ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




・・・ちょっと見てみたら、去年は今日のブログは、どーゆーわけかおみくじの写真。まぁそれはいいんですけど、えっらい時期はずれに行ったんだなぁ。ヒマだったのだろうなぁ(笑)。

で、ちょっと読みかえしてみると・・・、いきなり「数日前の夜~玉子を洗いたてのキッチンマットに落とし」たらしい。うわー、最悪だー(笑)。我ながら、痛々しい(笑)。

そして素晴らしいことに、アレから一年、僕は、なんと。

玉子をキッチンマットに落としていないのですよ!ゴゴォー!(←?)

すごいなぁ。こんなのも、考えてみればですね「あぁ、前に『落とした』ってブログに書いたなぁ。・・・気をつけよう」って思って持つからなんですよね。いや、ほんと(笑)。そういう意味でも日記って、いいかもですよ。記憶を確かにする効力が、・・・多少は(笑)。題して、「日記をつけると玉子を落とさなくなる法則」

そして、読み進めてみると「僕は無宗教な人間ですが」ってありました。

うーん、これは単純に、勉強不足でした。というか、認識不足でしたね。。少なくとも宗教という事に無頓着で、自分がどういう宗教観を持つ国や環境で育ってきたか、なんてこと、少しも考えていなかったという証拠です。恥ずかしいけど、アレから一年で「自分を取り巻いてきた、また多くの日本人ならほとんど皆が関わっている宗教」というもの関しては、ある程度長々と(←えーほんと、長々、と(笑))ブログで説明できるくらいには、なったつもりです。何度も書いてますが、日本人の文化、そして宗教観は「神道と仏教」でおよそ説明できます(まだ一部しか書いてないですが、また追々)。

あとね、キリスト教はとっても有名ですよね。確かにあちこちに教会も見られますが、実は日本では信徒数は人口比1%以下、という少数派なんです。これは裏を返せば、それだけキリスト教が布教活動にとても熱心な宗教だということです。先日、公園で子供を集めて紙芝居をしているおじさんを見かけました。遠くからだったので「へぇ、今でも紙芝居屋さんが」と嬉しくなって、何枚か写真を撮り、近づいてみると、聞こえてきたのは「・・・ですからマリア様は・・・そこでイエス・キリストが」などという言葉。そして間も無く紙芝居が終わりますと「では皆さんも、家に帰ったらお父さん、お母さんにこのお話を・・・」ということでした。ほかにもこういう布教、そして「勧誘」などはさまざまな形で、特に新興宗教などでみられますね。

対して、日本の国教とまではいわないまでも、神道(や仏教)は、ここまでせずとも、もう僕達一般の日本人という沢山の信者がいるので、そこまではしなくとも成り立っている、とも考えられますね。「信者」という言葉に一種の恐さを感じるのは、一部カルト教団のせいなのですが、これはいたしかたないことですね。使っている僕も、そうなのですから。信仰というのも度を過ぎると、自他共に、扱いづらくなります。・・・戦争の火種にもなるくらいですから。

昨年と今年で、別に僕は宗教家になったわけでもありません。相変わらず、全然信心深くない、都合のいい時だけカミに頼ろうとする(←しかもけっこう言葉の上だけ?)、普通の日本人です。正直、本当に困った時にわかると思いますが、「ちゃんとしたカミの頼り方」すら知らない、ってのが普通でしょう。

しかし、僕達は日本人。同じ共通文化を持ち、愛しているはずです。お寺や神社が好きな人も多いことでしょう。しかも、歳をとれば、とるほどこの傾向は強まるのではないでしょうか。それも、日本人だってことですよね(笑)。そして、日本語。このブログひとつとっても、顔も知らない人同士が、うしてコミュニケーションを取れるのは「日本語」という僕達固有の文化のおかげですよね。このブログがエジプト語で書かれていたら、まったく同じことが書いてあっても・・・読めないですものね(笑)。やっぱり、僕達の言語は日本語なんですよ。よくもまぁ、僕達は難しい言語をマスター(まぁ・・・困らない程度には(笑))したものですよね。これって、すごいことなんですよ。

世界地図を広げれば分かりますが、日本は小さいです。そして東側はだだっ広い海だし、西側のお国とは、・・・残念なことに(←ほんとに残念)正直、今のところあんまり仲がよろしくなーい(近いのにまったく言葉が通じない。遠いアメリカやイギリスの言葉は学校で習うのに・・・)という、特殊で、難しい場所にあって、そして複雑で長い、独自の歴史を持っている。

そんな日本で、僕達は、同じ時代を、2008年を、今こうして一緒に生きているんですね。5歳や10歳違ったって、取るに足らない微細な違いでしかありません。だってあと100経ったら、今地球上にいる人々はまず全員死んでしまう(すっかり入れ替わってしまう)のですから。そのくらい、世界で、この日本で、今一緒に生きて同じ空気を呼吸をしているということは、奇跡みたいな縁なんですよね。その中で、出合ったり、ましてや実際に言葉を交わす人数なんて・・・ほんと短い一生のうちでは、ほんの僅かですよね。

「袖振り合うのも、多生の縁。」なんて言いますね。

いい言葉だと思いませんか?

輪廻転生みたいないことで、つまり前世に縁があったから、また今世でも縁があった、みたいない考え方です。誰かと誰かが出会うのは、決してただの偶然ではなくて、何かしら前世からの必然があって出会ったんだよ、みたいなね。あ、よく「他生」と書きますが、この言葉の元になっている仏教の考えに立つと「多生」が元です。ちなみに、「多少の縁」ではないのでお間違いなくー

 

えー、で、僕が何が言いたいかといいますと(笑)、こんな風にして、せっかく同じ時を一緒に生きているのだから、・・・まず生まれ故郷である家や日本を大切にしてね、そして生きている限りある時間、つまり毎日を大切に(たぶん、あっという間に終わるから・・・)、あと、できるだけ周りの人を大切に(・・・難しいけど)、そして自分を大切にしていきましょうね、ということです。せっかく、一度生まれてきたんだから・・・

僕なんかが偉そうに言えることじゃないんですが・・・僕自身、出来ればそうしていきたいな、と思っていて、そうできたらいいな、と思ってるんです、ということです

焦らず、サボらず、ね

そして出来たら、お互い、毎日元気良くやっていきましょう。

・・・しっかりもるもる食べて、飲んで(笑)。

ではー。



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