「京都には世界的にも重要な文化財が沢山あるからさ、アメリカも爆弾を落とさなかったんだよ。」
こんなような言葉を聞いたことがありませんでしょうか。
僕は、いつだったかは忘れましたが、随分昔に確かに聞いた覚えがあり、ほんのつい最近まで「そうかー。アメリカも、戦争中とはいえ、文化財の事とか考えてくれてたんだな。法隆寺や金閣寺や、あの沢山の塔や仏さまの価値や大切さをわかってくれてた、ってことか」と、思い込んでおりました。・・・もしかしたら、そう思い込まされていたのかもしれませんが。
AA級、A級、B級。
保険会社の格付けか何かじゃありません。
(1)京都-AA級
(2)広島-AA級
(3)横浜-A級
(4)小倉-A級
(5)新潟-B級
これは、原爆を投下する目標の、いわばランク付け表です(東京などの大都市はすでに焼け野原でしたので、原爆の目標対象にはなりませんでしたので、最初から外れています)。
ご覧になっておわかりのように、実は京都は、一番の原爆投下目標だったのです。
その理由は、原爆の開発、投下の計画「マンハッタン計画」の資料の、昭和20年5月12日付「目標検討委員会第2回会議の要約」にこうあります。
「京都:この目標は、人口100万を有する都市工業地域である。それは、日本のかつての首都であり、他の地域が破壊されていくにつれて、現在では、多くの人々や産業がそこへ移転しつつある。心理的観点から言えば、京都は日本にとって知的中心地であり、そこの住民は、この特殊装置のような兵器の意義を正しく認識する可能性が比較的に大きいという利点がある」
人口が多く、他の土地から人や企業が集まってきている。そして、最後のくだりに注目してもらいたいのですが、「兵器の意義を正しく認識する可能性が比較的大きい」というところ。これは、原爆を投下されても、それが、たとえば“天変地異”とか“小惑星の衝突”などと思われてはいけない、ということだった、ということなのです。ちゃんと米軍による新型爆弾であると認識するだけの知的レベルがなくては困る、と。つまり、「アメリカの新兵器にやられたんだ。彼らには、もうとても敵わない」と思ってもらわなくては困る、ということです。
当時、僕たち日本人の知的レベルは、相当低く見られてたんだな、随分バカにされてたんだな、ということがわかります。日本人は、アメリカ人や欧米人とは文化も宗教も違うし、どう頑張っても価値観が一切合わない、言葉も意思も通じない「黄色いサル」(「ジャップ」)なのだ、とされていたのですよね。いや、我々日本人だって、欧米人を「鬼畜」呼ばわりして、さらに「赤鬼」だ「青鬼」だ、と言っていたのですから、お互い様とも言えるかもしれませんが。それにしても無知にもほどがある、と現代の感覚ではびっくりします(しかし「無知」が、軋轢や、余計な争いを生む、ということも覚えておきたいですね。「無知=知らないこと」は、往々にして罪を招くのです)。
あまり知られてはいませんが、実は、それまでも京都は爆撃されていました。昭和20年に入ってから、20回の爆撃があり、東山地区をはじめ、死者302人、負傷者561人と、多くの被害がでていたのです。
つまり、京都には国宝や重要文化財があるから、とか日本の古都だから、というのは、およそ彼らの頭には無かった、ということなのです。言われてみれば、それはそうです。信じている宗教が違うんですから。我々が美しいと思う、仏教、神道の美術、建築、装飾品の価値だって分かってくれるはず、なんてのは・・・残念ながら、浅はかなかいかぶりだったのです。
仏像や寺院に興味を持つ欧米人は、今でこそ確かにいますが、それでも全体から見たら極々小数のマニアに限られる、と言えるのです。わざわざ休日に日本に旅行に来てくれるような人たちは、仏像を見て「ビューティフル!」と言いますが、その人たちは、結構なマニアだと思っていいのです(勿論、とっても嬉しいのですけれどね)。そもそも、彼ら欧米人が、これまでキリスト教の布教の為にという理屈で、他宗教の民族や、施設に対してしてきた事を思い起こしてみれば、すぐわかることでした。他宗教施設の破壊は、むしろ積極的に行われて当たり前だった、のですから。
しかし、7月。投下ぎりぎり直前になって、京都は目標から外されました。
これは、スティムソンという陸軍長官のトルーマン大統領への度重なる進言によるものでした。この人は日本人に対して、当時ある程度冷静な分析力をもっていたのです。
「私の考えでは、日本は、そのような危機にさいしては、米国の現今の新聞、その他の論評が指摘しているよりもはるかに理性に従う国である。われわれとまったく異なった心理をもつ狂信者だけが集まってできている国ではない。それどころか、日本は、きわめて知的な国民をもっていることを過去一世紀足らずで実証したのであり…」
狂信者だけが集まってできている国・・・新聞、論評でいったいどんなひどい書き方をされていたのか気になりますが、それは今日は置いておいて。
「京都という知的中心地への原爆投下は,戦後において日本とアメリカとの和解が難しくさせ、むしろ彼らをソ連に接近させる可能性がある」
つまり、日本人は京都という街にとても愛情と愛着を持っているのであるから、それを破壊してしまっては、戦後の統治がやりづらくなりますよ。むしろ、「京都を破壊したアメリカは絶対許さない。なので、我々はアメリカの敵である、ロシアにつく」と、ロシア寄りになってしまうかも知れませんよ、とアドヴァイスしたのです。そして、トルーマンはこれを聞き入れました。「日本人がロシア寄りになる?それはまずい」と。
しかし、原爆は二発(ウラン型とプルトニウム型)、落とすことがあらかじめ決まっていました(「ポツダム宣言」を黙殺せずに、すぐに受け入れていれば原爆投下は無かったのでは、という説がありますが、これは今では誤りだとされています。原爆はどのみち、落とされる予定だったのです。巨額な費用と年月をかけたこの実験は、何が何でも遂行されなければなりませんでした。投下による、スターリン率いるソ連(当時)に対する牽制の意味も大きかったですし、戦後に「核の力」をその手に握るためにも)。
広島がそれまで爆撃で破壊されていなかった為、広さなども含め、「実験」には最適であったから選ばれてしまった、ということは、もう皆さんよくご存知かと思います。それに加え、実はアメリカは当時「広島には連合国軍の捕虜収容施設が無い」、という誤った情報を持っていたため、最初の目標になったのです(しかし実際には広島にも捕虜はいて、彼らは自国の爆弾で死ぬことになったのですが)。
そして、横浜、小倉、新潟、それから京都が外されたために、繰り上がってしまった長崎も、軍事施設、軍事拠点が多かれ少なかれあり、また、政治家や知識人が疎開して移り住んでいた、というのが選出の理由です。もちろん広島同様、どの都市も、それまでの爆撃による破壊度合いも考慮されていました。
しかし、最後にリストに繰り上がってしまった長崎は・・・。
当時の将軍ファレルはこう回想しています。
「私は長崎は大きな爆弾のための大きさが無いからまずいと反対した。その都市は細長くて二つの山の間にあり、爆弾の爆発効果が発揮されないと言った。またここはこれまでに数回にわたってひどく爆撃が行われており、原爆の効果測定のためにもまずいと言った」
なのに。
おそらくこれもご存知のように、実際の9日の原爆投下でも、本来の目標は小倉でした。ただ、着いてみると小倉上空が曇り空であったため、原子爆弾ファットマンを積んだ爆撃機B-29は投下を諦めて、長崎に向かったのです(投下後の様子を知るために目標は晴れている必要がありました。また、資料としての写真撮影も目的の一つでした)。
しかし、長崎上空も、曇り空だったのです。
が、たまたまそこに雲の切れ目ができてしまったことで、・・・原子爆弾は投下されてしまいました。そのBー29は、もう少しで燃料切れを心配して引き返すところだったそうです。痛恨の「雲の切れ目」だったのです。
今朝の長崎での平和記念式典、僕もしっかりと見、投下された時刻であります11時2分には、一緒に黙祷しました。式典には、映画「ヒロシマナガサキ」で「あの時以来、私は妹の名前が、呼べなくなってしまったんです」と証言なさっていた被爆者の方も参列されていましたね。そして、被爆者の森重子さんの悲惨な体験のお話、訴えには、やはり涙をこらえることはできませんでした。
昨日は北京で五輪開会式に参列していた福○総理も、自衛隊機で長崎入りし、来賓として挨拶していました(そりゃ確かに「来賓」だろうけど、ここはあえて「日本国総理大臣として」じゃないの?と首がポキリと音を立てて曲がりましたが)。
いつもの、あの感情の起伏を感じさせない、ちょっと嫌味を言わせていただくなら、まるで退屈な国会の官僚の答弁のような挨拶でした。でも内容は、必要十分なものだったとは思います。世界のリーダーとなって核廃絶に取り組んでゆく、ということですので、当然、放射能漏れを起こしたヒューストンの問題も、しっかり調査、解決、報告してくれるものと・・・思います。
あと、久間元防衛相は、なぜゆえに出席したのでしょうか。厚顔無恥という言葉をご存知無いのでしょうか。「だって来ちゃったんだもの、『しょうがない』」とでも言うのでしょうか(実際、言い訳がましいコメントをしていますが(こちら)、やっぱり、ちょっと感覚がおか○いというか・・・残念です)。
そして、また新たな戦争が始まり、平和の祭典のすぐ脇で、人が死に。
たまたまかもですが、戦争を始めた国の片方は核保有国。そして、お隣で人を殺した人の国も、殺された人の国も、両方とも、核を持っている。
怖いです。あやういです。
「(Is there)anybody home?」(誰かいる?)
って、本来はドアにノックしながら言うような言葉ですが、映画などのジョークで、人の頭をノックしながら言うシーンなんかを見ます(「おいおい、ここに(ちゃんと脳みそ)入ってるのか?」という意味ですね)。
なんかね、そんな感じです。
Anybody home(´・ω・`)!?
では。
今日、朝から、長崎の式典を見て、
その後、北京で起こった事件を知り、
ただ楽しみな気持ちだけでは、なくなってしまいました…
世界は、63年前と何処が変わったのか…
あの、2度の原爆から、何を学んだのか…
と、考えてしまいました。
日本も含め、上っ面だけは綺麗に見せ掛ける、術をつけた様な気がします…
原爆はどのみち落とされる・・・。実験のために。
実験…。実験とは言えるレベルの物ではないですよね?
もし、長崎に一瞬の雲の隙間さえなかったら…。
今日テレビを見ていて、戦争体験者の方がおっしゃっていました。
『今の若い人達は命を大切にしなすぎる…』
この言葉、重くのしかかってきました。
自殺や無差別殺人…目に付くのは若者と呼ばれる人達。
命をもっと大切にしなければ、戦争で亡くなっていった方達が浮かばれませんよね。
どのみち日本が標的で、何処かの都市が犠牲となる原爆、
それが最終的に当日の天気で決められていたなんて。
自分たちで作った原爆がどの程度の威力を持つのか、
作った本人が一番分かってることなのに、何だかんだと
理由をつけて投下したアメリカ。
ポツダム宣言だって、結局はアメリカの思うツボに
終わってたんだから。
戦争は人の命を奪うものだけでなく、人格も見失わせるんですね。
世界がマヒするきっかけとなった63年前。
それが今もなお続いているとは。
ただ学習したことと言えば、上っ面ではいい人を装う術。
仲のいい国も悪い国も集まって開催される一大イベント、オリンピック。
時期が時期だけに、各国のお偉いさんたちはどんな事を
考えながら笑って観戦してるんでしょう・・・。
今日は出先で11時頃空を見上げると、6日と同じ青い空でした。
そして、平和に感じる今だけど、実はそうではないんだなって、
ニュースを観て思いました。
首相始め、お付きで参加された方々。
上っ面だけじゃなく、本気で実現に向けて動いてほしものです。
ちゃんと心らそうするって思っていることを
言葉を選びながらではなく、ストレートにはっきり
宣言してくれたと・・・信じて大丈夫なのかな・・・。
Anybody home(´・ω・`)!?
こんな風に思うことなく、できることなら信じたいですね。
何て言っていいか分からないけれど、何か色々考えてしまいます。
上の人間が勝手に始めた喧嘩に一般の人が巻き込まれ、戦いたくなくても(日本だけでなく戦争に携えた国々の人)それぞれには守りたい大切な人が居て、やむ得ず人を殺めなくてはいけなくて・・・そんな訳のわからない実験に巻き込まれた罪のない犠牲者が沢山居て「戦争」なんて、何もいい事がないのに何で??ほんと理解不能です。
京都も標的になっていたとは、知りませんでした。
この前のテレビで皇居に落とそうとして的が外れて呉服橋辺りに落としたと聞いてビックリした位です。
日本ならどこでも良かったのかと思うとゾッとします。
核保有国の住人に問いかけしたいです。
「あなたなら、無闇に何の理由のない方々を殺す事が出来ますか」
もし、その中に一人でも知り合いがいて、自国の原爆投下されたら、どうしますか?と。
一刻も早く核を無くす為にはどうしたら良いかって考えたりしないのかってね。
そうでなくても、今この地球は叫んでいるんですよ。大気汚染も深刻な場面になっていますが、一番の理由が戦争なんです。
全てを焼き抜くし、罪のない人々を死に追い込んでいる事を。
再度今一つ、考えてみて頂けないでしょうか?
それと福
心がまったく籠もってないんです。
伝わって来ないんです。
でも、そんな首相もは国民の思いをきちんと受け止めて欲しい。
これからもずっと
切にお願いしますよ。
さて、今日は(昨日ですが)ジムの仲間通しで仲良しの2人の結婚パーテイを仲間30人と開いてきました。
まぁ~ねー、ノンベイ集団ですから、酔っ払う奴らはいないんですがね。
ではー、お休みなさい
ホントにね、今回のオリンピックは楽しめないんですよ( ̄ω ̄)
どの競技を見てても「こんな立派な会場造るお金があるんならさ…」とか考えてしまうんですよね(-.-)
選手の方々には申し訳ないんですが…
オリンピック開幕翌日にはオリンピア精神に反して戦争が始まってしまうし、開催地では中国人が米国人を殺害するなどと…
今隣国で行われているのは本当に《平和の祭典》???
って思ってしまうのはひねくれ過ぎでしょうか( ̄~ ̄)ξ
広島に続いて、小倉、そして最終的に長崎へ。
天気ひとつで左右されてしまうなんて、本当に、いいように扱われたものですね。思わずB-29の燃料を抜いてやりたいと思ってしまいました。
日本に対して、いったいどれ程の歪んだ情報が伝えられていたのか…本当に憤りを感じます。
でもケンさんの仰るとおり、今では日本の文化を日本人以上に愛してくれる方々もたくさんいらっしゃいます。親日家と聞くと、それだけでとっても嬉しくなりますよね。
人の考えや価値観は変わっていくもの。
相手を認めることのできる、思うことのできる、人の力を信じたいです。
…また、始まってしまいましたけどね。それでも諦めるわけにはいかないですから。
ケンさんやここの皆さんが、そう思わせてくれています。
ケンさん、いつも心強い言葉をありがとね。いっつも救ってもらっています。
本当にありがとうです。
改めて・・・やっぱり日本は素晴らしい国だなーって。
日本の素晴らしいところ、いっぱいありますよね。
自分の国なのに、知らないこともまだまだ沢山ありますが・・・。
63年前のあまりに悲しい歴史から、私は自分の国に対しての見方が間違っていたと思います。
戦後植えつけられてきた自虐史観・・・。63年前の「日本の」「過ち」と。
もっと自分の国を知らなきゃ。そして世界に胸を張れる、自国を誇れる国民になりたい。
この国を愛し、犠牲になっていった沢山の方々のためにも、今を生きる私たちが、しっかりと大切に、守っていかなくては。そして伝えていかなくては。
日本の素晴らしい文化も、美しい自然も、凄い技術も、悲しい歴史も・・・。
今の私たちがしっかり・・・ですよね。
いろいろ考えさせられます。
では。
今朝はどんより曇り空だよ。ちょっぴり動きやすいかもしれないけど、何気に汗出ます。
今、お墓参りしてきました。
平和・安全が早く守られる様、祈り続けていきたいと思っております。
やっぱりこのテの話は私にはキツイなあ…!(*_*)
胸が詰まって言葉が出て来ないし、皆さんのコメントを読むゆとりさえありません…!(*_*)
私には“伝える人”になるのはムリっぽいですね…!
でも、大事な思いだけは分かってるつもりだから、それだけは伝えられるかな…?
今日はこの程度ですみませんm(__)m
本当に、人と人との傷つけ合い、殺し合いがなくなるといいのにな…!
言葉にするだけで恐ろしいですよね?(*_*)
「ヒロシマ ナガサキ」で「妹さんの名前が今だに言えない」
・・・って仰ってたあの方も居ましたね!何度も顔が映ってました。
他にも沢山の方が映ってましたね・・・
原爆が投下された時間にはうちもTVの前で黙祷をしました。
黙祷をしてる時間、63年前の子の時間には凄い多くの人達が苦しんでいたんだと思いながら・・・
福○首相の言葉より長崎市長や被爆者代表の女性の言葉の方が重さを感じ心にグッと来るものがありました!
本当に福○首相の淡々と語る心の無い様な言葉には憤慨です!
被爆者の方々は今だに放射能が原因の病気で苦しんでいるのに・・・
その方の子や孫までもいつどんな病気が発病するかと不安な毎日を送ってるのに・・・
”anybady home?”って確か映画の「Back To The Future」シリーズで
杖で主人公の頭をコンコンと叩きながら言ってましたよね!
世界平和を望んでる人は沢山居るのに・・・
でも今日も戦争はしてるのですよね・・・(泪)
「話したくない」と思われる方もいらっしゃるなかで、辛いことなのに伝えてくださる方がいるのは、ありがたいな…と。
一瞬の雲の隙間さえなければ…。
資料館も行きましたが、今の視点でもう一度みたいな。
最近テレビなんかでやった特集番組の中で使われている映像、それも私は12歳の時に見ていました。
37の今見ても 目を覆いたくなるような光景なのですが 12歳の時に見た衝撃は今もそのまま胸の中に残っています。
世界で唯一の被爆国として 絶対に忘れちゃいけないし 後世に伝えていかなくてはならない問題。
政治のことは全く分からないけれど、
そういうしがらみがあるのもわかる気がするけど
日本は唯一の被爆国として 胸を張ってもっと発言するべきだと思います。
サミットだとか なんたら首脳会談みたいな席で。
もっともっと 核について発言しなくちゃならない。
でもそれをやらない お偉いさん方。
政治のニュースが流れるたびに イライラしてしまいます。
今年はオリンピックがあるせいか、ただ単に何十年という時間が流れているからか、原爆や終戦に関してのテレビ番組が激減してるし。
忘れられているのかな。
忘れちゃいけないのに。。。
そう思って 夏を過ごしています。
式典などで日本の偉い方が述べる「言葉」は自分で考えたものなのでしょうか?
感情や抑揚のない棒読みをする姿を見ると「本当にこの人の言葉なのだろうか?」といつも疑問を感じます。
言った後に弁解する姿も???だらけです。
昨日今日とテレビをゆっくり見ていないのですが、
オリンピック情報ばかりで(悪い意味ではなく)、
一回も長崎のことをテレビで見たり聞いたりしていません。
これでいいのかなぁ…なんて思ったり><
私がたまたま見ていないだけかもしれませんが^^;
このままでいくと、気付いた時にはすでに遅し…
状態になってしまうようで、なんだか恐ろしくなります。
必要な伝えていかなくてはならない事実がどんどんと…。
それぞれが意識するようになれば、何かが変わって行けるのでしょうね。
いまこの時代に生まれ、日々生活できていること。
今日という日に命をはって産んでくれた母や
今まで支えてくれた沢山の方々に感謝します。
イライラすることもいっぱいあるけど、
大きな幸せに包まれていることを忘れずに生きていきたいです。
ではー。
今ちょうどテレビで、長崎の原爆投下についてやっていました。
わたしも「京都には文化財があるから・・・」と聞いたことがあります。
でも実際はまったく違うのですね。
本当の理由にはショックであり、腹ただしくもあります。
長崎に原爆を投下された理由もまた・・・。
どのみち日本が標的になっていたとはいえ、雲の切れ目でたくさんの人の命を奪ってしまうのは許せません。
しかもその長崎での投下場所も、予定とは少しずれた浦上天主堂近くに投下してしまった。
でもそれは、キリスト教を重んじる米国にとっては消し去りたい過去だとか。
何を言ってるんだ?という感じです。
勝手に落としておいて、今更、消し去りたい過去だなんて・・・。
こんなときにもまた、戦争が始まってしまいましたね。
何度も何度も同じことを繰り返して、何が楽しいのかな?
「anybody home?」
そう思わなくてもいい世界になってほしいです。
ではー。
結局何を語っても所詮他人が書いたものを読んでいるだけ。どれだけの本心が入っているのでしょうか。見せかけだけの平和なんて…。
昨日、今日と少し涼しかったですね。
今日ケンさんの夢を見ました。幸せな様な切ない様な夢でした。こうして穏やかに夢を見ていられる事に感謝です。
ではー。
実験の場所にするなんて酷い話しです。
小倉に投下予定が天候で変わった事、以前テレビで知りました。
運命の別れ道…上空でそのような事が起きてることなど知る予知もなく、地上にいる人々は、友達や家族といつもの日常生活を送っていて、一瞬のうちに街が火の海に。
実際に被害に遭われた方々の言葉を聞く度に“二度と戦争はしてはいけない”原爆を“昔”の事で片付けてはいけないと強く願うばかりです。
ケンさん、いつも細かくお話ししていただき、とても勉強になってます。
北京、金メダルが出たようですね!スゴイな~♪
でも金メダルだけが、スゴイメダルじゃないですよね。何だか金じゃないと……のような言い方に聞こえてしまって………う~ん…何色でもスゴイのに…
それだけ期待が大きいのですよね。みんな頑張ってベストを出してほしいですね(^O^)
長崎にも63回目の夏がきましたね。式典のもようは残念ながら見れませんでしたが、今朝の新聞を見ました。
被爆者の方々は、どんな思いで、この日を迎えているのでしょうか…この唯一の被爆国のトップの人達は、そんな思い、考えた事あるのかしら。
来賓として来てもいい、でも、少しでも自分の言葉で話してくれたら伝わる温度も違うのでは? 難しい言葉じゃなくていいから。そうする事も色んな障害があって無理なのでしょうね…
京都は歴史的建造物があるから、原爆を落とさないように…と聞いて今まで、そう思っていました。
違ったんですね…
でも価値観や言葉すら通じない国に対して、そこまで考えて進言した方が凄い?のかもしれませんね。
今のこの時代になっても、戦争が新たに始まる国がある。事実なんですよね…
なくなる日がくるのだろうか…
早くきてほしい。願う事しか出来ませんが、願います。
オリンピック放送の影響でしょうか。今年は本当に広島、長崎に関する番組が少ないような気がします
広島原爆の日の六日、原爆開発に関わった女性物理学者が広島を訪れたというニュースを新聞で見ました。
何も知らされぬまま、物理学を研究していた22歳の時に『マンハッタン計画』の一員にされ、広島への投下を新聞で知りショックを受け、開発計画から離れ戦後は中国に渡り酪農のかたわら、大量破壊兵器の廃絶を訴えてきた女性だそうです。
自分の果たした役割に罪悪感を抱き、ずっと被爆地訪問を念願し今年やっとかなったのだとか。。。
実際に被爆者からの証言を聞いて「ひどい」「残念だ」とつぶやいたそうです。原爆投下後、全米科学者連盟にあてた手紙には「一人一人の生活、思い、夢、希望。全部吹き飛んでしまった。そして私はその爆弾に触れた」と記したそうです。
86才になってもまだ罪悪感にとらわれる彼女の思い。。。
原爆を日本に投下する事を決めたのは一体誰、何のために。。。
実際に投下したエノラ・ゲイの乗組員にしろ、命令のまま投下したものの、投下後あまりの破壊力に言葉を失ったとか。。。
その破壊力を知らされてはおらず、投下する目的も知らされず、戦後精神を病んだ乗組員もいたそうです。
原爆の威力を実験したいためだけに、自国の脅威を示したいだけに投下したとしたら、その代償はあまりに大き過ぎます。
女性物理学者の言葉のように、どれだけの人間一人一人の生活、思い、夢、希望が犠牲になったのでしょう。
加害者である国の首脳は毎年、原爆の日に広島、長崎を訪れいまだ消えない被爆者及び子孫の苦しみに触れるべきです。
実際に目で耳で触れたら、核廃絶に反対なんてできないと思うのですが。
人間は誰も、人のささやかな幸せを奪う権利などないのですから。
昨日は勤務中で、平和記念式典を見ることが出来ず、投下された時刻にも、心の中で手を合わせることしか出来ませんでした。
帰宅後目にしたのは、後半のニュースで本当に短く編集されてしまった映像、そして長崎が63回目の原爆の日を迎えたという事実だけを伝えるアナウンサーの声・・・。
今朝は情報番組で、「昔のことには興味ないです」と笑ってインタビューに答える若い女性、「戦争?無くならないよ。・・・人間が馬鹿だから」と仰っていた戦争経験者の男性の声に、思わず作業していた手が止まりました。
・・・これが現状。
昨日のことも含め、目の前に現実を突きつけられたような気がして、涙が込み上げてきました。
この男性は、一体どんな思いでこんなに辛い言葉を仰ったのでしょう・・・。
この女性だって、今までに知る、考える、きっかけに恵まれなかったのだと思います。
「伝えていくこと」がいかに大切かが分かるのに、実際には出来ていないのでは?と思わざるを得ない状況。
では一体、自分には何が出来る?と考えると、答えがなかなか見出せなくて・・・。
でもね、「伝える」機会が訪れた時、ちゃんとした知識を持っていられるようにしておかなければ、と思います。
ケン坊に、いつも解りやすく丁寧に教えていただいていることは、本当にありがたいです。
今回のことも、京都が原爆投下の目標にされていたこと、9日の当初の目標は小倉だったことは知っていても、そこに至るまでの経緯などは知らないことが多く、とても勉強になりました。 ありがとうございます。
長崎市長の平和宣言の全文を読みました。
これがね、日本国総理大臣の本当の声なら・・・と思わずにはいられませんでした。
核保有国を名指ししての訴え、どうか少しでも多くの人々に届きますように・・・。
平和の祭典の裏側で、新たな争いが。
・・・本当に言葉も出ません。
Anybody home(´・ω・`)!?
こんな言葉は、映画の中のジョークだけにして欲しいです。
長い上に取り留めのない文章で申し訳ありません。
では。
私は長崎住在です。祖父は兵隊でした。祖母は被爆者です。
幼い頃から8月が近づくと祖父母から戦争の話を聞かされてました。
正直、子供の頃はあまり意味もわかってなくて聞くのもイヤでした。
怖くて泣いたりもしてました。だから自然と戦争と言う言葉から逃げてました。
でも去年、鹿児島の知覧特攻記念館に行き言葉にならない気持ちになり改めて考えさせられました。
それから祖父母の話も自ら聞くようになりました。
やっぱり経験者の言葉は重いですね。
戦争経験者が少なくなってる今、私は祖父母から聞いた話を少しでも言い伝えれたなと思います。
でも簡単なことではないですけどね。
「平和」何よりの願いですね。
京都が選ばれなかったのは、お寺や文化財があるから…
私も聞いたことあります。
原爆を落としたことは許せないこと。絶対に。
でも、どこか日本のことを考えてる部分もあったんだ…って思ってました。
京都に落とすも落とさないも…本当に自国のことしか考えてないんですね。
残念というのか、悲しいというのか…なんの言葉も出てきません。
あちらが日本人を理解出来ないように、私もまた…。
小倉の天候により長崎になったのも知っていました。
ただ、雲の切れ目があった為・・・知りませんでした。
広島がいい大きさだとか、長崎は効果が発揮されないだの、そんなのどーでもよくて…
「実験」というそんな軽い気持ちで人が殺せてしまう。
落とした人間も、落とされた人間も同じ人間・・・なのに・・・なんで・・・。
長崎の平和記念式典観ました。黙祷もさせていただきました。
被害者の方の言葉、聴いていて涙が出てきました。
あの言葉・想い・願いが世界中に届くのはいつになるんでしょうか。
福○さんの言葉、私には何も響くものがありませんでした。
でも。日本の代表ですから。被爆国の代表ですから。
これから世界に向けてもっと発信していって欲しいです。
オリンピックってたくさんの国々が集まって、
スポーツで繋がれる場所だと思うんです。
もちろん皆さん自国を応援されると思いますが、
素敵なプレーや結果が出ると、国関係なく歓声・拍手が起こります。
「国」じゃなくて一人の「人」を見て、感動したりするじゃないですか。
それが平和への一歩にもなるんじゃないかなって思うんです。
そんな中での事件やら殺人やら・・・。
憤りとかじゃなくて、呆れでもなくて、何て言うんでしょう。
本当に、「Anybody home(´・ω・`)!?」そんな感じです。
63年前の世界と何が変わったんでしょう。
平和への願い…いつ届くんでしょう。
ケン坊、スペースお借りしますね。
◆サオ吉さん◆
はじめまして(^-^)
お誕生日おめでとうございます
サオ吉さんを見てると(実際はお会いしてませんが
夢を持ってる方って素敵だなーって思うんです。
ピカピカ輝いてて眩しくて
夢が叶う日を遠くからですが願ってます
サオ吉さんにとって素敵な一年になりますように
長崎原爆の日の前日、夕方のニュースで小倉に投下されるはずだった原爆が何故、長崎に・・・って特集がありました。
そして、被爆者の方達で結成された合唱団が紹介されていました。
「平和への祈りを込めて一生懸命歌います」とインタビューに涙目で応えていらした女性は73歳だそうです。
一瞬にして沢山の大切な命を奪ってしまう戦争・・・原爆・・・二度と同じ過ちを繰り返してはいけない!その為に忘れない為に語り継いでいかなければいけないと思いました。悲しいから、怖いから、と言って目を伏せてはいけないんだと・・・!
そして昨日、長崎に原爆が落とされた日・・・。
寝る前に見たニュースではオリンピックの試合結果があり、中国でアメリカ人が中国人に殺害され、長崎では平和への祈りを込めて燈籠流しがあり、夏休みの旅行で賑わう空港、駅が映され、他国での戦争勃発・・・もう何をどう受け止めたらいいのか・・・何とも言い難い気持ちになりました。
世界中が平和になるってそんなに難しいことなんでしょうかね・・・。