新 風のふくままに 

写真付きで日記や趣味を書く。プロフィールを変えました。

燕岳(つばくろだけ)登山2012.7.27~29

2012-07-29 | ハイキング・登山

 

          

                        

 

     

                       

                                      

大分前から、燕岳に登ってみようという方がいらしたので、計画を立てて27日の毎〇アルペン号の夜行バスで出発。新宿からの乗車はできないと言われて竹橋まで行ったのに、なんと新宿に回って人を乗せるという。えーっ!話が違う。もう一度確かめれば良かったけど。電車賃と時間が無駄になってしまった。

竹橋では、中房温泉行のバスは5台。そのほかにたくさんの目的地に向けて、相当の数のバスが並んでいた。ともかくも竹橋から乗り込み、新宿に回った。私は市販の睡眠導入剤(睡眠剤とは違うもの)を飲んだせいか、小型バスの最後尾でリクライニングもない寝にくい座席だったのにもかかわらず、寝てしまった。バスは中央道を走ったらしい。2か所目のトイレ休憩で起きたが間もなくうつらうつらして気がついたら、運転手さんがヒエ平と言っていた。4時前くらいだったと思うが、窓から見たところ、何もない場所。いったいどこに登る登山口なのかしら?2名くらいが下車。今調べたら常念岳に登る登山口らしい。

そこからしばらく林道を走り、見覚えのある穂高のはずれの道を走り、中房へと走って行ったようだが、また寝てしまって、気づいたら有明荘前だった。

 

まだツツジが咲いている。 ギボウシ     ヤマホタルブクロ

      

企画者の方が、有明荘なら荷物の一時預かりと帰りに日帰り入浴できるというので少し前に降車乗車場所を変更しておいた。

6時から入浴セットなどの荷物を預かるというので、それまで庭で体操したりして待つ。お手洗いも借りられて良かった。荷物を預かって頂いて、車道を中房温泉まで歩く。横の川の流れが結構あり、硫黄のにおいが漂っていた。

軽い登りで嫌だなと思ったが、思ったほどのことはなく、15分かからないくらいで温泉前に着いた。大勢の人たちがいて、特にトイレは長蛇の列。良かった、有明荘にしておいて。

  

6:30ごろ登山道の標識に沿って庭を通って行くと、すぐにジグザグの登山道に入った。北アルプス屈指の急登というので、膝の保護のためにストックを出して覚悟して登る。ところどころ、岩とか木の根とか木の梯子などの急なところがあるがそれほど長くは続かない。

既に下りてくる方も途中からはいらして、交互に歩く。上に登るにつれて、渋滞気味になる。

第1ベンチは思ったよりも近かった。ここは水場があるというが、少し下りないとならない。また登るの嫌だなと思ったが皆は美味しい水だというので、私もコップを持って下りて行った。岩の奥からせせらぎが湧き出していて、コップに漉くって頂いた。確かに美味しい。ついでに首に巻くものを濡らして、涼を取った。

日差しはあるが、両側はガスが出ていて、展望はなかった。登山道のところどころに、ギンリョウソウ、ニガナ、シロバナニガナ、ハクサンボウフウ、カラマツソウなどが見られた、一か所、シロバナイチヤクソウが小さな群落を作っていた。

トリアシショウマ  シロバナイチヤクソウ ニガナとシロバナニガナ  ギンリョウソウ

               

第2ベンチまでは思ったよりは近かった。幸い膝は大丈夫。第2ベンチのあたりで、合戦小屋に荷物(スイカなど)を運び上げるケーブルが見えた。先を言っていた仲間の方はごみを下すところに出くわしたそうだ。

                       

第3ベンチに向かう途中で仲間がメガネを置き忘れたと探しに行き、戻ってきたところで、足元からズーンをいう振動を感じた。短い時間だったが地震のようだった。私は立ち止まっていたので感じた訳だが、どこが震源かな?家に戻って調べたら、7時44分に富山東部で地震があり、安曇野と高山が震度1とあった。震源はどうも黒部ダム寄りのあたりらしかった。弱い地震で良かった!

途中ウスユキソウが一つだけ咲いていた。

  

第3ベンチまではやや長い。最初緩いところもあったが、だんだんと露岩も増えてきて急になってきた。しかしフーフー深呼吸しながら歩いて行ったら、ざわざわと人声が聞こえて、第3ベンチにでた。ガスがかかっていて展望はない。多分その分涼しいのだろう。

それから少しまた急な登山道を登ると富士見ベンチに出たが、ガスがかかってまるで展望はなかった。本当に富士山まで見えるのかしらね。

ゴゼンタチバナ      何の花?          イワハゼ          ミヤマカラマツ

      

ツルリンドウの実     ハクサンボウフウ?   カニコウモリ  エンレイソウ

      

ツマトリソウ        ツクバネソウ?

  

あとちょっと頑張れば合戦小屋でスイカが食べられるとそんな話をしながら、また岩の多い登山道を登る。人声がして、合戦小屋が見え、スイカがあるかなと見たら、水で冷やされた大きなスイカが切り分けられて売られていた。

   

私たち女性群は一切れを半分にして頂いた。外側はひんやり、中は少し暖かい感じもしたが、すごく甘くておいしかった。男性群は一切れ(800円)を平らげていた。

            

一休みして、樹木の間の登山道を登ると平らになり、ヒメイワカガミやアオノツガザクラ、コケモモなどが見られだした。ゴゼンタチバナやマイズルソウ、ツマトリソウなども見られた。帰りがけに植物に詳しい方が仲間の方に話しているのを立ち聞きしたら、アオノツガザクラの横に目立たなく咲いていたのが、ヒメイワショウブだそうだ。

ミヤマキンポウゲ     白山フウロ       ヒメイワカガミ    

     

 ミヤマホツツジ               アオノツガザクラ

     

ベニサラサドウダン?  ヤマブキショウマ     

   

その後右側の展望は全くなかったが、斜面には高山植物が増えてきて、ミヤマキンポウゲをはじめとしてハクサンフウロ、シナノキンバイ、ウツボグサ、ウサギギク、そしてチングルマなどが見られた。

チングルマ         スイカズラ?       ハクサンフウロ       クロマメノキの花?

      

合戦沢の頭という三角点のあるところに出た。

  

ところどころ花崗岩の砂礫が滑りやすいところもあったが、やっと霧の合間に燕山荘が浮かび上がった。                   

   

白山シャクナゲ                    ヤマハハコ       シナノキンバイ群落

    

シナノキンバイ

              

    テガタチドリ

                  

                                

まだちょっとかかりそう、と思ったら、そうでもなく、最後の階段状の広い道をフーフー言いながら遅れて登って行ったら、先に着いた人たちが、すごいよ、と呼んでいる。ピッチを上げて山荘前の広場に出たら、眼前に北アルプスの山々が雪渓をいだきながら、くっきりと広がっていた。なんとすっかり晴れ上がっていたのだ。

    

しかし、風があって、雲が刻々と流れ、見えていた槍の穂先は雲に隠れた。右手の方に白い岩峰が迫るのが燕岳のようだ。手前にはテント場があって、赤や黄色のきれいなテントが並んでいた。

宿のすぐ前の草地の斜面に小さな小鳥と言っても雀よりはやや大きい小鳥が戯れていた。ライチョウはあんなに飛ばないよね、と思いながら見ていたが、イワヒバリだったらしい。飛ぶ姿はツバメにも似ていたような気がしたが。

飛びかけたところ?

とにかく、宿に入り宿泊の手続きをする。有明荘に預けた荷物にバスとのセットの情報があったのだが、忘れてしまって、あたふた。幸いマッチングしてもらえたようだ。今日は混みあっているので、狭い敷布団に2人になるとのこと。お盆は避けたけど、夏休みの土日では、やっぱり混雑しますね。寝られるかなー?

通常は3人部屋のカーテンで仕切られた枠に6人だそうで、後から若いご夫婦らしい人がいらした。

荷物を整理し、デイバックに食料とかを入れてストックだけ持ち、燕岳に行こうと思った。私はサブザックを忘れたのでウェストボーチだけ持参。

食料が重いので、広場のテラスのテーブルに割り込んで半分使わせていただく。かんかん照りで暑い。ともかく急いで食料を食べ、天候が変わらないうちに、と頂上を目指すことにした。

花崗岩の白い砂礫地につけられた登山道を歩き出した。ロープを張られた砂礫の斜面のそこここにピンクのコマクサが咲いている。しかし遠くから見ると黒い塊がぽつぽつ置かれているように見えてしまう。近づくとやっとピンクのコマクサだと分かる。

                 

かんかん照りの中を白い岩の間を歩くので、目が痛くなった。サングラスになるメガネを持ってきていたのだが、出すのを忘れてしまった。目が痛い。

コマクサやチシマギキョウ、コバノツメクサ?キンロバイなどの群落を見ながら、イルカ岩、メガネ岩などを通り、山頂へ。急な滑りやすい岩の間を登ったりするが、頂上部は渋滞。

私は写真を撮っていて遅れてしまったので、団体さんの列の間の中央部の階段状の所から頂上に登った。皆に合流して、山頂写真を撮っていただくことができた。

                

山頂は回り込むようになっていて後ろ側に降りると、北燕岳への道に出た。

北燕岳方面

     

 ハクサンシャクナゲ      ミヤマキンバイ                    ウサギギク

      

チシマギキョウ      オンタデ?       タカネツメクサ

  

タカネスミレ(ピンボケ)

  

北燕岳方面(こちらの方が少し危険があるらしい)

北燕岳への道の途中にもコマクサの大群落があると山の先輩にお聞きしていたので、行って見ようと最初は思っていたが、相当の疲労で、遠目に群落は見えたのだが、ここら辺で引き返すことにした。

燕山荘方面

燕岳への道々もなかなか立派な群落があったので十分楽しむことができた。

   

最後に元来た登山道に合流する所はやや滑りやすく急だったので緊張したが、ストックもあったので問題なかった。また行きがけに見逃した花などを見、また深い峡谷が2本も見える景色を楽しみながら山荘に戻った。

  

                              

夕食までの時間は荷物を整理したり横になったりした。4時過ぎたがマッターホルンの演奏があるというのに音が聞こえない。15分過ぎに広場の方に行って見たら何もやっていなかったので、受付の人に聞いたら、もう終わったとのこと。残念!

ついでに宿の近くにもコマクサの群落があるというので、今度は大天井岳の方に繋がる道沿いのコマクサを少し見にいったが、西日が強かった。この道は槍ヶ岳につながる道だ。

                      

               

戻ったら、私は頭痛がひどくなり少し吐き気もしてきたので、横にあった順天堂大学の臨時診療所に駆け込んだ。痛み止めのストックがあまりなかったからだ。軽い高山病なのか、かんかん照りの中を歩いたからか?

若いお医者様(の卵?)が血圧を測ったり体温を測ったり、脈拍を見てくださって、登山状況を聞かれた。写真を撮りながらのゆっくり登山で6時間以上かけてきたので、高山病としても軽いものだと判定された。

それで痛み止めの薬を2回分頂き、初診料と薬代を払ってきたが、夜中も急変したら当直をたたき起こしてくださいと言われた。安心ですね。

食事をしてから薬を飲むように言われたのだが、なんだか気持ち悪くなりそうで、ご飯少しとみそ汁とほうじ茶だけを頂き、薬を飲んだ。そうそう宿のご主人のアルプホルンの演奏とお話があった。

部屋に戻って、横になったらぐっすり眠れたが、ちゃんと布団を敷いて休んでからは、あまりに狭く、人いきれによる暑さと周囲のいびきなども気になって眠れなくなった。廊下などで寝る方法はないかと思ったのだが、寝られそうなスペースはあまり見つからず、かけ布団を取ってしまっても他の人が困りそうだし、とまた部屋に戻った。夜中に出口にサンダルがあるのを見つけて、外に出てみたら、ぼんやり天の川が見えていたが、霧がかかっていて、星はあまり見えなかったので、またすぐに部屋に戻って横になった。その後また頭痛が始まったので、胃はからっぽだろうが、薬を多めの水で飲んで、少しだけ寝られたようだ。

1時半ごろ、寝られない方が外に行って、星がメッチャきれいだよ、と教えてくださった。それでまた私も見に行ったら、本当にたくさんの星がきらめいていた。しばらく見ていたら、流れ星も見えるというので、頭を上げて星空を見上げていたら、てっぺんあたりからキラ―ッと流れ星が光った。一瞬のことで願い事などはできなかったが、その明るさと太さに感動。寒くなってきたので部屋に戻り、眠れないまま朝を迎えた。と思ったが4時だよと起こされたのだから、少しは寝ていたのね。

食事を私は弁当でと思ったが、皆さんは食堂で食べたいということで食堂に並ぶ。朝は並んで順番待ちとなるそうで、私たちが行ったときはすでに最初の回の方が、召し上がっていて、食堂の前の列にならんだ。

割と回転は速く、4時40分くらいに食堂に入って食べだした。食事できるかなと思ったが、ちゃんと食べられてほっとした。食べないで下りるのは大変だろうと思ったので。

食べている間に東の空(食堂の外側のサンルームの向こう)に日が登り始めた。あいにく雲がかかっていたが、雲の隙間から太陽が覗いた。

食べ終わる頃にはすっかり太陽が雲の上に出いていた。それで私は玄関にサンダルがあったので外に出て、写真を写し、槍の穂先のモルゲンロートがまだ見られるかなと思ったが、雲がかかっていた。

    

     モルゲンロートの終わった槍ヶ岳

     

それから部屋に戻り、身支度を整えて、水道になっている沢水は飲めるというのでペットボトルに入れ、下山の準備をした。

帰りのバスは12時過ぎなので、入浴と食事をするためには6時には出ないとと、計算した。登ってくる人たちとの渋滞もありそうだし。

それで6時過ぎに記念写真を撮ってから、下山開始。下山の団体も多く、抜かしていただいたり、若い人たちに追い越されたりしながら、ぐんぐん下りて行った。私は重装備のサポーター姿で下りたおかげで、ひざ痛も大して感じることなく、順調に下りられた。9時半中房温泉に着き、10時くらいに有明荘に着いた。

中房川

 

有明荘

  コナスビ→  

 キオン           クガイソウ         ネジバナ    林の中のジャコウソウ?

       

友人が割引券を頂いたので500円。驚いたのはシャワーも熱い温泉を水で温めて使うようになっていたことと、露天風呂に注がれる樋からのお湯が熱いお湯だったこと。源泉は70度くらいもあるそうだ。

気持よくお風呂に入り、ゆっくり食事をしてバスを待った。旅行会社とバス会社との連携が悪かったらしく、携帯に見知らぬ人から電話が入った。中房温泉で我々を待っていたが来ないので、どこから乗るのかという電話。それで有明荘に変更したことを連絡済だと言ったら、すぐにこちらに向かうとのこと。

宿の方にどこで待っていたら良いかと聞いたら、バス停のところで、と言われて待っていたら、バス会社のバスが通り過ぎて行ったので手を振って止めたら、私たちはに後で来る車だからとスーッと走って行った。

でもすぐに次のバスは来ないので、不安になった。やっと来てくれたら、宿の駐車場の方に停まるというので重いリュックを持ってまた広場の方に戻る。乗車の人たちには、私たちが悪いように思われたみたいだし、ちょっと嫌だった。バスの運行会社へはファックスが入るらしいのだが、入れ違いになったのか?

帰りのバスはリクライニングの使える席で、林道をくねくね下りていく。来るときはまた薄暗かったのと、カーテンで見えなかったし、寝ていたので気づかなかったが、相当の細い道で崖も急峻。スリル満点で私は眠かったがすっかり緊張して目が覚めてしまった。やっとカーブの連続が終わって穂高温泉郷を抜け、次は常念岳からの下山場所のホリデー湯四季の郷というところに回り込んだ。そこは日帰りの天然温泉もあるらしい、きれいな建物があった。

15分休憩と言うので、私たちも立ち寄り、茹でトウモロコシが売られていたので購入。一本150円で良心的。すごく美味しかった。

その後は豊科のインターから中央道に入り、渋滞を避けて大月から上野原まで一般道を通り、何とか7時ごろに新宿に着いた。まだ夏休みの日曜日だから、渋滞しますね。途中の諏訪サービスエリアの暑かったこと。東京も猛暑だったのかな?

でも早めに帰れて良かった。何とか皆無事に三大急登の燕岳から戻れて良かったです。2日連続の晴天は珍しいのだとか。ラッキーでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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孫たち2012.7.22.

2012-07-22 | 日常

今日は孫たちが来てくれるというので、朝は拭き掃除をしたり、テーブルの上のものを片付けたり。

安いうなぎでも取ろうと思ったのだが、近所のうなぎ屋さんは配達できないというし、一軒は廃業していたし、もう一軒は以前食べによったらしょっぱくて、頼む気がしない。地元のうなぎのかば焼きの専門店は日曜日は休み。仕方がないので魚沼産のお米も少しだけあることだし、ご飯をセットしてから、デパートにうなぎのかば焼きを買いに行った。

どうもスーパーなどの外国産の脂ぎったとしたうなぎは食べる気がしないので、買いに走った次第。贅沢病が抜けていませんね。年金生活突入でこれが最後と思って、人数分を大小取り混ぜて購入。漬物も買って急いで帰宅した。

ご飯とは別々に、うなぎのかば焼きはお皿に乗せてレンジでチンした。

私はばたばたしていたので、結局昼には食べず、お腹を空かせていた次男も炒めご飯で済ませたので、二人は夜に頂いた。

まあ、おいしく食べられて良かった。一歳5か月の孫はうなぎを少しだけ食べていたが、おいしく感じたのかしらね。臭みも少なくて、親もうなぎは嫌いと言っていたけど、小ぶりのものを平らげていた。

もちろん6か月の孫は見ているだけ。大人たちの口元をしきりに見ていた。

でも肉料理の方が安上がりでした。今度からは無理しないようにしないと。

 

 

 

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守門岳(すもんだけ)ヒメサユリを求めて2012.7.15.

2012-07-16 | ハイキング・登山

今日は、ヒメサユリの山に行きたいなと思って話をしていたら、レンタカーで運転しても良いという方がいらして、出かけることになった。もしかしたらそんなに遠いとは思っていらっしゃらなかったかもしれない。

最初はどちらも新潟の魚沼市にある福島県との県境にある浅草山に行こうかと思っていたが、いざ具体的な話が決まって調べてみたら、一番登りやすいルートが昨年の台風の影響で道路が通行止めになっていて使えないことが分かった。他のコースだと相当に時間がかかり、日帰りの身にはつらいので、隣の守門岳に行こうということになった。

しかし、こちらの守門岳は三条市との境にあって、ルートはたくさんあるが、保久礼(ほっきゅれい)小屋から登るのが一番早いことがわかっている。と言っても守門岳は、大岳、青雲岳、袴岳(守門岳)の三つの峰の総称だそうで、一番端の袴岳に行くのはかなりの時間がかかる。こちらもいくつかのルートは台風被害で通行止めとあり、最初保久礼小屋も通れないのかなと思っていたが、いろいろな宿の情報を見ていたら、何とか通っていけそうだと分かった。

何しろ小さな道で、普通の地図ではつながって表示されていなかったが、バイク用の地図を見たら、やっとその道路がつながっていることがわかった次第。

それで私たちが考えたのは、保久礼小屋まで行って、時間的に無理なら大岳あたりのヒメサユリを見られるところまでで引き返そうという計画。

最寄駅のレンタカーを5時に借りて出発の予定だったが、荷物の積み込みや調整などに時間がかかって、実際には5時20分くらいに出発した。東京は曇りだったが、途中新潟に入る頃小雨も降りどうなるかなと心配したが、晴れ男と晴れ女が多かったので、昼は晴れるという予報に期待した。

幸い関越道は空いていて順調に進み、小出に8時過ぎに着いた。須原で民宿小西屋さんに寄らせていただき、ルートの説明を聞いてから上条から守門温泉前(ナビはその先の登山口の方は出てこなかったので)をとおり、保久礼小屋登山口を目指した。小西屋さんありがとうございました。

あたりは小雨がぱらついたりして、霧が立ち込め景色もよく見えなかった。ブログを調べた人がいらして、二分というところで守門岳方面の標識があり、右に入った。しばらくは西川沿いに走る。途中2か所入広瀬の方に抜ける道があり、さらに左に大平への道を分け、さらに細い道を進むと道路崩落の復旧工事現場がありちょっと緊張。しかし何とか通れた。日曜日なので、工事は行われていなかった。その先の道は巾が狭くて対向車があると通れないほどだったが、路そのものは快適で高度を上げていった。

この道は栃尾を経て、長岡の方に抜けるようになっているのだが、その途中(長峰あたり)で急カーブで右に入るところがあった。標識もあったかもしれない。そこで右に曲がり、その先を行くと、すぐに保久礼小屋の駐車場があった。満杯を心配したが、まだ数台は止められそうだった。

体操したり準備を整えて出発。駐車場で佇んでいた方が、リスがいると言っていたので、後で見に行ったら、15センチ程度の茶色の動物がいたが、しっぽはネズミのような感じだった。野ネズミなのかな?しばらく観察していたが、草むらに消えた。空には鷹のような感じの鳥が飛び立っていった。

   

それで出発。ちょっと砂利道を下ると前方に山の一部がかすかに雲の間に見えるがどこなのかは分からない。

その左手に小屋が見えた。あれが保久礼小屋だ。手前に水場があって、飲用できるとブログなどに書かれていたので、私たちも飲む。冷たい。

小屋の裏手にはお手洗いもあった。

小屋のすぐ横に階段状の登山道が見えた。雨でぬかるんでいる階段状の道を登りだした。

  

小さな花ツルアリドオシ(4弁と5弁の 花があるらしい)が道々ずーっと見られた。

   

  

赤い実は去年のツルアリドオシの実らしい。横向きでわかりにくいがポチが二つついているらしい。二つの花の真ん中に一つの実がなって、その花の痕が二つくっついているとか。

延々と続く階段状の道を滑りそうになりながら歩く。時々平坦だったりするがまた階段が続く。帰りに数えてみたら1000段くらいあった。

途中の咲き終わりのギンリョウソウ

   

途中、シジミチョウやトンボがたくさん飛んでいた。

  

次にキビタキ小屋の水場にでた。湿度が高く、汗びっしょりなので、また水を使って汗を落とし、清水を頂く。キビタキ小屋はパスして、まっすぐ大岳に向かう。しかし、粘土質の滑りやすい急な道は時間もかかり疲れる。

何の花(実)?ヤブコウジ?                        オトギリソウ

  

そうこうするうちに展望台に出るが、まったく展望はなかった。それから下りてくる人たちに出会い、ヒメサユリもまだ咲いていますよという情報に、ほっとする。

第一展望台あたり 

                   

第二展望台

     

    

途中小さな白い花や、モウセンゴケの花らしい白い小花をみたり、上に行くにつれて、ゴゼンタチバナの花が見られるようになってきた。

  

どろどろの登山道

   

不動平というところの脇にはお不動様がまつられていて、その脇にイワカガミガ一輪咲き残っていた。

  

そのあたりからウラジロヨウラクが見られるようになる。小ぶりで花の紅色がかったのはベニサラサドウダン?

    

カエデの仲間                              イワハゼ

     

しばらく灌木のトンネルのようになっている登山道を行くと、ヒメサユリが脇に一本咲いていた。大岳までに一つだけ咲いているというブログ情報があった通りだった。

  何の木   

もう少しらしいからと頑張って登ると、祠と金色の鐘があり、巣守神社という石の碑があった。

     

その先のことは分からなかったので、お腹もすいて来たし、ここで食べようということになった。食料を広げかけた時に雨がぱらぱらして立ったままおにぎりだけ食べることにした。そうこうするうちに雨がやみ、少しおかずを出していただいたが、まだ頂上の先にあるという花を見ていないので、早めに切り上げ、先に進んだ。

東側の展望が開けてきた。

そうしたら、すぐに野原のような尾根にでて、さっき追い越していらした男性がくつろいでいらした。まだ南側の展望は霧がかかって見えなかったが、そのあたり一帯にヒメサユリや日光キスゲ、アザミのつぼみ、ヤクシソウ、ウラジロヨウラクやタニウツギなどが咲いていた。なーんだ、ここまで来てから食事にしたらよかったわ。

  

   

   

小型の蝶々

  

   

皆で花の写真を撮ったりしているうちに霧が晴れてきて、周りの山々も見えてきた。雪渓も残っている。

  

西側に歩いていくと、今度は下りになる。どうも晴れて見えてきたあの先の山が青雲岳でその向こうの雪渓のおおい山が袴岳(守門岳)のようだが、相当に遠そう。

  

  

    

イワハゼ                                 ヤマニガナ?

  

それで私たちは風景を見ながらここでコーヒーを入れて景色を楽しみ、引き返すことにした。ちょうど反対の方からいらした方々が、このあたりが一番ヒメサユリが多いとおっしゃったこともある。

しばらくゆっくり過ごして、大岳山頂を後にして、ひたすら滑りやすい道を下りて行った。3時間くらいかかるかなと思ったが、しりもちをつきながらも2時間程度で下りた。帰りはキビタキ小屋に寄ってみたが、避難小屋でトイレはなかった。こちらは下りによって正解だった。結構滑りやすく急なところもあったので。

キビタキ小屋と直進ルートとの標識

日差しが出てきていたので、下りと言えども、皆汗びっしょり。また小屋の下の清水で顔を洗ったり、飲んだりしてまた下り始めた。

アズマシロカネソウ

この辺のトンボは平気で人の指に停まったりする。戯れていたら、誰かが小さな小さなネズミを見つけた。4-5センチくらいかな?極小の種類なのか、子供なのか?友人が手を差し伸べたら、手をつついたとか。あまりに無警戒なので蛇や鷹などに襲われるのではないかと心配になってしまった。。

  

階段が出てきたので、私は単調な下りに飽き飽きして階段の数を数えてみた訳。まあ、飛ばしたり、同じ数字を繰り返したりしたので正確ではないけれど、約1000段あったみたい。これを設置してくださった方々に頭が下がります。

やっと保久礼小屋に着き、水場の清水の先で泥だらけの靴を洗い、片づけをして帰路に向かう。駐車場は私たちの車だけになっていた。

汗だくになったので、途中守門温泉に立ち寄った。守門温泉の看板に沿って入ると、古びたSLが置かれ、その横に青雲館の建物があって、立ち寄り温泉が利用できた。一人600円。

小さな湯船が一つだけだったが、人もいなくてのんびりできた。ちょっとぬるぬるした泉質だった。シャワーの水量が強くてびっくり。休憩室も利用できるというので、しばらく休憩。魚沼産のお米が売っていたので、ちょうどコメを買う必要があったので少しだけ購入。このあたり百合の栽培もしているらしく大きな百合が活け込まれていた。

途中で見た滝。しばらく先の反対側の山の中腹にも滝が見えたが写真は映せなかった。途中に神湯という温泉の看板が見えた。こちらの方がちょっと距離があるようだったがいろいろ設備が整っていたらしい。

その後来た道を戻ったが、関越道は藤岡ジャンクションの先が渋滞とか。それまでは順調だったのだが。赤城高原で食事を取り、結局5時間以上かかり帰宅は12時ごろになった。レンタカーはガソリンを満タンにして返さないとならないし、忘れ物しないようにしないとね。

まあ、レンタカーの借り方も分かったし、比較的に安かったのでまたレンタカーを利用できそうだ。ガソリン代と高速道路代金はナビタイムの予想とほぼ同じ経費だった。新幹線などの電車を使うよりは4人以上そろえば安いですね。

運転してくださった方、長時間の運転ありがとうございました。皆さんいろいろありがとうございました。

 

 

 

 

 

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仙台城(青葉城)址と東北大学植物園

2012-07-09 | 旅行

日曜日はビジネスホテルで前日に購入したおにぎりなどを食べてから、8時に出発。前もってバスの時間など調べればよかったが。

駅にでてバスターミナルの案内板を見るが、よくわからない。まずは駅のロッカーに荷物を預けよう。コインロッカーを探す。駅ビルの中に入ったのでなかなか見つからなかった。ビルの外側にロッカーが並んでいた。そばのずんだ餅の店でバス乗り場のことを聞いたついでに冷やしたずんだ餅が美味しそうだったので購入。天気は回復して蒸し暑い。

バスの切符売り場で、仙台城へのバスを聞いたらループル仙台で行けるというが9時にならないと出ないので、路線バスを聞いて乗った。バスの時間があったので、待つ間にそのずんだ餅を食べてしまった。城址公園で食べようかと思っていたのだけれど。

その路線バスはなんだか大回りして向山の住宅街とか、八木山のTBC(東北テレビかしら)前とかレジャーランド、動物園などを通って仙台城址前にやっと停まったので、もう9時を大分過ぎていた。TBCと聞いたときこんなところにエステの本社があるのかしら?と思ってしまったのだが、アンテナなどを見て放送局だと分かった次第。

バスを降りて、案内もあまりなく、車が入って行く道路際に小屋があって学生さんっぽい若者たちが詰めていたので、聞いたら、すぐ上が城址らしく、次に乗ろうとするルーブル仙台のバス停もそこにあるという説明。ほっとした。多分車の誘導のために詰めていたのかな?ありがとうございました。

ちょこっと坂を登ると鳥居があって神社になっていた。えー!仙台城址ではないの?といぶかりながら進むと、人がたくさんいてそこが仙台城址だった。

護国神社では、赤い毛氈を敷いて結婚式の準備だという通りすがりの方の声が聞こえた。

それから、さらに南側に進むと、展望がひらけて、角の立ち入り禁止の所に青葉城址の標識が立てられていた。あちこち震災の被害で石垣などが崩れていて、復旧工事が行われているようだった。

近くから荒城の月の歌が聞こえてきた。誰か合唱の練習でもしているのかしら?と行って見たら、土井晩翠の胸像と歌碑があり、機械で歌が流れていたのだった。

荒城の月は作詞の土井晩翠は仙台出身で、仙台城をイメージして作られたらしいが、作曲者の出身地九州の日田の岡城などでも荒城の月の記念碑を建てているらしい。

広場の中央に伊達正宗の騎馬像があった。

     

崖の下を見ると石垣が美しかったが、そこここが工事中で南側の道路は通行止めのようだった。

展望は西南の方は海の方まで見え、東の方には朝日を浴びて目立つ白い巨大観音が見えた。あれはなんだろうか?後で調べたら、どこかの成功者が立てた高さ100メートルもある観音様だそうだ。一応寺院になっているらしい。それはそれで見学も面白いそうだが、だいぶ遠いみたい。

            かすかに海も見える

            

                   

                   異常に目立つ白い観音像

                                                               

伊達正宗はこんな眺望のよいところに城を建てたのですね。もちろん城は眺望が効かないと城の意味がないだろうけど。資料館に宮城県の案内書があったので、頂いて帰ったのだが、それを広げてみないまま、植物園に向かったのは失敗だった。バスルートなど乗っていたのに。

            

                         

バス停に戻る途中、白無垢の花嫁さんが写真撮影していらした。紋付袴の新郎さんもそばに待機していて、おめでたい雰囲気。近くにはお祭りの格好をした子供たちの団体も。お囃子にでも参加するのか、全然別のことで来ているのかは確かめなかったけど。皆可愛らしかった。

復旧工事の小屋

この奥の方に滝があるらしいが、通り道はなかった。

           

 

ループル仙台のバスは少し遅れてきた。レトロな、とは冊子に書かれていたが本当にクラッシックな作り。たくさん下りる人がいたので、前方から写真撮れば良かったのに、乗り込んでしまって失敗。

植物園は割とすぐだった。(と言っても歩くと30分くらいかかると言われた。)南口が便利というのでそこで下りる。この植物園は仙台城のお裏林といわれ、水源の保持のために大切にされてきたそうで、今も珍しい植物などがあり、全体として天然記念物なのだそうだ。

丘の上は東北大学の工学部などがあって、バスの運転手さんに聞いたデーリー山崎で植物園の入場券を購入。教えていただいた通りその前の道を西に向かうと、入り口のゲートがあった。係り員でもいるのかと思ったら、その入場券を機械に入れるとゲートが開くようになっていた。

入ると、案内図があって右は本館入り口まで45分、左の東側のルートは30分とある。それと震災で通行止めのチラシが置かれていたので、手にするが見ないままに短時間で済む東側コースをたどった。西側や中央のコースはややけわしく、こちらは震災の影響で通れない所もあるようだった。

とにかく急がないと帰りのバスに乗り遅れると、一部走ったり(人がいなくて寂しかったこともあるけれど)しながら、たまに木々の名前を確認しながら急いで山を下りて行った。

                         

  巨大杉

        

ここを登るのは大変だ。下りで良かったと思いながら、20分くらいで下りついて、芝生の広場に出た。ここには絶滅危惧種の草花が栽培されていた。それでキキョウが絶滅危惧種なのだと知った次第。

                

芝生から坂を下りてロックガーデンに出た。ロックガーデンは崖沿いにいろいろな花も咲いていて、なかなか良い風情に作られていた。

 (ピンボケだったけど津軽フジ)  

エゾノイヌナズナ

ガンコウランの中に見える赤い実は何の実かしら?コマユミにも似ているが葉っぱが違うようでもある。

     

ロックガーデンの様子

                   シャクナゲ

                 

      ベンケイソウ

      

  ホタルブクロ

       

               

   チダケサシ

   

                            水の流れ

                               

    葦の原   

        

また坂を登って広場にでて本館のゲートを出る。人気はなくバス停も見当たらない。

出口あたりのナナカマドの花

   

  植物園本館

                 

それから大慌てで外にでて、バス停らしきものを探すが、見当たらない。学生さんに聞いて大学のバス停を聞いて歩いているとタクシーが来合わせたので、乗り込んで駅に向かった。

 二の丸跡    

何とか余裕をもって帰りの高速ツアーバスに乗り込むことができた。晴天の東北道は快適で、予定よりも早く新宿に着いた。 

 

 

 

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平泉中尊寺と毛越寺

2012-07-08 | 旅行

仙台の駅に戻り、次は一関から平泉を目指す。仙台から一関への高速バスは朝しかない。普通電車で行っても時間がかかるので、ここは新幹線を使うしかない。

それでやまびこで一関に向かったのだが、なんとまた居眠りしておりそこなった。はっとしたら停車しているので、慌てて出入り口に向かったが、ドアーは閉まった後だった。どうしようと立っていたら、ちょうど車掌さんが来て、事情を話したら、間違えて下りられなかったので、この先の水沢江差に行って後戻れば良いとおっしゃってくださった。ありがとうございます。

また寝過ごすわけには行かないので立っていようかと思ったが、荷物が重いのでドアのそばに座って水沢江差に行った。

水沢江差という駅名は初めて聞いたが、駅舎には鹿踊りの衣装が展示されていた。鹿踊り有名なのかしらね。田んぼの中の駅舎だったけど、乗降客もちゃんといたので、何があるのかしら?と気になった。

とりあえず次の登りの新幹線をぼーっと待って、一関に。また寝てしまわないように携帯のアラームをセットしたが、その前に気付いて、無事下りることができたが、約30分のロス。まあ、特に予定はないから良いのだが。一関から平泉までのバスもあることはあるそうだが、時間が開きすぎ。

平泉まで東北本線に乗り換えた。、すっかり接続が悪くなり、30分待たされる。2両編成の電車はホームに入っていて、乗ることができた。ほとんど人が乗っていない。座席で、松島海岸で買った萩の月をおやつに食べた。2駅目だから、寝る訳には行かない。

    

平泉の駅前に小さな観光案内所があったので、バスのことを聞いた。そしたらるんるんバスが15時半にでるという。これまた待ち時間がある。路線バスで行けなかったのかしら?路線バスならすぐに出たのがあったのだが。

ともかくもるんるんバスが来たので乗ったのだが、結構下りる人が多くてびっくり。今日は土曜日だし、世界遺産だから、見に来る人も多いのですね。

バスの運転手さんが、男性にこれから毛越寺と中尊寺に行くなら、あやめ祭りをやっている毛越寺に先に行って、さっと見て、次のるんるんバスで中尊寺に行く方が良いといっていた。中尊寺は16時半くらいには金色堂の受付をしないと見られないし、坂を20分ほど登らないとならないから、遅れないようにね、と話すのを聞いて、私は毛越寺は後にしようとそのまま乗って、中尊寺まで乗った。毛越寺は近かったが、そこからは温泉を通って、山道を登り降りしてやっと中尊寺の下のバス停に着いた。これは歩いて移動するとか、貸自転車で移動するのは大変だったな、と思った。幸いサイクリング施設は閉まっていたので、使わずに済んだけれど。

実は毛越寺も最終受け付けは4時45分までだそうだった。行けるかな?

登り道の参道を歩いていると、観光客か誰かが、観光バスで来ると上の駐車場に止めてくれて、下りるだけで済むが、個人できた人は、登って下りないとならないから大変だと話していた。

しかしその参道、緑豊かで気持ちが良い。杉やカエデや桜などの大木の森林浴の山道だった。ところどころにいろいろなお堂が立てられて時々見学というかお参りをしながら歩く。悪天候の割には人出もそこそこにあった。

本堂

緑がきれい

一か所見晴らしの良い展望台があり、北上川などが見渡せたが、天気が悪いので、遠くの山々までは見えなかった。

 

                   

  

銭洗い弁天の横の池にはモリアオガエルかもしれない蛙の卵(白い泡状のもの)が枝にぶら下がっていて池にはオタマジャクシがたくさん泳いでいた。

     

                     

やっと金色堂の拝観受付に着いた。天気が悪いせいか、拝観料(800円だったかしら)を払うのに並ぶことはなかった。それで時間が押しているので、そのまま金色堂に向かう。

大きな建物の裏側から中に入ると、金色堂が光り輝いていた。昔の修学旅行の時には古い覆いの建物だけが見えて、つまらなかった印象だけしかないのだが。

金箔とはいえ、燦然と輝いたお堂は立派だった。中側には仏像三体がまつられて、説明を聞くと藤原三代の棺が納められているらしい。柱には螺鈿で美しく仏像や花々などが装飾されているそうだ。

こちらも金色堂の撮影は禁止。じっくり拝見させていただいた。その後、昔の覆堂を見て、私が見たのはこちらだったのね、と思いながら出口に出て、受付横の讃衡蔵という博物館を覗き、大慌てで参道を下りた。

松尾芭蕉像

   

睡蓮の花

        

別の古そうな鐘楼

降りたところあたりに弁慶のお墓という立札があったので、そちらも見学。

              

その後、バスは来なさそうだったし、あの坂道を歩いていたら受付に間に合わないので毛越寺まで、待機していたタクシーを利用した。途中毛越寺の手前の池のことを運転手さんが説明してくださった。毛越寺の池が藤原公のために作られ、そのお妃さまのために舞鶴ヶ池が作られたのだそうだ。その間の広い通路は牛車が通る道だったとか。

汗びっしょりで途中の悠久の湯という公営の温泉に入りたいものだと思いながらも、毛越寺に行ってもらった。受付で拝観料(500円)を払う。もともとは慈覚大師が開いたお寺だそうだが、奥州藤原の基衡が庭園やお堂を建立したそうだ。

現在の本堂

境内は中尊寺とは打って変わって、平ら。護摩を焚いて本堂を拝んでから、「夏草や兵どもが夢の跡」の句碑を見てから庭園に出た。

庭園は大きな丸い池で大泉が池というそうだが、海を模しているとか。船も浮かばせてあって、昔の人が舟遊びを楽しんだろうかと思った。浄土庭園だそうだ。

 

荒浜とか州浜とかがあり、荒々しい磯を模したところと対照的。丸石が敷き詰められていて、入り江などを表していたが、雑草を除去する作業の方々が仕事をしていらして、浜に草一本なく整備されているのに頭がさがっった。

そういえば京都の石庭などもそういうたゆまない努力があって維持されているのだろうと、改めて草取りの作業を思った。

      

          築山 

          

池の北側の部分に菖蒲園が作られていて、そろそろ終わりだったが、まだたくさん咲いていた。この菖蒲、明治神宮から分けていただいたものだと書かれていた。今年も明治神宮の菖蒲園には行きそびれたが、偶然にもその子孫の菖蒲を見ることができた訳だ。

        

                 

      

       

                   

               遣水

               

庭の反対側にはいろいろな伽藍の遺構が残されていて、全部復元したらすごいだろうなと思った。池の周りに植えられていたキキョウの紫が雨の中とても鮮やかだった。萩なども植えられいるようだった。

本堂跡  

       経楼跡

         

            常行堂と法華堂跡 

                  

 州浜     

    

   荒浜を模した岩

           

植えられたキキョウの紫がきれい。

       

一回りして外に出て、舞鶴が池の方にも足を延ばし、そのまま駅まで歩いて戻った。こちらは平らな道を10分程度で着く。自在王院跡というそうだ。こちらは基衡の妻が建立したとか。

  

      

         

                            

このあたり一帯の遺跡やお寺が全体として世界遺産として認めらたのだそうだ。

コインロッカーから荷物を出して、電車に乗ろうと駅舎に入ったら、なんと次の電車は30分後。バスで一関に出るよりは早い。平泉から仙台までの高速バスは15時だけだし。

平泉駅の記念撮影サイト

それで待つ間に、お蕎麦でも食べるかと横の蕎麦屋に入った。わんこそばというのも初めてだし食べてみたい気もしたが、量が多そうなので、すぐにできるという山菜そばにした。ずっと野菜不足だったから。

お蕎麦はなかなかおいしかった。山菜も塩気が抜けていて食べやすかった。一人中年女性がわんこそばセットと格闘していた。ボリュームが多そうだった。

ころあいになったので、また駅に戻り切符をスイカで買おうとしたら、岩手県ではスイカは使えないのだそうだ。それで仙台までの切符を購入。帰りは鈍行で帰ろうと思っていたのだ。

平泉から一関にでて東北本線の仙台行を探したが、どのホームにも仙台行の電車の案内が出ていない。鈍行で行っても7時半ごろには付くと駅の人が行っていたのに、どこから乗るのかしら?

それで分からないので新幹線のホームの方に行ったら、東北本線の電車もあるとのことだったが、もう疲れ果ててしまって、新幹線で仙台に戻ることにしてしまった。あーあ、お金が飛んでいく。ただ、次の新幹線ははやてで、本来は全席指定だが、自由席で乗れるという。誰かが乗ってきたら移動しないとならないが、とのこと。それでそのまま乗った。

はやてに乗ったら、ぐったり疲れてこのまま乗り続けたら、東京なんだわ、と思う。あっという間に東京に着くのに、何で私は格安ホテルなんて予約したんだろう。ホテル代とバス代合わせたら、新幹線も大した差ではないのにね。

でも今からキャンセルしたら、キャンセル料がかなりかかる。仕方がないから仙台で下りた。寝てしまうといけないので携帯のアラームを使って無事下りられた。明日は天気が良くなるかもしれないし。

宿まで行くのにちょっと道を間違えて遠回りしてしまったが、予定よりは早くついた。途中で買ったおにぎりを食べ、小さな浴槽につかって疲れを癒した。その晩は熟睡できたから助かった。

次は青葉城址と東北大学植物園に続く。深夜になったので、続きは明日書こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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