なんでもない、いつもの青空です。でも、僕が立って見上げているこの空は・・・。
62年前の8月6日、この僕が立ってカメラを構えている「相生橋のT字部分」を目標に、原爆が投下されました。じっと見上げていると、今にもそれが・・・また降って来そうな錯覚に襲われました。
原爆死没者慰霊碑前にて。
本当に一瞬にして、沢山の人が亡くなりました。そのほとんどは、戦争とは無関係の一般の人々です(この意味はとてつもなく大きいのです)。中には、アメリカ軍の捕虜もいました。自国民がいるのを知っていてもなお、彼らは投下したのです。
原爆供養塔前にて。
未だ、亡くなった多数の方の身元が判明していません。一家全滅で引き取り手の無い遺骨、身元が判らない遺骨など、7万柱が納められています。秒速700mという強烈な爆風、熱風をまともに受けては、柔らかい人間など跡形もなくなります。
平和の鐘にて。
「わー、あれ、鳴らしてみたーい!」と賑やかに僕の横を走り抜けていった女の子達。でも、「せーのっ」と皆で一突きしたあとは、じっと手を合わせておりました。こういう心は、日本人共通のものなんだろうな、と心強く思う瞬間です。
平和記念資料館地下にて。
今でも、次々に原爆に遭われた方々の遺品などが寄贈されています。このお人形も、最近になってここへやってきたそうです。62年前、その目で見た光景を語ることができたなら。
平和記念資料館本館にて。
この写真は、原爆が投下された約3時間後、臨時の避難所になった派出所前で撮られたものです。警察官が傷口に食用油を塗って手当てしていたそうですが、これを撮った方は「あまりのむごたらしさに、とても被爆者を正面から撮影することができなかった」と話しています。でもこれはまだ、原爆の引き起こした地獄の、悲劇の、序章だったのです。
同じく、本館にて。
当時を知るボランティアの方が、見学者に説明をしてくれます。時間があれば、僕ももっと色々と伺いたかった。しばらく眺めていましたが、「へー、あ、そうですか」と言うだけで、説明のお礼を言わず去っていく人を幾人も見ました。それでも、おばあさんは次の見学者に語りかけます。「あのね、この時はね」。時折、こぶしで腰をトントン、と叩きながら。
原爆ドームを、元安川を挟んだ公園側から。
ポツンとひとつ空いたイスが気になりました。たまたまジュースでも買いにいっているのか、今日は来てないだけなのか、それとも。
原爆ドーム前にて。
記念公園では、沢山の外国人の方も見かけました。皆、真剣な表情で説明文を読み、写真を撮ったりしていました。・・・が、ちょっと君たち。そこは足を掛ける場所じゃない!この傲慢な振る舞いからも感じますが、シャツの柄を見るからに、十中八九、若い米兵でしょう。彼らは子供の頃から「原爆が戦争を終わらせたのだから、あれは仕方なかったのだ。むしろ、原爆投下が世界を救ったのだ。」と学んでいるのです。
なぜ日本に原爆が投下されたのか。なぜドイツでなく、なぜ日本で、なぜ広島と長崎だったのか。知れば知るほどその大国達の思惑の汚さと、理不尽さに腹が立ちますよ。
鈴木三重吉碑前にて。
そのまま彼らはこの碑(ドームの横にあります)の前に行きますと、あろうことか、ひょいと笑いなら飛び乗っての記念撮影。おいっ、ここにあるのは、そこらの公園にある普通のモニュメントとは訳が違うのだ!まして、お前たちが我々(周りには沢山の日本人見学者がいました)の前でしていいことかどうか位、いくら若くても考えられないか?
僕は、今でこそ落ち着いてますが、この時は正直涙が出るほどムカついて、こやつらの後をしばらく付け回しておりました。なにかもっとトンでも無い無礼なことをしたら、写真撮って、突きつけてやろうとすら思って。途中で「こんな連中に関わってる暇はないな」と、バカバカしくなって、止めましたけど。彼らには、この悔しさは、一生わからないのでしょうね。だからこそ、あの国は今でも世界中へ土足で上がりこんで、その国の文化を踏みにじるような行為をし続けているのですから。
この公園は、数十センチほど盛り土をされて出来ています。その盛り土の下には、当時の瓦礫や遺骨が沢山残ったままだといいます。おそらく、公園だけではないのでしょう。ある詩人がうたったと言います。「広島の大地の下にはおびただしい死者が眠っているから、足音を忍ばせて、あるかなければならない」と。
今回、広島ライブ本番日の午前中、翌日宮島から帰って友人のライブを見に行く前の夕方、そして山口に移動する日の午前中と、三日間連続で、この広島平和記念公園を訪れることができました。ツアーが始まる前から、どうしても行きたかったのです。
平和記念資料館(入館料はなんと50円。資料、そして史料価値を考えたら、安いなんてものじゃないですよね。)では初めて音声による解説(別途300円)も経験しました。いくつかの展示品について、吉永小百合さんのナレーションがあるのですが、これは本当に一聴の価値があると思います。あの短時間の中で、何度泣かされたことでしょうか。ちょっと、まともに歩けなくなりますよ(汗)。・・・でもそれは、悲劇が、あまりにも悲劇だからなんですけど。
前回訪れた時と、今回では数年のブランクがあります。でも、今回は事前に戦争や原爆について、以前よりは少々知識を付けてから訪れたせいか、興味深さとか、理解度に関しては、前回とは比べ物にならないくらい有意義な見学となりました。
そしてまた、次の機会にも、必ず訪れたいと思います。
まだまだ原爆について、僕の知ってることで、みなさんにも知って欲しいこと、お話したいことも沢山あります。長くなりましたので、また、機会を改めて。
今回、資料館で、写真集を一冊購入しました。中には、惨たらしい記録が、写真が記されています。でも、これは現実です。目をそむけることなく、ノーモアであることをもっと(モア)、しっかり学んでいかなければならないと思っています。
ではー。
ほんとに…戦争ってこわいですよね。今年、修学旅行で長崎に行きました。長崎では、ほんとの被爆者の方に話をしてもらったり、原爆資料館に行ったり、貴重な体験をしました。
そこで見たり、聴いたりしたものは悲しいことばかりで…でも、もっと知りたいって思ったんです。
いつか大人になったら、広島にも行ってみたいなって思います。ケンさんの記事を読んでまた考えさせられました。ケンさんみたいな考えがもてる人ってすごいなって思います。お母さんと同じ歳なんですけど、違いすぎて尊敬します(笑)
ケンさんが言うように、目をそむけないで学んでいきたいなって思いました!
目を背けて前に進んではいけない。
現実に起こった事だし、何かしなくっちゃいけないんだろうけど、それが何なのか分からない状態でいる。
でも、一つだけ分かっている事は、戦争をなくしたい。そうじゃなきゃ平和なんて生まれてこない。
原爆の日が来るといつも思う事があります。
広島・長崎に原爆を落とした国に対して、同じ事をしてやりたいって思うんです。
でも、こんな事したらきっとまた悲しむ人や苦しむ人が沢山いるんだろうなぁ~って、唇かみしめて耐えてます。
人の命はおもちゃやロボットとは違うんだから。
人の命は一つしかないんだから。
なぜ、その命を絶やそうとするのか分かりません。
勝利でもなんでもないんです。
もっと違うやり方で勝利を得る事が出来たんではないでしょうか?
ケン坊、また機会があったら話し聞かせて下さいね。
では、おやすみなさい。
そして一部(と思いたい)外国人との感覚の温度差。
以前テレビで広島の原爆投下時に撮影をしていた
アメリカ人は、被爆者の話を聞いていても
やはり『悪い』という意識がなかった。
シンガポールに行ったとき、現地の中学生位の子に
『日本人嫌い』と日本語で言われた。
現地の知人の父は日本で捕虜になっていたそうだ。
被害者であり、加害者であることを思い知った。
結論。。。
悲しみや苦しみしか生み出さない戦争は
もうやめないといけないと同時に
決して忘れてはいけないと思いました。
そして今も被爆者がいることも。。。
今までは怖かったり、重いと思ってしまったりで、目を背けてきたこと。
でもそれじゃいけないと。
ケンさんがここで書いておられた、
戦争の犠牲の方々の上に私たちは生きている・・・という言葉が自分の心を動かしました。
今まではそういうことも考えていなかった・・・情けないけど。
けれど、愛する人や大切な人を残し、命と引き換えに攻めていくこと。死ににいくこと。人間を殺すということ。色んなことを想像したら涙が止まりませんでした。恐怖でも逃げることさえ出来ない。死ぬしかない。
戦争に行ったおじいさん達が、涙を流しながら話しておられました。餓え。病。恐怖。仲間。命令。命。死
。略奪。名誉。戦争からは何も生まれません。
私たちは日本に住んでいて日本のことも知らないことだらけ。戦争で犠牲になった方々を思うと、知らないなんて申し訳ないですよね・・・
その方たちの命と引き換えに私たちがいるんだなと本当におもいます。
まだ、広島にはいけていませんが、戦争から目を背けないで見ていこうと思います。
平和な世界になりますように。
身近にも戦争経験者、大和乗務してた親戚がいます。戦争の話はいつも悲しい別れつらい話です。戦争いやだ。けんさん、知りえたことまたお話してください。
私は広島に行ったことはないけど
小学校のときに広島の原爆についていっぱい調べたり
物語を読んだりはだしのゲンのビデオを見たりしてます。いつ見ても本当に悲しい、、たった62年前の出来事なんですよね…
なによりその外国人の態度にすごいショックを受けました。。
あの無残な写真を見てもなんとも思わないのでしょうか?
戦争ほど残酷なものはないと思います
この戦争の事実を私たちが受け継いで次の世代にも語り、二度とこんな過ちを起こさないようにしていかなければならないんですよね。
世界平和って難しいって思いがちですが、周りの人を大切にしたり支えあうことが平和への第一歩だと感じています☆
まぁ10代の私が言うことじゃないですけど…
戦争と平和について色々感じたので書き込みさせていただきました。
時が経つってこういう事でしょうか。私はそんな日が来るのが怖いです。
広島で被爆者の方から「これからの未来を生きるみなさんに」と体験談を託されました。でも結局なにもできていなかったりして…だから、ほんとにケンさんが何度もこうして考えてくれていることが嬉しくて、なんだか勇気づけられています。
1人が2人、2人が4人へ…伝えていけたらなと。
私も何か一歩踏み出してみます。
ありがとう、ケンさん☆
頭が混乱してしまいます。。。
丁度、昨日戦争の事をテレビでしてたって親から聞きました。。。
広島の事では無いのですが、日本も戦争の時には惨い事をしてたんですよね。。。
外地で戦争してた日本人達は陸で戦う人が少なくなると海軍からも呼んで来て戦わせたそうです。
海軍は兵士は陸での戦い方を知りません!
でも竹やりを持たせ夜襲したそうですが・・・
米軍もそんな事は解ってる事なので日本の海軍兵は機関銃で撃たれたのです。
竹やり対機関銃なんて・・・竹やりが勝てる訳がありません!
日本人でありながら日本兵の命を捨て駒にしてたのです。
それを命令したのも上層部です!
何の罪も無い市民や戦い方も解らない兵士の命が軽々しくも無くなってしまったのです。
それを聴いて「命」の重さって何だ?と思いました。
そんなに軽々しく無くなって良いものか?
命はその人、その人それぞれに1つしかないのに・・・
戦争なんて本当に醜く、何の利も無く、悲しみと尊い命が無くなるだけ・・・
でも世界では何処かで今だに戦争を止めない!!
人間ってバカですよね!!
広島の民間人、そこに居た人に何の罪があったと言うのでしょう・・・。
悔しいです!どうして平和を望まない人がいるんでしょう?
広島の戦争がこの世から消えたらその炎も消えるって火がありますよね。。。
いつ消えるのでしょう??
いつまでも消えないでいるのでしょうか??
それもこれも人間次第。。。
長々と書きましたが、まだまだ足りない位です!
ケン坊さんもっと教えて下さいね!
では~~~。。。。
一ヶ所づつ説明書を読みながら進んで行きましたが、だんだん足がすくんで重くなり…気が付くと祖母とはぐれておりました。探しに戻りますと展示品の前で、背中丸めて泣いておりました。目を背けてはいけないと思っても直視する事が出来ない自分がそこにいました。祖母から戦時中の話は聞いておりましたが資料館で見た遺品など目の当たりにしますと、想像してた以上の悲惨さが…
慰霊碑に手を合わせて帰って参りました。
世界中が平和でありますように…
何をどう語れば・・・何をどう祈れば・・・
ただ手を合わせるだけで精一杯でした
資料館では、いくつか遺品が置かれていました。
どんな想いで骨を捜し、遺品を探し歩き、
この服も鞄も靴も、やっと探し出した親は、
きっと胸に抱いて泣いただろう・・・そう想うと
居たたまれなくなりました。
私の思いは全部、帰りに記帳に残して来ました
☆関係ないじゃ~んって言われるかも知れませんが、
私の誕生日が8月6日なので何かあるのか?
だから一度は行って見たかったんですよ
あ~、ケンさん、笑ったでしょ?
今を、これからをつくることができるのは、
今を、これからを生きる人のみ。
そして、過去を伝えることができるのも、
今を生きている人のみ、なんですよね。
だから、伝えること、知ることを諦めてはいけないと思いました。
同じ温度で皆が、幸せにも哀しみにも涙を流せる、
そんな時代がくるのを願わずにはいられません。
ひとつだけ空いている椅子の写真に、なんだか涙が止まりませんよ。
ジュースを買いに行っただけですよね?
この日はたまたまここにいなかっただけですよ、ね?
“ノーモア”であることの意味、もっと考えます。
大切な人、モノを守るために、
同じ過ちを絶対に繰り返さないために。
ではー。
昔、高校の修学旅行ではじめて広島を訪れました。戦後何十年も草木も生えないだろう、と言われた広島の市街へバスで入った時、私の目に飛び込んできたのはきれいに区画整理され、草も木もちゃんと育ち、電車が行き交い普通に人々が暮らしている街でした。
原爆で壊滅的な被害を受けてもなお、人々は悲しみを乗り越えて生きようとしている。人間の営みの偉大さといとおしさに涙があふれてきました。「水をください…」と、水を求めて飛び込んで死んだ人々で川面が埋まったという太田川は、青い空を映してゆったりと流れていました。戦争ほど愚かなものはないことを、そのとき肌で実感しました。
広島は日本人の誰もが一度は行くべきところではないか、いや世界中の人に行ってほしいところだと思います。できれば行く前に本の一冊くらいは読んでからね。
ケンさんが書いてくれる。そのことに大きな意味があります。ありがとう。
俊ちゃんの歌に感動して涙が出るっていうこの幸せは、ずっと続いてほしい。でもそれは自分の手で守らなければならないものです。
私はボランティアのお祖母さんからお話を受けたんですが、きっと本当はお話しするのもお辛いはず。
それにも関わらず、戦争を全く知らない私に原爆の現実を詳しく話して下さったのは、この悲劇を繰り返すべきではないという使命感からだったと思い…
お祖母さんと別れたあと思わず、ぶゎっと涙が溜りました。
広島の記憶を受け継ごうとする方々が居る一方で、着々と「戦争ができる国」に変わりつつある日本…
人間は素晴らしい存在です。一方で、人間は愚かです。
ケン坊、まだまだ沢山教えてください。
私も勉強します。
戦争話題時は娘と共にケン坊さんのブログ拝見してます
もっと聞きたいな…お話。
クチだけではなく有言実行で現場行って現地にふれあう姿が素敵です。
おやすみなさい。
昨日のも含めて
まだ写真を見ることができてないので
それについての感想は何とも言えませんが
読んでて悔しい気持ちです。
あたしがそこにいて
できるかは正直わかりませんけど。
私も今回、平和記念公園を訪れました。
子供の頃は直視できなかった現実を少しでも学ぼうと、
この目でしっかり見て、心で感じてきました。
知れば知るほど腹が立つ。
自国の利だけを考えた・・・これは、同じ血が通ってる
人間のすることなのでしょうか?
核保有国が存在する限り・・・核戦争の恐怖と背中合わせで
生きていかなければいけない。
これも現実で。
慰霊碑に向けて手を合わせ、涙を流す人たちを前に、
写真の米兵のような、この悲劇を軽視する人間がいる限り
本当の平和は訪れない、そんな気がして悲しくなります。
まだまだ知りたいこと、知らなければいけないことは
たくさんあります。
なので私もまた、必ず訪れます。
今回訪れるきっかけをくれたケン坊に感謝します。
ありがとう。
そして、これからも一緒に学ばせて、考えさせてください。
でもいつか絶対この目でみて感じてきたいと思います。
世界中が平和でありますように…
ケンさんありがとうございます。
私自身、まだ広島は行ったことがありません。でもいつか必ずこの目が見える内に訪れて、この目に心に刻みたいと思います。日本人として、人として、絶対に風化させてはいけない事実なのですから。忘れ去られてはいけない事実なのですから。
ケン様、いつも色々なことを気付かせてくれるきっかけを有難うございます。
決して風化させてはいけないためにも、今を生きる私たちが後世に伝えなくてはいけない義務。
実際にそこに足を運ぶことで、より感じることが出来ると思います。
なかなか行く機会を作れない私も含め、ここに来ている皆さんにとっても、ケン坊がこのように話してくれることで、改めて考えるきっかけや自分たちの義務であることの再認識をすることが出来ると思います。
今回の写真の中で、若い米軍の…。
あれを見て悲しくなりました。事実が曲げられて伝えられていること。
でもそれは日本でも言えることで…。
なぜこの戦争が起こり、こんなに悲惨過ぎる結果になってしまったのか、私自身もしっかり理解できてるとは言えません。
平和を願い、過ちを繰り返さないためには、やはりもっと「知ること」が必要不可欠ですね。
改めて考えさせられました。
またケン坊の思うことも聴かせてください。
今日もありがとう。
米兵と思われる彼らの行動には、本当に胸が痛くなりました。
「我々は勝者の国の者だ!」とでも言いたかったのでしょうか?!
それとも全くの無意識で…。 そもそも彼らがこの場所を
訪れた意味がわかりません。
でも、もしかしたら私たちも他国へ行った時、
知らず知らずのうちにその国の人たちにとって
不愉快になる行動をしているのかもしれません。
生活習慣の違いや、旅行で浮かれて多少ハメをはずした
行動をしているのかもしれない…と。
それにしても…
やっぱりあの行動は…ありえない!
見学者に説明をして下さっているボランティアのおばあさん。
是非、お話を伺いたいと思いました。
今度私がここを訪れる時までどうかお元気で続けていて下さいね。
素敵な写真・・・悲しい写真・・・考えさせられる写真
ケンさん、いつもありがとう。
様々な感情が湧いてきて、生きている事を実感します。
米兵の行為。写真を見る度に悲しくて涙が溢れてきます。
彼らにとってここはただの観光スポット?
すごく戦争、原爆に対しての考え方、感じ方に温度差を感じます。
でも、それは今を生きている私たち日本人にも言えることではないかと思う時があります。
もちろん62年前に広島、長崎に原爆が投下され、想像を絶する罪もない人々の尊い命が一瞬にして失われたこと、今でも後遺症と戦っている方がいらっしゃることは知っていても、そこまでに至る経緯などを学びきれていない現実。
私自身、もっと知らなければならないことがたくさんあったはずなのに、学校の授業でもそんなに深くは教わらずにここまできてしまいました。
戦争が、原爆投下が「過去の歴史」としてだけ授業で扱われ始めているのではないか、悲惨な現実が風化してしまうのではないかと思うと、とても恐ろしくなります。
原爆投下が「仕方がなかった」なんていうアメリカの教育は間違っていると声を大にして主張できるよう、今を生きている私たちがもっと知らなければ。
それができるのは、唯一の被爆国の日本人だけなのですから。
逆に日本が諸外国に苦痛を与え続けたという事実ももっと知って、しっかり受け止めるべきだと思います。
もちろんここを訪れている外国の方がみんな今回の米兵のような感覚の持ち主だとは到底思えません。
ポールのように原爆の悲惨さを知り、胸を痛め、そして心から平和を願っていらっしゃる方も多いことでしょう。
みんなの祈り
いつか叶うときが来ることを信じて・・・
ケン坊には本当に感謝しています。
またお話してください。
そんな事があったなんて信じたくない。
でも絶対に原爆でたくさんの人が亡くなったという事に目を背けちゃいけないんですよね・・・。
若い米兵の人の話・・・とても悲しかったです。
うまくいい表せません。
私はまだ広島の平和記念館に行った事はないんですが今度絶対に行きたいと思います。
ケンさんのブログ見ていろいろと考えさせられました・・・。そしてたくさんの事を知ることが出来ました。
ケンさんありがとう!!!
恥ずかしながら、泣いてしまいました。
外国の方がよく平和公園に足を運んでいらっしゃるのは知っているんです。
毎日、学校に行くまで路面電車に乗っているので、よく外国の方と一緒に乗ることがあります。
でも、こんな酷いことをする方たちがいるだなんて、
ホント、失礼極まりないと思います。
私の祖母は21のときに被爆しました。
ですが私は、祖母から戦争のときの話を聞いたことがありません。
聞くのがとても怖いですし、
祖母自身とても辛い体験だと思うからです。
以前、私の姉が戦争体験を聞いたとき
涙を流しながら話していたのが頭から離れなくて、
触れられないんです、戦争の話しに。
川村さんのお写真と文章に、また改めて考えさせられました。
この日記に対する皆さんのコメントを見ても、
戦争のことを知らない方たちはまだ世の中にたくさんいらっしゃるんだな、
と気付かされました。
後世に語り継ぐこと、
たくさんの人たちに戦争の事実を知ってもらうこと、
これが私たちの使命だと思いました。
でも、伝える手段がまだ分かりません。
これを考えることもきっと、大事なんでしょうね(笑)
頑張ります。
素敵な日記、ありがとうございました。
外人さんの、あの行動は許せません。ケン坊の気持ちすごく分かります。広島人として、もっと平和のことを考えて欲しいと思いました。
かたくなっちゃてごめんなさい
ではー。
あの日は本当にいいお天気で、
見上げたきれいな青空に、ちょっと涙が出ました。
平和記念資料館。
目を背けたくなるような写真、悲鳴が聞こえてきそうな遺品の数々。
爆風と熱で原形をとどめないモノたち。
原爆の凄さ、悲惨さを、改めて強く感じました。
見学中、何度も胸が痛み、込み上げてくる感情を抑えきれませんでした。
戦争・・・二度とくり返してはいけない。
起きないように、起こさないようにしなければ。
若い米兵の行為。
・・・悲しいね。悔しいよ。腹が立ちます。
戦争や原爆についてどう学んだにせよ、それはないんじゃない?
この碑の前に立つすべての人が、今を生きる一人の人間として、
「戦争は二度としない、してはいけない」と、誓わなければ・・・。
それこそが、この碑の存在する意味だと思うんですが。
この心の温度差は、仕方ないんでしょうか。
・・・悲しすぎる。悔しすぎる。
ボランティアの方の写真・・・涙がこぼれました。
私もしばらく眺めていましたが、「へー、ふぅん・・・」とだけ言い、
その場を離れていく人を何人も見ました。
それでもまた語りかける、ボランティアの方の気持ちを思うと、
・・・んー、ちょっと、ね。
私ももっとお話を伺いたかったです。
どうしても行きたかった場所。
行くことができてよかった。また、必ず訪れたいと思います。
知りたいこと、まだまだたくさんあるから。
今回訪れるきっかけをくれたケン坊に、心から感謝しています。
素敵な方とお会いすることもできました。
本当にありがとう。