「人間と動物の関係をめぐる比較民族誌研究」という科研費研究(通称:人獣科研)をスタートさせることができる。この研究は、わたしが、2006年度一年間、(元)狩猟民プナン人たちと暮らすなかで、輪郭をつかむことができるようになったテーマを核としている。フィールドワークに行かなければ、わたしは、このテーマを発見できないでいたであろう。あらかじめテーマがあるのではなく、フィールドワークがテーマを与えてくれるところに、文化人類学のフィールドワークのすごさがあるのではないだろうか。
そのことはさておき、エトースをこそ、起源・根源をこそ問い尋ねるべきだというわたしの当初の主張に対して、変化という時間軸を取り入れるべきだというメンバーの意見を取り入れながら、申請書の作文をしたことを覚えている。その意味で、メンバー(研究分担者)の協力に、ひじょうに多くを負っている。メンバーの一人は、政治経済系の人類学の研究が多いなかで、近年には珍しいクラッシックなテーマ(どっしりとした文化人類学?)であったことが、審査通過によかったのではないかと分析した。同感であるし、その点を目指している。考えてみれば、この領域に関して、研究代表者であるわたしとほとんどの研究分担者は、業績ゼロである。その意味で、よく通ったものだと驚いている。
また、このような調査研究から、いったい何が見通すことができるのか、という新たな問題提起も、すでにメンバー内部から提起されていて、申請書の粗描のレベルを超えて、そのことが真に意義あるかたちで提起されれば、今後、メンバー間の緊張関係をもって、この領域に対して、調査研究をスタートさせることができるのではないかと考えている。6名のメンバーの調査研究のパワーに期待するとともに、申請段階での以下の文言が、今後の研究によって、データを伴って、大幅に書き換えられてゆくことを願いつつ、申請書のさわりの部分を、以下に掲載しておきたい。
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本研究は、地球上の幾つかの生業を異にする社会(狩猟民、牧畜民、農耕民)を取り上げて、文化人類学的な参与観察とインタヴューを組み合わせた調査手法をつうじて、人間が動物をコスモロジカルにどのように表象し、感覚器官を用いてどのように動物に接しているのかに関して、人びとの実践と語りの両面において実証的に解明し、開発やグローバル化による商品経済の浸透によって、それらの関係がどのように変容しつつあるのかの地域偏差を視野に収めながら、そのような諸地域からの民族誌の成果を比較することをつうじて、人間と動物をめぐる関係について考察することを目的とする。
研究の全体構想
人類は、周囲の自然環境における多様な生物資源を利用して生き延びてきた。動物は家畜化され、屠畜され、人類は、やがて食糧を安定的に手に入れるようになった。そのプロセスは、その後、商品経済へと組み入れられ、動物は飼育・屠畜され、食肉加工されて食卓へと運ばれる。人類は、自然界のたんなる一員からそれを支配する存在として自らを位置づけるようになり、知識と技術を用いて、スポーツ狩猟、毛皮交易、動物実験や見世物および観察の対象として、動物を取り扱うようになった。20世紀後半には、人間に残酷な扱いを受ける動物に対して哀れみを感じた人たちは、動物にも本性に従って生きる権利があるとするアニマル・ライツを唱え始めた。
人間は、生活資源としての動物に対して、動物の生殺与奪の権利を手に入れたのである。そのようなヒト中心主義的な動物観は、今日、グローバル化による生物資源の世界的な需要の高まりとも相俟って、地球上の各地で、人間と動物の間に、様々な現実的課題を生み出している。
他方、人間の利益を優先している点で同じくヒト中心主義的ではあるが、自然や動物に対する畏怖に支えられて、「人間の非人間的世界への比喩的投影による拡大認知」という特徴をもつ、人間の動物への態度のモデルがある(川田順造「ヒト中心主義を問い直す」、2004)。それは、ふつうは、人間の生存のための動物の殺害という撞着を身に受けながら、自然を擬人化したり、動物との交渉を行ったりするような宗教や儀礼、生業実践などとして現れるものである。
文化人類学は、これまで、そうした自然観・動物観の記述と解明に努めてきた。それだけでなく、人間と自然の関係を、人間の感覚(視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚)の観点から取り上げてきた。本研究では、(1)人間のコスモロジカルな動物との関わり、(2)感覚をつうじた動物との関わりや動物への態度などを記述考察し、グローバリゼーションに伴うその関係のあり方の変容を視野に入れて、人間と動物の関係のあり方に関して、比較民族誌的な調査研究を進める。
①-1.研究の学術的背景
周囲の自然を相手に人間がどのように暮らしてきたのかについては、生態人類学による研究蓄積がある。池谷は、カラハリのサン社会では、食糧獲得のための狩猟から、肉や毛皮を販売するための商業狩猟へと移行しつつあることを明らかにした(池谷和信『国家のなかでの狩猟採集民』、2002)。秋道は、中国とラオスの少数民族社会で、野鶏が、食糧として重んじられる一方で、焼畑民社会では害鳥とされていることを明らかにした(秋道智彌「変貌する森林と野鶏」、2005)。
そのような研究に対して、文化人類学は、これまで、人間が動物をコスモロジカルにどのように表象するのかに着目して、人間と動物の関係を取り上げてきた。レヴィ=ストロースは『野生の思考』のなかで、人間が、動物と親密な関係をもって世界を組み立て、命名することで、自然にとりまかれ、交渉しながら、暮らしていることを明らかにした。ダグラスは、レレ社会の豊穣多産を祈願する儀礼で、センザンコウが多用される理由を考察し、それが、分類体系から逸脱する変則的な動物であるがゆえに、「神秘的な力=生殖力」を与える象徴とされていることを明らかにした(ダグラス『汚穢と禁忌』、1972)。国内では、動物をめぐる文化の諸相についての研究成果が公表されてきている(国立歴史民俗博物館編『動物と人間の文化誌』吉川弘文館、1997)。
文化人類学はまた、感覚の民族誌研究において、人間と動物の関係へと接近してきた。匂いを世界の中心に位置づけるアンダマン島民は、身体に粘土を塗って匂いの発散を防いで狩猟に出かける。生きている動物に仲間の殺害を知らせないために、捕獲した動物から匂いを奪った後に殺害する(Pandya, Vishvajit Above the Forest. 1993)。サラワクのプナン社会では、神のお告げとして、鳥の声の聞きなしが盛んに行なわれてきた(卜田隆嗣『声の力』、1996)。さらに、居住空間の内外に家畜などがどのように配置され、人間集団とどのような関係にあるのかについても取り上げてきた(佐藤浩司編『住まいにつどう』、1999)。
本研究は、この領域をリードしてきた生態人類学の研究に対して、理論的には、コスモロジーと感覚に関する研究蓄積をベースとして、手法的には、人びとの実践と言説の両面に重視する文化人類学の観点から、人間と動物の関係をめぐる調査研究を前進させることを目指している。
①-2.着想に至った経緯
研究代表者は、これまで、先住民の自然環境認識をめぐる二つの科研費研究に研究分担者として参加し、さらには、2006年度の一年間の学外研修をつうじて、マレーシア・サラワクの(元)狩猟民・プナンの現地調査を進めてきた。それらの研究をつうじて、プナン社会における人間と動物との関係に気づくようになった。
プナンにとって、雷雨や大水は、つねに、人間の動物に対する不道徳な振舞いの結果とされる。それらは、人間が動物をからかったり、さいなんだりしたために、雷神からの天罰として起きたと考えられる。そのため、動物をいじめてはいけないという強い禁忌がある。動物に対するプナンの態度は、周囲の森林伐採が進められ、生態系だけでなく暮らしが変化した今日でも、ほとんど変わりがない。プナン人の禁忌の実践は、人間と動物の間の対称的な関係を保持するように働いている。さらに、プナンは、神の声として、日々、鳥の声の聞きなしを行っている。そのような聴覚を活用した日常の暮らしに加えて、動物の習性を熟知した上で狩猟を行う。ハンターたちは、どの動物が嗅覚に優れ、どの動物が嗅覚で劣っているのかに関して熟知している。
そうした現地調査研究を踏まえて、研究代表者は、他地域で調査研究を行ってきた文化人類学者と意見交換するなかで、人間が動物を含む自然とどのような関係を切り結んでいる(きた)のかについて、コスモロジーと感覚という視点を手がかりとして、地域の文脈から得られたデータを比較検討し、人間と動物の関係を再検討するという、本研究の基本枠組みを構想するに至った。
②研究期間内に何をどこまで明らかにするか
生業を異にする幾つかの社会を取り上げて、それらの社会における人間と動物の関係の諸相に関して調査研究を進める。人間は、神話や昔話のなかで、動物をどのようなものとして捉えてきたのか。宗教実践や儀礼、禁忌などをつうじて、動物にどのように向き合ってきたのか。生業との関わりにおいて、動物はどのような存在として扱われるのか。さらには、感覚をつうじた動物との接触、生活空間での配置などについても明らかにする。また、開発や商業的な森林伐採などによる自然・社会環境の変化によって、住民と動物たちとの関係はどのように変わったのか。商品経済の浸透によって、人びとは、周辺の動物とどのように新たな関係を築いているのか。そうした人間と動物の関係の諸相の現在に関しても明らかにする。その後、各地での研究成果を比較検討して、現代社会の人間と動物をめぐる関係について、新たな見方・捉え方を提示する。
③当該分野における本研究の学術的な特色・独創性
地球環境問題や人間と自然の共生の研究と枠組設定は、今日、諸科学が総力を投じて取り組んでいる最重要課題の一つである。生態人類学は、そのような課題に正面から取り組んできた。それに対して、本研究では、コスモロジーと感覚という文化人類学の強みを拠り所として、人間と自然(動物)の関係をめぐる関係に光をあてる。その点に、本研究の学術的な特色がある。
生活資源としての動物は商品経済のなかに組み込まれ、今日、至る所で、ヒト中心に組織された世界のあり方に対する疑念が噴き出している。ヒト中心主義を問い直すことに触れて川田が述べるように、「自然と人間をめぐって、認識論の根本にまでさかのぼる検討をすることが、さまざまなものが限界ないし爆発寸前のところまでさしかかっている人類の今後を考える上で、大切なことである」(前掲書)。本研究では、コスモロジーや感覚の面から、比較民族誌的な考察を行うことにより、ヒト中心主義的な観点から構成されている現代世界の人間と動物の関係について、新たな捉え方を提示し、問題解決の枠組みを提示する。その点に、本研究の今日的な意義がある。
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以上、科研費基盤研究(B)(海外学術調査)(平成20年度~24年度)「人間と動物をめぐる比較民族誌研究:コスモロジーと感覚からの接近」(研究代表者:奥野克巳)の研究計画調書より抜粋。
(写真は、吹き矢を吹くプナン)