そんなわけで、おいらのライフワークである
読書という病において、現在は、新境地として
「韓非子」に手を出しているというお話
前々から、墨子とか孫子とか
そういう古代中国の思想書を見ておるのですが
なかなかどうして、現在おいらが、そういう知識を得ないで
考えるところと結構似ているというか
まぁ、俺の想像力の限界で、なんとか古代人に追いついた
という感じなんですが
それをいよいよ、強く感じる為に、法家の始祖にも近い
韓非子に手を出してみました
まだ、序盤なのでなんとも言えないのですが
とりあえず、守るべきルールとそれに伴う責任と義務
このあたりがじわじわと語られていて
なるほど
共産主義の教本のようだと、考えておるのですが
もう少し読み解いたら、もっと面白い解釈をしたいなと
考えつつ、こんな日記で、誰が読むのかと考えたいところであります
読書という病において、現在は、新境地として
「韓非子」に手を出しているというお話
前々から、墨子とか孫子とか
そういう古代中国の思想書を見ておるのですが
なかなかどうして、現在おいらが、そういう知識を得ないで
考えるところと結構似ているというか
まぁ、俺の想像力の限界で、なんとか古代人に追いついた
という感じなんですが
それをいよいよ、強く感じる為に、法家の始祖にも近い
韓非子に手を出してみました
まだ、序盤なのでなんとも言えないのですが
とりあえず、守るべきルールとそれに伴う責任と義務
このあたりがじわじわと語られていて
なるほど
共産主義の教本のようだと、考えておるのですが
もう少し読み解いたら、もっと面白い解釈をしたいなと
考えつつ、こんな日記で、誰が読むのかと考えたいところであります