新 風のふくままに 

写真付きで日記や趣味を書く。プロフィールを変えました。

伊豆が岳から子の権現2021.1.16(写真付き)

2021-01-17 | ハイキング・登山

昨日は新年登山として、緊急事態宣言の中だが、天気も良く気温も高いという予報に、武甲山と伊豆が岳の真ん中にある武川岳に登ろうと企画して、コンパスクラブにも予定を提出した。しかし、どうも前武川岳の近辺で熊を見たとか、新しい糞があったとかのヤマレコなどの記事があって、人が少ないコースで、高齢者の二人組では、何かあっても困るということで、人が少し多そうな伊豆が岳から子の権現までのポピュラーなハイキングコースにしたのだった。6年前、リーダーとその友人のグループと一緒に総勢9人で登ったことがあったので下調べはしていなかった。しかし、行き方は分かっても、まったくどういうコースか覚えていなかった。

武川岳から二子山に出て芦ヶ久保の氷柱を見て帰ろうかと思ったり、かなりそのコースはハードらしいので、正丸に出るコースをとろうか、どちらも日の短い今はちょっと無理かな?名郷からの周回コースにしようかな、とかとかいろいろ調べていた。中には伊豆が岳に出るコースもあった。トレランの人たちのコースのようだったが。それでそのあたりの地図はかなり見ていたのだった。子の権現へコースは見ていなかったが。。。

以下は今日のこととして記載する。

最初は飯能からバスで名郷にでて、武川岳を目指す予定で、バスの時間に間に合うように池袋から特急で飯能にでたが、行先変更で、正丸まで電車を乗り継いだ。8時半ごろについただろうか?

6年前、みなみらんぼうさんに出会った正丸駅だったが、今日はそんな有名人はいないみたいだったが、10組前後のハイカーがいらした。トイレに並んでから、心持の準備運動をしてから、急階段で登山コースの方に出た。手すりを触ったら、霜が手袋について冷たい。この先子の権現までトイレはないのだ。

名栗げんきプラザと伊豆が岳への道と出ていた。名栗げんきプラザってどういうところだろうかと、今回調べたら、飯能市の青少年施設のようでプラネタリウムとか宿泊施設、キャンプ場などがあるようだった。以前見た案内板が貧弱だったので、どんな施設かと思ったら立派な施設で、車やバスでもたどり着けるのだが、駅から歩くと大蔵山コースと言われる私たちが歩いたコースをたどって90分かかると出ていた。子供たちの団体も歩くことがあるらしい。

ガードをくぐって、舗装道路を歩く。何組かが先行しているから安心。安産地蔵尊のお社はは割とすぐにあった。閉じていたので素通りしてしまった。以前は見逃してしまったようだが。そこからなおも舗装道路をたどると、正丸峠分岐にでて、大蔵峠だか大楠峠だったかの入口があり、ハイカーが何組か入っていったので、私たちも細い登山道に入った。杉林の中の暗い登山道がくねくねと続く。

げんきプラザとの分岐を左に行くと、五輪山方面への道は崩落気味でう回路を通るように案内が出ていた。以前は五輪山で集合写真を撮ったのだけれど、今日は行けませんね。

途中な岩に木が生えていた。

それでう回路をたどり、男坂の斜面が見えるところに出た。危険だから使わないようにとは書かれているのだが、自己責任。何人かが登っているらしい声が聞こえて、ちょっとためらった。しかしリーダーのザックが重そうだったので、こちらも、う回路の女坂の方に向かった。何分、緊急事態宣言下ですから、救助騒ぎは避けたいですものね。

途中から女坂も崩落しているから中間道を通るように案内が出ていて、中間道を通るが、こちらも岩交じりのなかなか歩きづらい道だった。6年前も同じでしたね。

上の方から人声が多くなって、左の岩場には、抜いていった女性3人組の姿が見えた。男坂を登ったらしい。体力あっていいですね。運動部らしかったけれど。単独行らしい赤いシャツの女性も男坂に挑んだらしいが、まだ到着していなかった。

最後の一登りで、大きな岩のある頂上部に出た。お茶屋さんを開いていた方のレリーフがあった。

以前登った時は霧がでて、周囲は全く見えなかったのだが、今日は快晴で周辺の山々と東京方面の平野が見渡せた。海も光ったいるところがそうなのだろうか?6年前は10時頃ついていたようだが、今回はう回路もあったし歳も撮ったからか。10時45分ごろだったかもしれない。

伊豆が岳の説明の看板のところで写真をとり、その先の岩場にある標識などでも写真を撮ったが逆光になる。その後岩場の一部が空いたので、早昼を頂く。今日は最初、寒いかもと思ってカップ麺にした。その後暖かくなるというので、おかずには凍ったアクエリアスを入れたので、おかずは冷たいが、麺が暖かくて助かる。

汗はかいたが冷たい飲み物が欲しくなるほどではなかった。頂上は時折弱い風が流れたが日差しがあるので、一枚上着を羽織る程度で済んだ。

山頂広場のハイカーたち

山頂部の大黒天様?

さくらの大木と北西側

北側の山々で、ちょこんと前の山から覗いていた山は、途中から段々になっているので武甲山かなと思っていたが、トレランの男性3人組が、手前の丸みのある山が武川岳で、その向こうに頭が見えているのだが武甲山で、これから縦走するとのこと。一応私たちも武川岳を目指したが熊情報で止めましたとお話したら、熊鈴持っていないからと、ちょっと怯んでいらしたが、体格の良い派手派手の大柄な男性3人組だし、声を出しながらドンドンと走ったら、大丈夫でしょうと話した。熊も逃げそう。

 

武川岳と武甲山

私たちは西側の子の権現への標識に従って、激坂を下りる。降り始めのあたりに山伏峠への分岐があった。これが武川岳の方に続くのだった。私たちは相当な急斜面で、緊張する。

荒れた階段

軽く登り返して、20分ほどで小御岳(こみだけ)に到着。こちは東屋があり、樹木越しだが今は葉がないので展望がよい。上着をとって、出発。

南側の山並み

途中採石場が目についた。

降りて少しなだらかになっては、また急斜面が現れ、難儀しながら降りて、同じことの繰り返しが続く。たまに登りもあった。以前高畑山ということろで昼食にした記憶があったが、やっとその高畑山にたどり着く。ベンチがあるだけで、眺望はない。

途中の鉄塔だが、電線は見られない。

何回もこういう標識を見る。

平坦な道の先には登りが待っている。

外国人の女性が一人小ピークの方に行ったが、私たちは巻き道へ。大半の人は巻き道をたどっていた。そこが地図の中ノ沢ノ頭だったのかもしれない。天目指峠(あまざすとうげ)への道標がずっと続くが、一向に天目指峠にはつかず、相変わらずの激しい下りと登りを繰り返しているうちに、やっと道路が見えて、峠に出た。左側から降りたので、木の根につかまっての急降下だったが、右側には普通の登山道があったみたい。

そこには、鰻伝説の話が看板に載っていた。道路を渡った右側には小さな東屋の休憩所があり、道路わきに大きな、天目指峠の看板が立っていた。その林道の最高地点なのかしらね。ただトイレは設置されていない。2時ごろだったと思う。

そこには、豆柿の看板も設置されていたかな?今回看板を読まなかったのだが、「天目は豆柿のことでこの辺に多く自生し、指は焼き畑農法のこと」だとか、と以前のブログに記録してあった。正丸から8.5キロ、吾野まで6キロという表示にえーっとなる。杉林の中は木漏れ日が入っていも、午後1時とか2時でも夕方のような感じがする。子の権現まで1キロくらいだが、山だから1時間はかかるだろう。

そこから、また急坂を上り、登り下りを繰り返して、ピークを過ぎる。愛宕山だったようだ。それから急斜面を下りていくと小さな祠があり、その下に鳥居があった。そこが、竹寺への分岐だった。竹寺へ出て、竹羊羹を買い求めて、子殿からバスで帰ろうかと思って、地図を見たら、竹寺へも、豆口峠を経て、1時間以上かかるし、そこからバス停までも1時間弱、子の権現までなら20分くらいだから、子の権現に向かった。ほぼなだらかな見慣れた道をたどり、6年前と同じく放置されたお釈迦様の大きな手の手前に紅梅だけが咲いていた。道沿いにはフクジュソウが植えられているのが違っていて、ちょうど見ごろを迎えようとしていた。もう少し増えると見ごたえがありますね。土が乾きすぎて、白っぽく映っていた。

そのあたりからは、北側に伊豆が岳かなという山が見渡せた。

それから、竹林の横の細い通路を経て、子の権現のお堂のところについた。

お賽銭箱の上には奉納されたわらじが置かれていた。

もう4時近かったが、初詣にあたるので、丁寧にお参りをして、鐘楼のところまで大きな階段を登って、かわるがわる鐘をついた。若干の芳志を入れるようになっていた。30秒以間をあけけてください、と書かれていて、リーダーが鐘を突いた後、しばらくしてから私もついたのだが、最初小さく鳴ってしまって、2度目に大きく突いたのだが、30秒経っていなかったかもしれない。しかし2度目の音は素晴らしく鳴り響いた。余韻も長い。

それからスカイツリーまで見えるという展望所の方にまわったが、夕方でカスミがかかってきていて、はっきりは分からなかった。

それから茶店の横の公衆トイレを利用したが、いまだに旧式のトイレだった。

リーダーは茶店でバッチを購入。もう店じまい気味でほどんと商品もなく、駅への道を確認させていただいて、駐車場の先の道路にでた。もう4時過ぎだった。

吾野へは1時間10分とあって、西吾野は1時間と書かれていたので、私たちは以前と同じ西吾野に向かったけれど、吾野どまりの電車もあるのかも、急行が止まるかも、電車賃も少し安くなったかな?などと半分後悔しながら、道路から脇道の西吾野への細い登山道を下って行った。

かなりの急斜面のジグザグの道を、暗くなってしまいそうと、最後の馬力をかけて、ずんずんと進む。疲れているところに無理したら怪我しそうと、注意しながら進んだ。結構石ゴロゴロの道なのだ。前にも通ったはずだが覚えていない。

それから何か屋根が見えたような気がしたが、まだ岩や石の多い、まるで沢だったような道をたどると、実際の沢が横に流れ始めて、そういえば、子の権現に最初登った時にこんなところを通ったかな?と思いだした。我慢して歩いているうちに、道路になり、民家が現れ、さらに下ると大きな通りにぶつかった。まだ少し明るかった。ああ、よかった!この辺はどういうわけか道路が濡れていて、通り雨でも降ったのか?数日前に降った雪が解けたのか?沢には、所々雪の後も見られた。

道路際を歩くとすぐになんとかガーデンという喫茶店かレストランがあって、休憩したくなったが、その間に電車が来てしまったら!と思い返して、信号まで歩き、右の坂を登って、駅舎に向かった。その間にも電車が来てしまったら、ガッカリね、と話しながら急ぎ足で歩いた。多分一時間に2本程度だと思うので。無事についた。

幸い電車は10分後くらいだった。靴洗い場があったので、リーダーがそちらに向かったが、冬季で水道凍結の恐れがあるため、水が出ないようになっていたとか。

何分、からからに乾ききった登山道で、登山靴もスラックスも土埃で真っ白。ちょっと都会に出たら恥ずかしい感じだったのだ。

電車が来て乗り込んだら、ぽかぽかに暖房されていた。靴をアルコール消毒のティッシュで拭いたら、真っ白と思っていたのが、真っ黒になった。土ですものね。

それから飯能で、氷か炭酸を買おうということで駅の売店に寄ったけれど、売っていなくて、リーダーはハイボール缶を買い求めていらっしゃった。

コロナ禍で普通の列車内で飲み食いするのも憚れるので、ちょうどまもなく来る特急で帰ることにして、特急券を買い求めたのだが、券売機はその前の特急が発車するまで、次の特急券は買えないとかで、少し待たされた。ともかく発車時間過ぎないと買えないのだった。

それで18時5分の特急に乗り込んで、残ったおつまみとか頂いたが、歯をすっきりさせるような果物がもうなかったので、早く帰って歯磨きしたくて仕方なかった。実はミカンを、途中で一個落としたのだが、コロコロと急な斜面を転がって、見えなくなってしまったのだった。追いかけて取ろうとして滑落しなくてよかったです。鹿の餌にでもなったでしょうか?

ということで、池袋に思いのほか早くついて(18時46分)、8時半ごろにはリーダーも私も帰りつけました。西武の特急は、停車駅が少なくて、早いですね。空調で換気しているとのことだった。

お天気も良く、眺望にも恵まれ、ハードなコース(中級だけれど)を無事に完歩できてよかったです。年を感じましたが、台風とかの被害も多かったので、登山道が昔に比べて荒れているのかもしれないとも思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする