新 風のふくままに 

写真付きで日記や趣味を書く。プロフィールを変えました。

槍ヶ岳登山2019.9.20-23

2019-09-24 | ハイキング・登山

9月20日の夜行バスで、リーダーと槍ヶ岳登山を目指した。台風の影響が心配されて、私はなかなか本気になれなかったのだが、バスをせっかく予約したのだから、行ってみようというリーダーの言葉に、行くことになった。台風の予想では、なんだかうまく行けそうな気もする。準備だけはしっかりしないとね。土砂降りだったら、上高地散策で帰ろうと話し合った。

お彼岸の入りなので、仕事は声も来ないこともあって、早退したのでお墓にお参り。家族の食事を用意するついでにお弁当も少しだけ用意。

上高地行きのバスは予約時は満員で、バラバラの席しか確保できなかったのだが、いざ乗り込んでみると11人しか乗っていなくて、後の席に並んでよいと言われた。最後部を指定されたのかなと思った。最後部で横になってみたが、楽かと思ったら音と揺れがひどくて、眠れたものではなかった。ひとつ前のリクライニングのきく席に移って、やっと少し寝られた。

毎度のことだが、あまり眠れないまま上高地には5時前位に到着。無料休憩所で持参の朝食を頂き、準備して出発は6時近かった。途中雨が降っていたが、着いた時は止んでいた。しかしいつ降ってもおかしくない感じで、レインウェアを着込んだ。

横尾からの槍ヶ岳への道は初めてだったが、最初から結構岩ゴロゴロの急登ではあはあ言いながらの登りになった。時々小雨も降っていた。

樹幹の梓川

 渡渉部もある。

一の俣の道標

赤い石の沢

一の俣の橋

2の俣の橋も渡って、 この後、大きな石だらけの道を登り、槍沢ロッジまでの石の階段状の登り坂も長く感じられ、寝不足の身には苦しかった。途中太い黒いホースが採水ポンプのところからづづいていた。風呂用とかトイレ用はこちらの水を使うのかな?それも相当の距離が続いていた。水が枯れない下流から引いているのかなと思った。

ともあれ、槍沢ロッジには1時半ごろには着いただろうか?キャンセルが多かったのだろう。空いていて、布団1枚に一人で寝られたし、食事も何回にも分けることはなかった。お風呂は3時から6時までだった。乾燥室があったので、雨でぬれたものや汗で湿っぽくなった衣類を干したり、疲れてしばらく横になったので、最初には入れなかった。4時ごろ入ったら、お湯はぬるぬるでざっとお湯をかけて、そのまま入る人が多かった。お湯は出なくて冷水しか出ない。ほとんどの人がそのまま出ていたが、私は気持ち悪いので冷水をかけてから出た。疲れはいくらか取れた。

寝不足だったので、その夜は熟睡。他人のいびきも知らなかった。

失敗だったのは朝食を取ってから6時前にやっと出発したことだった。当初は往復は自分には無理だと思って、山頂直下の槍ヶ岳山荘で一泊する予定にしていたので、少しのんびり出ても良いかなと思ってしまったが、台風の影響もあり、山の天気は変わりやすいから、やはり朝食は弁当にしてもらって、早朝出発した方が良かった。

霧が晴れてきた。

槍沢ロッジから先は、しばらく川沿いを離れて登る。すぐに短い木の橋があった。結構岩だらけ。細めの水を引く黒いホースが相当の長い間道沿いに続いていた。飲み水は高い所から採取しているのかしらね。時折平たんな場所もあるのだが、基本大きめの石や岩がゴロゴロの登山道で疲れる。ババ平のテントサイトに出たころには日差しも出始めた。

両側に山があり、枯れた石だらけの河原の横を歩く。霧が晴れてきて、岩峰が見えてきたが槍ヶ岳の方は見えない。カメラを構えた方が、右手の方で槍の穂先が霧の中から見えるのを待っていらしたが、ダメだったようだ。道の傍らにはヤマハハコやトリカブト、秋のキリンソウなどが咲いていた。

ムラサキが鮮やかだったが、ピンボケだったトリカブト

途中霧も晴れてきて、晴天になって、素晴らしい展望を楽しむこともできたが、嫌になるほどの岩ゴロゴロの道で、次第に高度も上がって、空気がうすくなり、新呼吸法で一歩ずつ登った。

ハイマツの中の道―青空が出てきた。日焼け止めを慌てて塗った。

この辺りだったか、沢の水を飲んでいらっしゃる5人ほどの団体の方がいらして、私たちもお水を飲んだり空のペットボトルに水を汲んだ。美味しかった。

その後は岩の道がひたすら続く。

そのうちに、槍の穂先が見えてきた。

振り返ると南アルプスの方かしら、雲がかかっていたがきれい。

この右手の方に富士山らしい山が見えていたが、山頂からの方がきれいに撮れるかしらと思って写真撮らなかったら、雲で見えなくなってしまった。

坊主岩に着いた。

下山の若い女性たちは中に入ってみていたが、私たちは先を急ぐので素通り。

近くの方がここからが長いんだ!とおっしゃったとおり、なかなかたどり着かない。

最初に食事が美味しいというので泊まってみようと思ったヒュッテ大槍への分岐に出た。

さらに進むと山荘が見えたがそれは殺生ヒュッテだった。

リーダーは先行のグループについて殺生ヒュッテの方に行っていたのだが、私は大分遅れて岩の先で見失い、槍ヶ岳山荘への直登ルートの丸の印に沿って、足元ばかり見て、ひたすら登っていたので見失ってしまった。

茶色の殺生ヒュッテの横にリーダーの姿が見えたので、ヤッホーと叫んだり、こちらを見たので、山頂への道に合流する方に手ぶり身振りでお願いして、やっと合流できた。5人組とか中国人のカップルはこの殺生ヒュッテに向かったらしい。彼らはそこに荷物を置いて、身軽になって、頂上を目指していて、私がそちらに合流できれば、そうすることができたのかもしれなかった。残念!

ヘロヘロで最後の急登を登り切って、槍ヶ岳山荘の所に出た。6時10分前にでて、11時30分には着いたから、休憩入れて(中高年の)標準なみ。すごい馬力でした。

先行していたリーダーに山頂に行こうと言われたが、私は薄いヤッケのままで、風と霧が出てきた中で、寒すぎるのと、もう休息しないと帰りの足元が危ないのでリーダーには登っていただき、私は止めておいた。リーダーの後ろから若い男性が山頂を目指すというので、二人で登ってもらえば安心だと思った。何しろ、明日は瞬間風速40メートルにもなりそうでしかも雨の予報だから、なんとしても今日中に槍沢ロッジに戻らないと、とのリーダーの意見。本当にそんなにひどい予報なのかしら?槍沢ロッジあたりは電波が届かず、テレビの情報しか入らなかった。足と心臓に自信がないけれど、降りるしかないかな?

霧で良く見えないが、肉眼では霧が薄くなった時に、カニの横ばいのような鎖場と縦の鎖、そして長い梯子がみえていた。私はあの梯子で立ちすくみそうだった。まあ、霧で何も見えないから、晴れているときよりは怖くないのかもしれない。

私はあまりに過労になると。耳がふぁーんとしてしまってよく動けなくなったりする。山でそんなことが起きたら困るのだ。

しばらく穂先の下部までついて行って、見送って写真を撮ったが、霧がひどくなって見えないし、自分は寒くなってしまって低体温症でも起こすと大変だから小屋に戻って上着を着込み、食堂に入った。中の方を見たら、甘酒とかコーヒーと一緒に、下のロッジで頂いた昼食弁当を召し上がっていたので、私も店の人に聞いたら、良いというので、弁当を外に置いたザックから取り出して持って来て、甘酒と一緒に頂いた。

リーダーが写した頂上の祠

リーダーが山頂を極めてくださって良かったです。霧で周囲は真っ白だったそうですが。

槍ヶ岳山荘にて―登った証拠を残したくなりました。

てっきりリーダーが戻ってきて、少しは休むのかなと思っていたら、戻ったとたんに降りるという。でも途中で早昼にお弁当を3分の1程度食べたきりだから、この長い下山ルートを乗り切れないと思って、何とかお弁当だけ食べて頂いた。寒い時のために用意したポットのお湯を飲んで頂いた。今日は風は出てきていたが、足が攣れるほど寒くはなくてよかった。

その少し前に団体さんが到着して、20分程度の休憩で、槍の穂先に登るという。横尾から歩いてきたそうで、皆さん健脚。すごいです。敬老会に入っているという女性もいらっしゃった。聞けば九州や沖縄からも参加されているのだとか。ポケットに入れられるスマホ以外、持たないで登って、とガイドさんが言っていた。皆さん急いで温かいものを召し上がっていた。

私は、少し下がったところにある、お手洗いを借りてから、出発。下山とは言え、岩がゴロゴロの場所で道迷いしないように、白い丸印に気をつけながら、転んでけがをしないように慎重に降りていくので時間がかかった。ハイマツ帯では、ライチョウいないかなと思ったが、見つけられなかった。ハイマツ帯でも岩はゴロゴロなのだ。

ハイマツ帯

靴ひもを締めなおし忘れて、もうつま先の爪が痛くなってきたが、なかなかたどり着かない。

シラタマノキか

ななかまど

しかも岩につま先を何回かぶつけてしまった。絶対血豆だわ。

ババ平のテント場の所で、残り900メートルというので、リーダーには待たないで先に行って、夕食の予約をしていただくようお願いした。途中で人にお聞きした話だと夕食はあまり遅くなると出していただけないのだとか。一人で降りるが、こんなに岩だらけだったっけ、というほど岩が何時までもゴロゴロしていた、足裏もいたくなりそう。何か建物跡のようなものが見えた気がしたが、建物はなく(以前小屋がもう一軒あったそうだからその残骸だったのかな?)、さらに降りていくと、水を引いたホーズが見えてきたがそれも延々と続いて、橋が出てきて、そういえば出だしで橋があったかな?と思って歩いてもまだ建物は見えず、やっと沢の音が近づいて、ヘリポートの印の原っぱが見えて、ロッジにたどり着いた。薄暗くなってきて心細く、歌を歌ったり、ホーとかヤーとか声を出しながら歩いた。30分以上はかかりましたね。足が重いので、ゆっくりしか歩けなかった。でも、とにかくよれよれの状態で戻ることができた。幸い夕食は提供して頂けたし、連泊ということで少しだけお安くなったので助かった。リーダーは5時ぎりぎりに着いたのかな?私は5時15分ごろ着。

およそ11時間は登って降りたことになりますね。私は1時間ほどの休憩が取れましたが。夕食は5時45分からとのこと。今日は遅れた人のために遅い時間帯の夕食も用意されたわけ。台風の影響を心配して戻る人が多かった。

貴重品の関係で、交代で急いで入浴し、急いで食事を頂いた。

途中で声を掛け合った同年配の男性が、私以上に疲労困憊して、若い男性に付き添われて、下山したらしい。最後は山小屋の人に救援を頼んだみたい。彼らは食事は出してもらえなかったが、それぞれ非常食をお持ちのようだった。まあ、私たちも最小限のパックご飯はあったけれどね。

この日も小屋は空いていたのだが、知らない間に他に女性以外いないと思っていたところの横に男性が寝ていて、そのいびきがひどくて、疲労で体がほてっていることもあり、あまり寝られず、翌日もつらかった。

翌日、槍沢ロッジも朝食を取ってから出発したので6時過ぎになった。横尾までは結構な岩の道も多く、時折風雨も強まりだして、樹林帯だからそれほど濡れないが、川べりに出ると雨がひどく当たったりしていた。

その風雨の中、翌日の快晴を見込んで登っていくレインウェアを着込んだ人たちが、続々と続く。びっくり。私たちはたまに小雨が降る程度だったのだけれど。。。

風は思ったより暖かく、レインウェアも脱いだり着たり。外国の方や若い人の中には半袖一枚の人たちもいらした。徳澤でソフトクリームを頂いて、少し足を休ませてから、上高地に出た。上高地あたりでは雨は上がり、空も明るくなったが、昼食休憩しているときには結構降ったりしていた。

明神標識(まだまだ紅葉には程遠いです) 外国人が沢山観光に来ていた。

明神岳

今回もまた明神池まで足を伸ばす余裕がなかった。

河童橋あたりからの梓川

野菊

上高地発の新宿行きバスは3時半だったし、どこか温泉で疲れを取って帰りたいということで、松本に出たが、いまだに新島々で電車に乗り換えだった。真夏なら切符もなかなか買えなかったりするが、今日は簡単に買えた。新島々まではほぼ熟睡。

かわいい電車に乗り換えて、実りの田んぼを見たり、リンゴを見たりしながら松本に着いた。疲労を取りたいとどこか温泉によって帰ろうと思った。

結局翌日早めに帰るために、甲府の温泉付きのビジネスホテルで一泊してから帰宅した。温泉に2回浸かったけれど、足の痛みは取れないけれど、まあ、歩けて良かった。夜は登山靴で食事に出かける気力も失せ、最後まで残っていたアルファ米の非常食をおかずなしに頂いて休んだ。朝食バイキング付きだから、朝しっかり食べよう。

朝の朝食は、団体さんが8時出発で7時ごろ混みますと言われたが、6時半に行ったら空いていて、あれもこれもと食べすぎなほど頂いた。どれも美味しかったが特に、ほうとうが美味しかった。

長い行程だったし、私としては、休憩入れても11時間歩くことは初めてだったから、本当に疲れました。難行苦行でしたが、高山病も起こさずに、3000メートルくらいまでは登れました。一時晴れ間もあり、アルプスらしい展望も楽しむことができたし、山小屋が空いていたので何よりでした。槍沢ロッジはきれいで、お風呂はシャワーもお湯も出ないのが残念だが、疲れを取ることはできました。槍ヶ岳肩まで引っ張り上げてくださったリーダーに感謝です。

留守番の家族にも感謝。

追記:私は山用品の店で槍ヶ岳に行くから店員さんに話して、2泊程度ならこれで良いのでは?と言われた安めの登山靴を買って、本当に濡れた岩でも滑らないで済んだので、良かったと思ったのだが、リーダーの靴底と比べたら1センチ近くも底の厚さが薄かった。それで岩のあたりが辛かったのね。やっぱりもう少し靴底の厚い靴を選べばよかった。そういえば昔買ったクッション材はつかえないかな?

 

 

 

 

 

 

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