たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

血だらけのハンティング

2008年04月02日 12時24分39秒 | フィールドワーク

3月初めに日本を出国して、コタキナバル(マレーシア・サバ州)で、国際ワークショップに参加・発表し、その後、サラワク州へと移動して、1ヶ月弱の間、プナン社会で補充調査を行って、ここクチンにやって来た。短い期間ではあったが、ためこんでいた疑問のうちのいくつかを解決し、さらには、興味深いデータを集めることができた。

その間、全部で、4つの狩猟キャンプ(3つの猟場)を渡り歩いた。そのうちの一つの猟場は、以前にも一度行ったことがある猟場で、そこでは3泊した。4人のハンターたちが、銃と吹矢で、サル1匹、イノシシ2頭、マメジカ2頭、サイチョウ2羽、リス1匹をしとめた。イノシシ肉は、計ると2頭で73キロあり、キロあたり8リンギット(250円ほど) で売れた。狩猟行に参加し、銃弾と米や塩、砂糖などの食料を提供したわたしは、彼らの勧めに応じて、売り上げ金の4分の1にあたる、146リンギット(3800円ほど) を手にした(しかし、その金は、またたく間に、ビールや煙草などを買って、無くなってしまった)。

昨年の3月には、子イノシシを含めて、もっともっと多くのイノシシが獲れた。イノシシ猟は、イノシシが食料とする果実が実る場所の移動に深く関係するらしく、季節と猟には直接の関係がないことがわかった。
意外と美味だったのが、サルの肉である。歯応えとしては堅めだが、噛むと、じわじわと、甘い味がしてきた(写真参照;5種類のサルが知られているが、そのうちの1種。プナンは、このサルをmedok と呼んでいる) 。

わたしは、二日間にわたって、一日6、7時間、ハンターJに同行して、ジャングルのなかを獲物を求めて歩きまわった。この半年ほどの間、日本国内のオフィスワークに、どっぷりとつかりきってしまって、わたしの身体は、機敏さ、機動性の点で、かなり衰えていることを実感した。アップダウンの激しいジャングルのなか、横たわる木々を越えるとき、体重を腕で支えて、うまく身体を移動させなければならない。ジャングルの地面は泥々で、片足に力を置くとすべってしまうので、軸足には体重をかけずに、巧みに降りてゆかなければならない。ジャングルでは、軽やかな身体感覚と運動能力が不可欠なのだ。そこでは、プナン的な身体、身のこなしが必要であることを、今回は、痛切に感じた。

わたしは、とにかく、狩猟について行き、プナンの動きを観察し、写真を撮るのに必死だった。長袖のシャツを着て、手袋をはめ、ストッキング
をズボンの上にかぶせて、隙間をなくして、厳重に装備していたのにもかかわらず、2日間で、首に9ヶ所、胸に3ヶ所、腹まわりに3ヶ所、足に2ヶ所、手に1ヶ所、腕に2ヶ所、合計20ヶ所、吸血ヒルに血を吸われた。プナン人たちは、ヒルにかまれる感覚があっただろうとわたしに問うたが、
わたしは、汗まみれで狩猟について行くのに夢中で、血を吸われるときの痛みを、ほとんど感じなかった。

血を吸って、もとの大きさの数十倍になった吸血ヒルたちは、わたしの身体を血だらけにした。2週間近く経った今、痒みはなくなったものの、あちこちにヒルの吸い跡がくっきりと残っている。ヒルは、ジャングルのなかのどこに潜んでいて、どのようにして人の身体に吸いつくのだろうか。その血を求める行動特性は、けたはずれにものすごい。プナン人は、吸血ヒルは、枯葉や土から次々と生まれてくると考えているようである。ヒルだけには、他の生き物すべてがもっている魂(barewen)がないともいう。