排除の対象と思っていたら、やがてナチスの「敵」は教会にまで及んだが、それまで無行動、自分とは関係ないと考えないようにしていたから、すでに遅かったと。フランスのレジスタンスから生まれた『茶色の朝』も、オーウェルの『1984年』もが描く全体主義の過程と実相は、一人ひとりの市民に対し、その速い流れの過酷さを示し、「自分には無関係」との思考停止を厳しく問うているが、エルザーもまた「自由」のために自らの自由を賭けたのだった。

2015年夏。この国では政権の無理くりな「安保法制」をそれこそ無理くりなやり方で成立させたが、明日自衛隊が世界に銃を向けるわけでも、日本が戦場になるわけでもない。しかし、自由と民主主義のための緊急行動(SEALDsなど)は、日々要請されているし、それに目を背けていては、『茶色の朝』や『1984年』の現実化であり、エルザー以前の私たちを追い込む世界となるだろう。あの侵略戦争の実相を描く映画がない日本に比して、ドイツはナチスの時代をそれこそしつこく描き続ける。その違いは大きい。

冒頭のきさらぎ尚の本作コラムを繰り返す。「この物語を遠い他国の昔の話だと言ってはいられないと。」

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虚構の中の本当の姿とは   ボリショイ・バビロン

2015-10-11 | 映画

バレエは権力と結びついている。だから今日まで生き永らえてきたのかもしれない。イタリアで生まれたとき、バレエはイタリア貴族の庇護の下にあった。フランスに伝えられた後には、ルイ14世自ら踊るなど国王がその擁護・発展に寄与した。ロシアに伝えられたときはまだ帝政時代。しかし、革命を経たロシアでも旧体制の遺物であるバレエを弾圧しなかった。むしろ権力が、その文化的威信のために利用した。もちろん革命以前にヨーロッパバレエを独自に大成させたマリウス・プティパの功績、のちに亡命するセルゲイ・ディアギレフなどロシア・バレエを大成させた才能が数多く輩出したことが大きい。

革命後のロシアにあっても、バレエだけは積極的にヨーロッパに進出した。デイアギレフは革命前から積極的にヨーロッパ興行をこなしていたが、革命後もロシア・バレエを「輸出」し、大成功をおさめていた。そのようなロシア・バレエの根本を担っていたのが、ボリショイである。古典を徹底的に古典的に演じてきたと言われるボリショイだが、必ずしもそうではなかったのに、トップダンサーであったセルゲイ・フィーリンが芸術監督に就任して事件は起こった。

ボリショイ芸術監督硫酸事件。襲われたフィーリンはこの事件で左目を失明し、復帰も危ぶまれたが、それより、耳目を集めたのはボリショイ内部の「腐敗」である。「腐敗」はとらえる側によってその様相を異にする。フィーリンを「改革者」と支持する者は、事件を「守旧派」の陰謀とみなし、フィーリンを「破壊者」と見なす者はもっと大きな策謀の結果だとする。そしてクレムリンの意向。

結局、フィーリンを襲ったのは、フィーリンに役を下ろされたバレリーナの恋人である現役ダンサーが「私憤」で起こしたとして逮捕、裁判で懲役刑が科される。いったい真実はどうであったのか。映画は、その「真実」に迫るのではなく、むしろ、この事件をきっかけにしてフィーリンやボリショイそのもの、あるいは、権力に近かったバレエ業界の膿を描き出す。

その名声が地に落ちたボリショイを立て直すとしてボリショイの総裁に任命されたのがウラジミール・ウーリン。

ウーリンは、ボリショイにはびこる守旧主義、事なかれ主義を切って捨てるが、同時に、急進的なフィーリンにも口出しをさせない。しかし、同時に映画でメドベージェフ首相がロシア・バレエ(ボリショイ)を最終秘密兵器と表現するように、ヨーロッパへの、いや、世界への「覇権」力を担うのがボリショイであって、内紛によってその地位を低下させては決してならないものなのである。

秘密の国、ロシア。素人にはうかがい知れないバレエの世界。そしてボリショイという世界最高峰のカンパニーをおそった事件は、むしろ、旧弊慣れしていたかもしれぬバレエ・ファンをして、改めてボリショイに期待させる演出をなした。

フィーリンを芸術監督から解任したボリショイは、その後、古典をより洗練したかたちで演出し、大成功をおさめたという。けれど、バレエは権力に近い。そのルールはロシアで変わっていないはずである。そして、どう花開くか、ボリショイが。

眼を離せない展開は、ドキュメンタリータッチの本作だけの功績ではない。それは、ボリショイという名門ゆえの虚構の名門と抗う本当の姿と二重写しに見えるバレエという華やかな世界故の儚さなのかもしれない。

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パンかバラか、再び アンチ・エンディングのダルデンヌ兄弟健在 「サンドラの週末」

2015-06-07 | 映画

ダルデンヌ兄弟の作品はいつもアンチ・エンディングだ。今回もサンドラはどうなるのだろうというところで突然フィルムが切れる。そう、人生の多くはドラスティックではなく、平凡な日常の繰り返しだ。本作もバック音楽が全くないので、かえって、サンドラや市井に生きる人々の臭いみたいものが漂ってきそうだ。人生の多くはドラスティックではないと言ったが、サンドラにとっては突然の解雇が降りかかり、十分衝撃だ。しかし、その解雇にはウラがあった。病気で休んでいたサンドラの復職に合わせるように、他の従業員にボーナスをとるか、サンドラの復職を認めるか投票で決めたのだった。驚いたサンドラは社長に掛け合って、月曜日の再投票を約束させる。しかし、前の投票でサンドラの復職に入れたのはたった3人。はたして、サンドラは週明けまでに他の同僚を説得できるだろうか。

サンドラを演じたのは、フランス人で2人目となったオスカー女優、マリオン・コティヤール。クリスチャン・ディオールのミューズを務め、フランス的に「美しい」人だが、本作では、地味で疲れたメンタル疾患を抱えたフツーのおばさんを好演している。自分を語る言葉は多くはないが、「(ボーナスをあきらめて)私に投票して」という切実さは伝わる。というか、「ボーナスか、同僚のクビか」という理不尽な選択に、言い表すことのできない怒り、逡巡を多くの同僚が抱えていたからこそ、無下に断る人が少なかったのだろう。同僚には移民も多い。新米の頃、ミスをサンドラにかぶってもらったインド系と思われるティムールは、サンドラに泣いて謝る。「あの時のことを忘れない。ボーナスを選んだ自分が恥ずかしい。今度は君に入れる」と。地方の小さな下請工場。そもそもかつかつで生活している者も多い。「金が要るんだ」とサンドラの頼みをあっさり断る者、直接会って話を聞こうともしない者。それでもサンドラは土日でほとんどの同僚を訪ね、訴えた。そう、サンドラに頼まれた同僚たちは利己的な金銭欲を選ぶか、働く仲間を守るという人権の価値を選ぶかという資本家の汚い選択を迫られたのだ。そう、「バラかパンか(誇りか、経済的利得か)」を問われたのだ(kenroのミニコミ 「PRIDEとSOLIDARITYがキーワード パレードへようこそ」(http://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/69f080b0ab98c77839e8f83173c0f9a0))。

ベルギーの労働環境が、ボーナスか同僚のクビかを日常的に選ばされるものならひどいなと思うが、人権先進地域EUの雄といってもフランス語文化圏とオランダ語文化圏、移民容認と排斥、右派と左派がせめぎあい、国家の分裂の危機まであった同国では、けっこう実際にある「もぐり」労働現場なのかもしれない。

ダルデンヌ兄弟は、ボーナスを選んだ同僚らを簡単に裁いたりはしない。サンドラをめぐる究極の選択は見事割れるが、それが現実なのだ。そして現実を見ず、理想を描くことをよしとしないところに「息子のまなざし」や「少年と自転車」で描いた冷徹、そして、観客に考えることを止めさせない視点を感じる。「あなたはどう考え、そういう結果にいたるまでよく考えたのか」と。あるいは考え続けなさいと。

サンドラは最後パンではなく、バラを選んだように見える。しかし、そのバラは彼女自身にとっての誇りであるとともに、同僚ら一人ひとりが「パンかバラか」を問われ、それぞれが出した回答に付き合っていくことをこれからも余儀なくされるという現実を直視させるものであった。

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