新 風のふくままに 

写真付きで日記や趣味を書く。プロフィールを変えました。

明け方の地震2019.7.28

2019-07-28 | 日常

いろいろ書類の整理などをしていて、寝るのが遅くなってしまったが、明け方の3時半に地震で目が覚めた。

急激な揺れではなかったものの、ずいぶん長い間揺れていた。

テレビをつけたら、最初震源は宮城と言っていたように思った。一番震度が大きかったのは宮城県の南の端の方で、それから東北関東地域が一番揺れていた。てっきり東日本大震災の後のどこかの海域で地震が起きたのだろうと思ったが、親の部屋の方に行って、戻ってから、もう一度テレビを見たら、震源が三重県沖と書かれていた。でも何かの間違いだろうと思っていた。ともかくも揺れが収まったので、また寝入ってしまった。

先ほどネットニュースを見ていたら、震源は間違いなく三重県沖なのだそうだ。海底深く420キロの所で起きたため、近いところは海の中で揺れが吸収されてしまって、プレートの境に沿って、東北関東の方で揺れたのだそうだ。異常震域というのだそうだ。

何か、ちょっと変ですね。でも三重県沖と言えば東南海地震とかに関係しそうな感じがするが関係なければよいですね。

時々、この地震国でオリンピック開催などして良いのだろうか、と心配になる。前の関東大震災からどんどん間が空いてきていて、地震の確率は上がっているのではないかと思うのだけれどね。

 

 

 

 

 

 

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親の葬儀

2019-07-27 | 日常

入院2日でこの世を旅立った親。万一の葬儀の時は、最寄り駅近くの会場がいいなと思ってはいたが、特に会員になるなどの登録はしていなかったので、結局病院で紹介された葬儀屋さんが病院に駆けつけて下さり、病室も近い談話室で段取りの相談が行われた。

こちら側の病室のドアは、普段カーテンだが閉じられていたのだが、反対側の方はカーテンのままで、話し声が聞こえるのではないかと、私は相談中も気がかりだったが、そのまま話し合いが行われた。弟と私で、まだ喪主の上の弟は上京できなかったので、葬儀屋さんにお任せするしかなかった。

病室に戻り、看護師さんに整えていただき、入院時に、これとこれを用意してくださいと言われて用意したもののほとんどがあまり使われることもないまま、持ち帰ることになってしまった。

親は葬儀屋さんの車で家に帰り、私たちは弟の車で、一緒に帰宅した。急いで親の部屋を片付け、いつものベッドに親を休ませて、冷房を16度に設定して安置。朝までお線香をあげて、祈った。もうしらじらとしてきていたが。

親の部屋や居間の片付けなどして、お花屋さんが開くころに花屋さんまで出かけて、枕花を用意。

それから、近しい親戚には連絡。親の一番下の妹が、すぐに駆け付けてくださった。もう、親とそのおばだけが兄弟姉妹で健在だったのだ。

残っていたお茶やジュースを全部親の冷蔵庫に入れて、来客に備えた。

それから地方に住んでいる弟と姪っ子が駆け付けてくれた。東京にいても、私も間に合わなかったのだから、同じですね。

翌日にはまた一番下の叔母と、義理の叔母も訪ねてくださった。

それから、また連絡した方が良いかなと思う親戚に連絡させていただいた。北海道の親戚にはお知らせしなかった。皆同じように高齢で、あまりに遠いので、お互いに訃報は知らせないようにしているようだったので。年末に知らせればよいのだろう。

午後に葬儀屋さんが見えて、自宅では温度管理が難しいのと納棺のスペースがないということで、安置室に移動。私と息子の家族は一緒にタクシーで会場に向かった。

そこは家族葬専門の小さな会館だったが、なんと線路の高架下にあって、時々電車が走ると振動する。まあ、許してくださいね。

孫が手伝ってくれて、あの世への旅立ちの衣装を身に着けてもらって、お参りしてお別れした。こんなところに一人にするのも悲しかったけれど、宿泊施設はないらしいので仕方ないですね。こちらもいろいろ準備しなければならないし。

それで孫たちを見送って家に帰った。

親がいないので、部屋の片づけともろもろのものを洗濯。クリーニング屋さんにも連絡した。

それから、お通夜・葬儀の準備など。叔母が夕方来てくれたが、親がもう家にはいないと聞いてがっかりなさっていた。

斎場の都合でお通夜が翌日、葬儀は明後日になった。

お花が急な暑さで痛むので、毎朝手入れをしなくては。たくさんあったお花の保存料は親が突然片づけたらしく、見当たらなくなってしまった。漂白剤を1滴落とすとよいと聞いたが、それを取りに行くのも面倒で、ついお水だけにしたら、毎朝濁ってくる。

最後に棺に入れる親の好物や好きな衣類など選んでおいてくださいと言われていたので、少し前に親が話していた、何かの式のために和服に生地を縫い付けて華やかになるようにしたという着物と、夏に相手に赤紙が来て急遽結婚することになったときの絽の和服を用意。最初はくしゃくしゃのままにしていたが、皆様の前で披露するかもと言われて、慌てて畳みなおして箪笥からたとう紙を引っ張りだして、包んだ。

そのほかのものもきれいに風呂敷に包み、また好物の果物やお菓子も用意してと言われて買い物に走り、かごに入れておいた。

会場に足を運んだら、自分たちで祭壇の花を選んだとは言え、94歳という高齢で亡くなったので、華やかな方が良いかなと、結構色とりどりのお花になり、極楽浄土はこんなかしら?と思う。家族葬だったが、私の山ともも、近くにお住まいの方が来てくださり、リーダーも一緒に来てくださった。

お通夜は若い方のお坊さんが見えて読経してくださり、お通夜のいわれを講和して頂いた。

告別式は、先代のお坊さんが取り仕切ってくださった。ちょっとご体調が悪いとお聞きしていたのでハラハラしてしまったが、滞りなく終わった。斎場はすごく混みあっていて、こんなに並んで行われているのは初めてだった。叔父叔母の家族もいらしてくださって、お手伝いくださったが、子供の人数が減ってきているから、これからの葬儀はどうなるのかしら?と思った。

小さな子供たちもお手伝いしてくれた。私の頃は「子供はいい」と、蚊帳の外だったけれど、この子たちはいろいろは経験をして力強いですね。

告別式の会場に戻り、最後の精進落としを頂いて解散。親の逸話をいろいろ話して、和やかな会食となった。親の影膳には親の嫌いなものも入っていたから、親はなんと思っていただろうか?まあ仏様になられたのだから、許してくれるかしらね。

自宅に連れ戻って、祭壇としての小デスクの上の白い布を取り換えておいたので、そちらに安置。弟たちと親のアルバムを見ながら、昔話に花が咲いた。皆紙コップに精進落としで残ったペットボトルのお茶を入れて飲んでくれたので、助かる。

最後に弟が葬儀屋さんに支払い、葬儀屋さんが必要な手続き一覧をお持ちくださって、助かる。会場で余った花を小さめの盛花にしてくれて、セットしてくださった。枕花や親せきが持参してくださったお花が少々痛んできたので、助かる。

まあ、家族葬の基本料金はお安いのだが、斎場が混みあっていたので、式の場所を変えたり、また安置所の会場費なども加わり、そう格安というわけには行かなかったし、親が連れ合いと一緒の夫婦位牌を用意していて、それが院号がついていたので、お寺さんにもそれなりに包まないとならなかった。まあ、親が決めたことですからね。

急に暑くなってきたので、痛みにくいランなどを買い求めたいところです。親の冥福を祈りつつ。。。

兄弟は遠方だったり、まだ現役で時間が取れない。私が各種の手続きを取らないとならない。私の親も連れ合いをなくした時には同じくらいの年代で全てやってくれたので、私も頑張りましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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親の逝去

2019-07-21 | 日記

認知症が進んできていた親を、刺激があった方が良いかと、デイサービスに週一回だが通ってもらいだしたのだが、その翌日、訪問診療では異常を指摘されず、午後のケアマネさんとの面談では口数は少なくて、多分私とケアマネさんの会話を不快に感じていた様子もチラッと見られたが、特におかしいことはなかった。

ただ、夕方おやつをたくさん食べて、夕食はあまり食べていなかったみたい。

そして金曜日の朝、電気がついていたので、起きているかなと思ったが、食事の準備を先にして親の居間に行ったらいない。テーブルの上に、ニトロが開けてあった。

あら、心筋梗塞の発作かしら?と2階に見に行ったが、やすんでいたのでもう8時近いわよと、話して起き上がろうとしたが、胸苦しいと訴えて、ニトロを取りに戻って、なめさせた。でもまだ治らないというので、3回までと言われていたニトロをもう一回なめてもらった。しかし改善されないので、訪問診療の先生に電話をして、来ていただいたが、酸素吸入の器具がないとのことで結局救急車を呼んで、病院に運んだ。

前からかかっていたところは満員で受け入れて頂けず、比較的に近くて、一回やはり胸の症状で連れて行ったが半日で返されたKS病院に搬送して頂いた。すぐにレントゲンなど撮られて、心不全がひどいから今晩が山かもしれないと言われた。

夜の9時ごろまでいたが、今晩は大丈夫そうということで私は帰宅した。

翌朝は検査などがあるようだったし、電話もなかったので、面会時間まで、雑用をしてから面会時間の11時ごろに面会に行った。

酸素マスクが辛そうだったが、外すとすぐに血中酸素濃度が下がるということで、あまり水を飲ませたりもしてあげられなかった。子供連れの親族が訪問してくれて、親はその時は楽しそうにしていた。我が家の息子たちはそんなに緊急とは思わず、まだ来ていなかった。

看護師さんが8時だから帰るようにおっしゃるので、大丈夫なのだろうと思って、帰宅してお風呂などに入って、さあ休もうとしたら、電話があった。時々呼吸が弱くなってきているとのこと。でもまさかそんなに危急だとは思わなかった。着替えて、タクシーを呼んだが、到着に結構時間がかかり、しかもこの辺りになれない人で、大回りして行ったので、私が駆け付けた時には、人工マッサージをしていたけれど、意識が戻ることはなかった。弟が到着して、もういいですと伝えて、親は配偶者の待つ天国(極楽浄土かな?)に行ってしまったのだった。

あっけないものですね。でも親はほとんど人に迷惑をかけることのないまま、亡くなったので、やっぱりすごい人だなと改めて思った。

デイサービスは、一週間くらい家を空けたような気分になると言っていたのだが、それが予想の外、体力を消耗させてしまったのだろうか?

やっぱり本人が過ごせる間は、家にいてもらえばよかったかなとも思うが、過ぎてしまったことは仕方ない。連れ合いとやっと天国で再開して、楽しい極楽での生活ができるのだと思う。

入院して2日で亡くなるなんて、人の迷惑になりたくない、と言っていた我が親らしい大往生ですね。

 

 

 

 

 

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払いすぎだった健康保険料

2019-07-12 | 日常

昨日突然健康保険料の今年のお知らせと、それとは別に保険料が払いすぎだったから還付するという通知が届いた。

少し前に介護保険料も払いすぎていたので、今年分に充当して(多分)残りを戻すと言って、通知が届いた。そちらはわずかな端数で、郵便代を掛けるのももったいないくらいだったけれど、一応振込先を記入して出したばかり。

健康保険料の方は昨年払った一回分程度戻るというので、払いすぎたことへの怒りよりも、突然のボーナスのような気分になってしまった。それでまた、振込先をまた記入して、返送した。

まあ、保険料が戻るのは8月の終わりくらいになるらしい。

毎回、保険料の計算式が書かれているのだから、自分で税務署に提出した所得を入れて計算すれば間違いが早く分かるとは思うのだが、何しろ数字嫌い計算嫌いなので、いつも計算しないで、区役所?からの通知を鵜呑みにしてきている。

しかし、これが足りませんでしたなんて言われたら、参りますね。

どうも収入が減っているのに、一向に保険料が下がらなくて、健康保険料が高いわね、と思っていたのだったが、これで是正されたようだが、まだ計算式に当てはめて、自分で検証していないから、ダメですね。

そうだ、エクセルにその式を作って、入力すれば簡単かもしれませんね。今度やってみないとなりませんね。でもきっと伸ばし伸ばしになるのでしょう。

 

 

 

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親の毒蛾による皮膚炎

2019-07-05 | 日常

この前、親がデイサービスから帰って数日後に、ふと足を見たらすごくかぶれていた。細かい赤い点々が無数にできていた。

最初は、デイサービスの着替えに、買い求めて洗っていなかった靴下をそのまま持たせて履いてもらったので、その靴下の何かの成分にかぶれたのかなと思ってしまったのだ。

それで洗い流すことを思いつかないで、ステロイド系の軟膏があったので塗ってみた。裏側の方がかゆみを感じたようだが、感覚が鈍くなっているので、かきむしるようなことはなかった。

よく見たら靴下を履いていた部分と、スカートで隠れている部分は大丈夫だったので、外で何か毒蛾の鱗粉か毛虫の毒毛針かなにかに触ってしまったらしいのだ。

もう手遅れだったけれど、一応シャワーで洗い流してから軟膏をつけた。

それで、昔、茶毒蛾に家族がやられたことがあって、ひどいかぶれを起こしたことを思い出した。

その時は山茶花が庭に植えてあって、そのあたりに行ったときに毒毛針がついたようで、慌ててその山茶花の毒蛾の毛虫に殺虫剤をかけてから、しばらくしてから枝を切って片づけたのだったが、今は茶毒蛾がつくような山茶花や椿は植えていないので、どこかから飛んできたか、デイサービスの行きかえりに付いたのかしらと思ったのだった。

今日のネットニュースに、山茶花や椿などばかりでなく、梅とかバラとかのバラ科の木にも付くと書かれていて、それなら我が家にもあるから、梅の木にでも毛虫がついていたのかもしれないと思った。そういえば、私もたまに足がかゆいことがあった。かぶれこそ起こしていないけれど。

明日、梅の木などを点検しないとね。木があると毛虫などもつくのは仕方ありませんが、今まで毒蛾などは気が付かなかったのだ。そろそろアジサイも終わりだから今年咲いた枝は切らないと。雨が止んだら長袖長ズボンで作業しましょう。

 

 

 

 

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