新 風のふくままに 

写真付きで日記や趣味を書く。プロフィールを変えました。

家族の病気と患者力

2018-01-27 | 健康

昨年秋に家族が初めての大腸がん検診で潜血反応が見つかって、精密検査を受けたのだが、胃がん検診の内視鏡検査が苦しかったとのことで、CDによる検査を受けた。私は内視鏡の方が取れるものはすぐ取れるから内視鏡の方が良いのでは、といったが、よほど嫌だったらしい。

そしたら検査機関からすぐに電話があったので、ちょっと危ないのかなと思っていたら、案の定大きめのポリープが見つかって、再検査。CDでもお腹は空にしないとならないから、またお腹を空にして、今度は検査機関の近くの帝京大学病院を紹介されて、内視鏡の検査。ところが、取れるときは除去するようにという指示がなかったので、細胞診だけして終わり。まあ、内視鏡で取れる限界のサイズということで、特別な器具が必要だそうで、その用意がなかったから仕方ないのかもしれない。

次の週に検査結果を聞きに行ったら、外科の方ではまだ検査結果が一部しか出ていなかったらしく、がんではなかったと言われてほっとしたのに、午後の内科(内視鏡担当)に行ったら、さらに精密に検査した結果、がん細胞が出たとのこと。うー!まだ若いのにね。

それから先生が二つの治療方法をおっしゃって、患者側が選んでくださいとおっしゃった。

一つはまず内視鏡で除去する方法。身体の負担は低いが、万一取り切れない場合は再手術が必要になる。

もう一つは最初から外科手術をして、取れるものは全部取ってしまう方法だが、身体的負担が大きくなり、入院期間も最大1か月くらいになるとのこと。

それで家族は仕事のことも考えて、最初の内視鏡手術を選んだ。

時期は年末年始が入るために早くすることができず、先日の12日に手術となって、手術の危険性の了解のサインを求められて、サインして実施された。

2時間半くらいかけて取り除いて頂いたが、それを手術後に見せて頂いたが、内視鏡の写真の印象よりは大分小さかったので、少し安心した。

しかし、見ただけでは判断できないとのことで、病理検査の結果を見ないと、再手術が必要になるかどうかは分からない。昔親の食道がんの手術の時に見せて頂いた患部は本当に直径2センチ半くらいのサイズで転移もあるかもしれないと言われたのだったが、それよりははるかに小さくて、ほっとしたのだった。まあ、早期と言えるのかもしれない。まだ分からないけれど。

最初がん保険にはいっていることもあり、個室を希望していたが、個室は満室で4人部屋。4人部屋でも部屋にトイレとシャワー室があるので、差額ベッドの対象になる。今時差額ベッド代のないベッドは少ないようだった。

この病院、入院棟が7階以上になっていて、眺望がすばらしい。室温も玄関など2重になっていて外気が入らないようになっていて、部屋はボカボカ。談話室から晴れていると、富士山と関東の山々が見渡せて、気持ちが良かった。

一昨日病理検査の結果を聞きに家族と一緒に先生の所に伺ったが、幸いなことにがん細胞は上皮内にとどまっていたとのことで、再手術は必要ないとのこと。家族と一緒に本当にほっとした。まあ、若い間は半年に一回か1年に一回位は検査をし続けないとならないようだが、本当に大腸がん検診(検便)を受けておいてよかったと思った。

手術を受けるに際して受けた心電図に軽い異常が見られたとのことで、家族は心エコー検査を受けてくださいと言われて、病院に残ったが、私は買い物をして帰宅した。検査結果はしばらくかかるというので、結果が分かるのはだいぶ先だが、体力ないのもそういう影響だったのかもしれない。それなら無理なことはしない方が良いわけだ。

内視鏡手術の影響も今週まではお風呂の中には浸からないように言われていたし、術後一か月くらいは固い食品や刺激物は食べない方が良いとのこと。内視鏡手術といっても大腸の表面をこそげ取ったので、身体にはかなりのダメージなのだろう。

たいていの人からは、今は大腸がんもほとんど治る時代だから心配しないようにとは言われたけれど。

まあ、病院嫌いの家族だったが、病気が早めに見つかって、良かった。職場の検診のおかげですね。40前後の方は、まだ健康診断を受けていない時は早めに受けて、早期発見早期治療をしてほしいと思います。 

私たちの時代と違って、排気ガスとか、食品添加物とか、いろいろなものが私たち以上に体内に取り込まれていると思われるので、検診は早めに受けた方が良いと思う。パソコン、携帯などの電磁波の影響もありますね。

この間のNHKでも取り上げていたが、今は患者に治療の方法を選ばせるのが普通になってきているのだとか?患者力が試されるのだそうだ。多分訴訟社会が日本にも及んできていて、病院側も防御せざるをえないのだろう。

患者はネット検索するにしても、怪しい治療法で助かったというような情報も多いので、そういう情報ではなく正統派?の情報を得るには、「site:go.jp」や「site:ac.jp」入れて検索するのが良いと言っていた。行政機関や、学術機関・大学などのサイトで検索する方が今の最新情報が得られるとのことだった。体験談もかえって不安に駆られることもあるので、注意が必要なようだ。

私も大腸がんで検索してみたが、圧倒的に多かったのは、効くかどうか分からない治療法の成功体験談が多かった。こういうものは個人差もあるし、詐欺的なものもあると思うので、あまり当てにしない方が良いと思う。

食材も生協を復活した方が良いかな?なかなか手続きできていないけれど。。。

 

 

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親の救急車騒ぎ

2018-01-23 | 健康

この間の日曜日に親戚のチャリティーミニギターコンサートに参加して、軽食をいろいろ頂いて、一緒に参加したいとことそのいとこに付き合ってほとんど最後までお付き合いしてから帰宅したのだったが、お土産に頂いたお饅頭をもう遅いから食べないでねと言って、親に渡したのだった。

私がお風呂に入っているときに、その親が具合が悪いと言ってきた。慌てて出て服を着てから行った。胸が苦しいというので、ニトロをなめてもらうが最初ちょっとむせる。水を飲んでもらって落ち着いたところで5分おきに再度なめて計3回なめてもらい、少し落ち着いたみたいだったので、2階で休んでもらおうとしたが、まだ胸のあたりがいつもと違うという。訪問診療の医者に電話したが、訪問しても検査はできないから、救急車を呼んだ方が良いと言われて救急車を呼んだ。

親は最近トイレに着く前に漏らすことが多くなっているので、無理やりにおむつ型のパンツをはいてもらい、スリップにシャツだけだったのでスカートをはかせてセーターを羽織ってもらった。

すぐに向かうと言われたがしばらく時間があったので、万一入院になったらといろいろ詰めて、帰るときのオーバーや靴もいるということで、重い鞄をもって、待機。自分も寒そうだから、着替えて厚手のコートを羽織って待機した。

普段よりも痰がでるらしく、のども乾いたらしいのだが、水を飲ませると吐く可能性があるというので、病院につくまで何も飲むことができず、酸素マスクは気持ちが悪くなるというのだが、外せずに我慢してもらった。ぶつぶつ文句が言えるくらいに元気だったわけだ。

病院に着いたら、私は廊下で待っていて、心電図を取ったり、レントゲンを撮ったり血液検査を受けたりして、大分経ってから、娘さん、親に説明してあげてくださいと言われてベッドの横に行ったら、生理食塩水の点滴を受けていた。

なんで自分がベッドにつながれているのかが理解できなかったみたいなので、説明したそろそろ検査結果が出るので、お医者さんを呼んでいると言われたが、医者はなかなか見えなかった。眠そうな若いお医者様がやっと見えたが、検査結果は問題ないということで、帰宅するように言われてしまった。私も親もちょっと入院させていただけないかなと思ったけれど、大丈夫というのに無理に入院することもできないのでタクシーを呼んでいただいて、タクシーで帰宅。

オーバーも慌てて薄いのを用意したので、寒かったし、家の階段を登れるかなと思ったが、何とか登ることもできて、少し寒くなっていた部屋を暖めて着替えて休んでもらったが、トイレ大分長時間入っていたので、もしかしたら便秘でお腹が押し上げられて、胸が痛いと感じたのかなと思った。何しろ、夜は食べないでと言って渡した饅頭を夜遅くに食べてしまっていたのが原因かも。。。(包んでいたビニールが床に落ちていた)…

ともかくも、安定剤を飲んでもらって熟睡してもらった方が安全かなと思って、処方されている安定剤を飲んでもらって、休んでもらった。

こちらはさらに朝寒くないようにと暖房をセットしたり、万一自分が寝坊してしまったときのために、家族の朝食のおかずを作ったりして、新聞屋さんのバイクの音を聞いてから休んだので、自分の方がこのままどうかなるのではないかと、安定剤を飲みたい位だったが、あまり寝坊するわけにも行かないのでそのまま休んだ。

幸い1時間後のベルで起きて、家族と朝食を取ってから、再度私はしばらく休んだ。

起きて見たらまだ親は寝ていて、ちょっと心配だったが、大丈夫だった。良かった!

しかし自分が救急車を呼んだことも忘れていて、病識が全くないので困る。言っても忘れるから、紙に書いておいたけれどね。そのメモも気に入らないのか、しばらくしたら捨てられてしまったりする。

少し食欲が落ちているようにも思うので、やはり便秘しているのかも。野菜をあまり撮らない日が続いたからかな?最近シチューのようなものも残していたし。何か工夫しないとね。自分が便秘なんてとんでもない!私は全て順調と思い込んでいる(思い込みたい)ので難しい。

まあ、ふかし芋が好きなので、サツマイモをふかしましょう。

 

 

 

 

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草津白根山の噴火事故

2018-01-23 | 社会

今朝の草津白根山の噴火のニュースには驚いた。

もう大分前になるが草津白根山のお釜の方を歩こうと以前の仲間で、火山情報も見ないで出かけたのだが、レベル2ということで、規制が行われていて、お釜のある白根山には登れず、車も止まってはいけないというので通り抜けた時に鏡池を車窓に見おろして、今回噴火した方の、その時は規制がなかった本白根山の方を歩いて終わりかけのコマクサを見たりしたが、その規制が昨年レベル1になって白根山の方もいけるようになったというので、行けたらいいなと思いつつも、登りたい山がたくさんあって、まだ行っていなかった。

噴火直前の火山性微動も判断がつけられないまま、警報は出されず、5分後には噴火だったらしいから、対策の取りようがありませんね。なんとスキー場に噴石が降って、自衛隊の方が亡くなられ、重体の方もいらっしゃるとか。ご冥福をお祈りするとともに、けがをされた方々の回復をお祈りいたします。

今はレベル1でも、いつ何が起こるかはわかりませんね。日本大方の山は火山だから、スキーとか山登りとか一応火山情報を見てから行ったとしても、突然起きたら、どうしようもありません。運が悪かったと思うしかないですね。

噴火は実は鏡池のあたりだったそうだ。3000年噴火とか起きていない場所で、ノーマークだったらしい。大昔の噴火口あたりが池になったのかもしれないが、夏だったら大勢の観光客が散策する場所だから、真冬だから被害者が少なかったとも言えますね。災害に逢われてしまった方々には申し訳ありませんが。

結局、地震予知も噴火予知もできないのですね。

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勤務終了に伴う送別会

2018-01-20 | 日常

一昨年のく9月から勤務を始めて、おっちょこちょいの私には不向きな仕事だったのにも関わらず、昨日まで使ってくださった会社、こんなパートにも関わらず、送別会を企画してくださって、最後の仕事のあとご一緒させていただいた。ありがとうございました。

私の方はささやかだが地元のお菓子を準備して持っていっただけ。

最後の最後というのに、パソコンの画面を開けるときに、パスワードを3回間違えて、直属の上司にはご迷惑をおかけしてしまった。これまで一度も問題なかったのだが、数字がロックされていたのに気づかず、3回を超えてダメだったのだ。エクセルに入れてアルファベットのサイズは問題ないなことを確認したのだが、数字については当然小文字が入っていると思ってしまって、入力されていないなんて思わなかった。後から考えれば、文字数が短いな、という印象はあったのにね。やっぱり抜けています。

そんなことがあったのにも関わらず、皆さん親切にしてくださり、新宿3丁目の送別会の会場に主に女性軍と一緒にタクシーで出向いた。タクシーっといっても流しのタクシーで、自分たちの会社にはこだわっていなかった。男性軍は歩いたそうだ。20分程度だったそうだが、関心する。相当に距離があると思ったけれど。

場所は伊勢丹の東側の向かい側だったみたい。最近は伊勢丹もたまに地下から食品売り場に行くくらいで外側からの建物を見たことがなかったが、可愛らしい装飾が施されていた。

場所は長野県の物産を使っているという居酒屋だった。ビールで乾杯(ちょっと薄い?という方もいらした)のあと、日本酒やらワインなどそれぞれ注文。飲み放題では日本酒は一種類のみ用意されていて、別の銘柄を頼みたいときは一人300円アップになるが、今回はそれはなしにしましょうということになった。

しかし、岩波という銘柄のお酒、甘口ではあるが、結構いける、ということで、皆さんメインでお飲みになり、私も5ミリずつ計おちょこ1杯は飲ませて頂いた。

最初にキャベツと大根数本の盛り合わせが置かれていたが、それはお通しではなくて、コース料理の一つだったみたい。美味しい辛みそがつけてあった。甘みのある美味しいキャベツを皆でぼりぼり頂いた。

スモークサーモンの一皿を分け、串焼き2本ずつを頂き、すぐに山賊揚げが出たが、5人で1つを分けて頂いたので、少ししか頂けなかった方もいらしたみたい。

少し時間をおいて、うすーいパリパリの香ばしいピザ。えのきがほんの少しずつ載っていた。なんと言っても野菜が高騰しているので、野菜の量が少ないけれど。しかし生地が薄いので、お腹が膨れない。

それから、しばらくお酒メインで飲み進み、やっとネギとワサビの乗った小皿が10人で2皿出てきた。これだけ?と誰かが言ったら、5人で分けてくださいとのこと。そばつゆは人数分届いたが、そばは5人で一人前位。若い人もいらっしゃって、ちょっと食べたりない感じ。おそばそのもののお味は美味しかったが、残念。

5人で分けた蕎麦とネギ。

デザートはつかないでしょうと話していたが、アイスクリームが付くという。幹事さんが指でこのくらい?と言って3センチくらいの大きさを示したら、最中でもうちょっと大きいというので、期待したが、最中の皮の半分に予想通りの大きさのアイスが乗っていた。最中の皮はパリッとして、アイスもかなり美味しかったけれど。

最後の飲み物を頼んでから、なんと花束を贈呈された。たった1年ちょっとなのに、立派はお花を頂いて感激した。それから本当のお別れとなった。直属の上司には大変ご迷惑をおかけしたのに、こんなにお花まで頂いて、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

前の会社は15年位いたかもしれないが、退職金も送別会もなかったのに比べたら、大違い。パート勤務だから、こちらの会社でももちろん退職金はないけれど。うーんこの違いは何?

店の前で分かれて、皆さんは飲みなおすのか食べ直すのか、お帰りになるのかは分からないが、私は歩いて駅に出て、最寄り駅で自転車を拾って帰宅。だいぶ酔いもさめていたので、無事に帰宅できた。

ありがとうございました。

さてはて、仕事探しを始めないとね。任意加入していなかった国民年金は、あまりに少ないから。この年齢では見つからないかもしれないけれど、親が自立して生活しているつもりでいられるように、ある程度家を出ていた方がよさそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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年末年始2017-2018

2018-01-08 | 日常

新年おめでとうございます!

暮れに海外から娘と孫が一時帰国。

クリスマスだったので、プレゼントを買いに走ったり(孫はサンタクロースを信じているので私たちからとは言えなかったけれど)偏食の孫の食事作りに追われたり。

忙しく過ごす中、28日には、蓮田の酒蔵の初めての試みという夜の忘年会に参加。いつもよりは参加費もちょっぴりお高かったが、それなりにお食事も美味しく、最後はサプライズで蓮田駅までのタクシーまで用意して頂けて、楽しい忘年会を過ごすことができた。樽酒が振る舞われて美味しかったみたいだが、私は十分酔っていたので頂かなかった。

29日だったかの夜、娘の外出で孫を寝かしつけたのだが、地震が起きて、体重の重い孫を抱いて逃げ出すとなると大変だったが、幸いすぐに収まってほっとした。孫にとっては日本での最大の体験になったそうで、日本の印象を聞かれると、地震のことを話しているとか。ママもいなくて、よほど怖かったのでしょうね。

30日は孫を半日預かることになって、レールランドにまた行きたいというので、連れて行ったのだが、なんと休園。多摩動物園も休園で、どうしよう!でも乗り物好きなのでモノレールに乗って、立川に出ようか多摩センターに出ようかと迷ったけれど、多摩センターから、新百合にでて小田急のロマンスカーに乗っても喜ぶかなと思って、多摩センターへ。途中、モノレールから今ごろはダイヤモンド富士が4時半ごろに見られると書かれていてちょっと魅力的だったが、今日は孫第一なので、多摩センターで降りて公園へ。

以前横山の道のハイキングの時に、確か最後の多摩センターの駅の手前に公園があったと思って、駅前から階段を次々上って行くとクリスマスイルミネーションの飾りの馬車とかキティちゃんの風船の像とかがあって、記念撮影。階段をさらに登るとやっと公園に行きついた。

公園の池の周りの遊歩道を歩く。どんぐりがたくさん落ちていたので拾ったり、枯れ枝が落ちていたのに葉がついていてそれを払って落としたりしながら歩いた。遊具を探したが見つからず、芝生で走ってみたり、池のほとりで、カモや鯉を観察したり。お腹が空いたというのでパンと煎餅を食べさせたり。それから寒くなってきたので、また階段を下りて、駅に出た。

新百合ヶ丘に出たが、ロマンスカーは当分来ないので、普通の急行で帰ろうと思ったが、どうしても乗ってみるというので、一時間近くも待って、やっと乗り込むことができて、新宿に出た。下北沢あたりのトンネル部分のあたりで見るものもないので、孫は眠りかけて、どうなることかと思ったが、何とか目を覚めしてくれて歩いて京王線の方に移動できた。ただ、タクシーに乗るしかないかなと口に出してしまったせいか、電車に乗ってからタクシーに乗りたいと言い出した。最寄り駅にはタクシーはいないから、近くのいそうなところで降りたが、タクシーは待機しておらず、甲州街道沿いを歩いてみたが、タクシーが一台通り抜けてしまった後は来なかった。いよいよ歩いて帰るしかないと思っていたところに回送のタクシーが来て、孫が手を挙げていたおかげで止まってくださって、近くなら回ってくださるというので、ワンメーターだが、乗せて頂けた。ご親切、ありがとうございました。孫はいろいろな乗り物を経験できて大喜びだった。

新年の初日の出登山は、飯能の天覧山を考えていたのだが、今年は西武鉄道が終夜運転しないとの情報。今年も元旦午後には親戚が訪ねてくるので、遠いと大変だし、大みそかの朝の天気もあまりよくなかったので、やめることになった。午後には晴れてきて、日の出は見られたらしいのでちょっと残念だった。

元旦は親戚も大勢来てくださって、にぎやかに過ごした。私が日の出登山する予定といったので、お節も持参してくださり、珍しいものをいろいろ頂くことができました。ありがとうございます。私の方は例年のごとくお肉を焼き、ブロッコリーと芽キャベツをゆで、生野菜のサラダも少し用意したが、今年は野菜が高騰していて、あまりたくさんは用意できなかったが、野菜類は好評で皆食べてくださったので嬉しかった。

2日はワンちゃんを飼い始めた長男宅に寄った。娘は孫を新幹線に乗せたいと連れだして、なかなか来なかったが、無事に合流できた。長男一家はお嫁さんの実家から帰宅したばかりだったので、長居せずに帰宅。新幹線は東京上野間の5分だけ乗せたのだそうだ。その方が帰りが楽ですね。

3日は娘たちが出発するので、バタバタし、午後に一緒に新宿からリムジンバスに乗って成田へ。孫の好物のマカロニを作ったのに持参するのを忘れて馬鹿ですね。まあ、細かく刻んだら親がおいしそうに食べてくれたので良かったけれど。しかし、今年は連休が少なくて、海外に帰る人も多くて、搭乗口も長蛇の列。

大分早めに並んで、荷物検査に行ってしまい、もう会えなくなってしまって、7時離陸だが、私は5時ごろに京成スカイライナーで日暮里に。日暮里駅の乗換は初めてで、すぐ横のJRのホームに降りたら、そこは高崎線と宇都宮線のホームで、次のホームに行ったら、上りのホームで、また階段を上がり、一番先のホームが山手線の内回りだった。良い運動。京成スカイライナーの方がJRの成田エクスプレスよりは500円位安くなる。乗り換えが面倒ですが、成田の駅は隣接している。

家に帰ったら、がらんとして静かで、やっぱり寂しい。親も息子もいるのだけれどね。あの、孫の大きな声やピアノをかき鳴らす音もしないのだ。

しかし、4日午前中は片づけものに追われて、寂しく感じる時間もなく、午後は仕事だと思い込んでいたので、あわただしく職場に行ったのだが、明日からで良かったと言われて、そういえば、最初4日と言われたがその後に5日で良いと訂正されたことを思い出した。正月早々、オオボケ。

それでボランティアの事務所に行って、ベランダの植物の水やりをしたり、郵便物の整理をしたりして時間をつぶし、次の用事に出かけた。

5日は最初のゴミ出しの日、大量のごみを出したが、収集も量が多くてなかなか回ってくなかった。午後は本当の仕事始め。実はこの職場も残り少ないのだが、最後まで頑張らないとね。こんな私のために送別会までやってくださるとか。ありがたいことです。

6日は家の年賀状の整理とか、片づけとかでバタバタして初詣もできないまま。

7日はまたまた清龍での新年会。150名の参加とかで、若い人たちの一団が飲みすぎ気味の大騒ぎ。しかし、飲まない私には食事がちょっと物足りない???最後に出たブリのお寿司とお吸い物。お吸い物には小さな花びら餅が!甘いのにそのお吸い物が美味しかった。

8日の今日は松飾を外してから、高幡不動に出かけた。だいぶ初詣が遅くなってしまったけれど。

家族に病気が見つかって、手術の成功と病気平癒の祈願をしに出掛けたのだ。午後から雨の予想だったが、親と家族の昼食を用意してから出かけたので遅めになったが、ゴマ修行してからミニ四国八十八カ所のお地蔵様のお参りをした。最後は雨に降られたが傘を持っていたので、最後まで回れた。

それからいつものあんず村で軽食を取り、アートマンでいつものようにバーゲンのタオルを買い、バーゲンの衣類を見たが買わずに帰宅。

明日からは日常が始まります。孫たちは時差ボケに苦労している様子。大変だと思うがどうしてあげることもできない。早く治ってくれるよう祈るばかりです。

 

 

 

 

 

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