たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

反省しない文化~大学生はそれをどう受け止めたか?(1)

2008年05月18日 16時38分09秒 | エスノグラフィー

先週の金曜日の「アジアの社会」の授業を半分くらい使って、プナン人の反省しない文化について話をした。同時に、プナンについての講義が終わったので、これまでの講義についての感想、疑問などを提出してもらった。そのうち多くが、反省しないプナンの文化についてのものであった。読んでいて、考えさせられるものがいくつもあった。以下では、反省しないことに関して書かれていたコメントペーパーから文章を、そのまま抜き書きしてみよう。さらには、質問(白字で書かれた部分)に答えてみたい(赤字は、わたしが読んで共鳴した部分:黄字は、質問に対する回答)。

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・反省と後悔ですが、私は反省するからこそ、次に同じ失敗を繰り返さないものだと思ってきました。なので、反省をしないプナン人は、同じ失敗をしないのか気になりました(国3)。⇒プナン人は、あくまでも状況主義で、失敗を反省というフレームワークへと組み込まないように見えます。

・特に反省するという行為は、次に同じことを繰り返さないためにも必要なものだと思っていたが、逆にその考え方にしばられてしまうこともあるのだと思った。どちらがよいとは言い切れないことは多々あるが、自分の世界だけで生きていくよりは、こうして他の世界に住んでいる人たちに触れ、考えるということはとても大切なものだと思う。フィールドワークも機会があれば挑戦してみたいとも思った(LA2)。

・プナン人は反省をしないことが分かったような気がしましたが、1つ疑問が出てきました。人が物を盗んで酒を買うお金をつくってしまうプナン人の例が出てきましたが、確かに彼自身はそうすることが悪とは思っておらず、反省をしていません。しかし、盗まれた村人たちは話し合いの場において盗まれては困る、ではどうしたら盗まれないのか?と話し合っています。これは反省ではないのですか?自分の物の監視がゆるかったことをかえりみて、そのことについて、どうすればそれが改善されるかということを考えていると思います。それは反省には入らないのでしょうか?(国3)たしかに、集団で反省しているようにも見えますね。重要な指摘だと思いました。その点からいうと、個人的な反省はしない、個人的な反省の回路がない、というふうに言ったほうがいいかもしれませんね。

・プナン社会の「反省しない」とは、はじめ悪い意味で捉えていたのですが、個人ではなく、全体でどうすればいいかとする解決法は好ましいと感じました。一つの事象で独りが向上するのではなく、複数で共有することができる点がプナン独特なものではないでしょうか。解決の仕方も日本では考えられない方向性で進んでいく。驚きの連続です(国3)。

・反省しない社会にも驚いた。最近大学生の中で反省しない人が多いと日本社会を恐ろしく思ったが、考え方を変えるとそういう見方もあるのだなあと思った(国3)。

・日本は小さい頃から学校で「今学期の反省」などをやらされてきたので、この影響は大きいと思いました(BM3)。

・「反省」をしないという考え方はすごくうらやましいと感じます。私達の日常は反省ばかりすることが求められ、これからのためにということばかり考えています。正直つかれますよね。「生きるために生きる」そんなシンプルな彼らに少しあこがれました(BM4)。

・集団無責任体制をとてもうらやましいと思った。後悔や反省は日本社会では日々くり返されていることであり、学校生活では小学校1年生から、学習や掃除の反省などがある。日本では子どもを反省、自分自身をふりかえらせることで「教育」していると思っているかもしれない。しかし、プナン人も他民族とハンティングのキャンプなどで一緒に仕事をすることがあるのだから、いつかプナン社会にも反省するということが組み込まれていってしまうのではないだろうか(反省することによって、再度、そのまちがいをおこさないようにすることができるのだから)(国4)。
⇒そうかもしれません。外部の影響で、プナン社会にも今後反省システムのようなものが浸透していくかもしれません。

・プナン人は反省や後悔をしないという話を聞いて不思議な感じがした。私達は反省や後悔をすることが普通になっているから、先生が車に乗りそびれたときに同じことを思ったけれど、プナン人はその時何を考えていたのか、何も思わなかったのか、わからず不思議です。もっとアジアの不思議な民族について知りたくなりました(LA2)。

・現代日本社会に生きる我々が反省せずに生きることは許されない。そして彼らの考えを理解しようとする行為自体も、反省につながるものがある。反省ループに捕らわれるのも困りものだが、反省の反省という形で自分を見つめなおすことは、何らかの利益を与えてくれるに違いない(中3)。

・プナンの反省については反省をしないということではないと思う。酒を買うため、盗みをやった男が反省をするのではなかったが、盗まれた人が、盗まれないようにしよう(個々人の物の管理として)というニュアンスがあったのではないだろうか。また、100%日本語の「反省」という意味ではないだろうが。日本語だけで説明できず、それを語義100%でないからとして、それを否定することにはならないだろう(国4)
。⇒たしかに、自分たちこそが甘かったのだと、集団的に反省しているようにも見えるということですね。逆にいえば、そのことによって、個人は反省しなくてもいいということになっているようなのです。

・個人的に反省をしないという点はちょっと嫌かも・・・(BM3)。

・日本の人びとも反省をしない人も多く見受けられるが、全体必要な事だと思う。反省してから向上できる事もあるし、成功する一つの手段である。言葉が悪いかもしれないが、プナンの人々は楽天家と呼ばれてもおかしくないと思う(国3)。

・プナン社会について長い講義をしてきたが、最後のほうにやったプナンは反省しない、向上心がないということ一番頭に残った。私もそうであるが、日本人は反省することも多ければ、後悔することも多い。だが、反省ばかりしていれば考えることも多くて、ストレスもたまるし、後悔なんかしても前に戻ることはできないので、プナン人の考え方はすごく共感できた。そして、日本人とプナンとの考え方にはすごく違いがあり、おどろかされたLA2)。

プナン社会において、反省という行為をしていないように見える(実際はよく分からない)というのをこの授業で知り、我々日本人がよく行う反省とはどういうものなのか考えてみた。私の解釈としては、過去のあやまちを繰り返さないように心がけるというものであり、心がけであるがゆえに必ずしも同じあやまちを防止できるものではない。このことから反省することは、確かに失敗を繰り返さないようにするという意味でいいことだと思う。しかし反省とは自分をしばりつけるものなのだと感じた(国3)。

・プナンの「反省」をしないという社会は、うらやましいと感じました。人にとって自分を批判するという行為はとても辛いことであるし、プレッシャーとなり、ストレスになるのだと思います。私は今までそういった社会で生き、それが当たり前だと思っていましたが、今回の授業で「逆になぜ私たちは反省するのか」という疑問を抱きました。反省するということは、「悪いことをしてしまった」という罪悪感があるからだと思います。しかし、そういったことを気にしながら生活するのは、何かもったいないと感じました。いつも何か気にしながら、ストレスを抱えて生きるよりも、プナンの人のように生きられたらどんなに良いだろう・・・と思いました(国4)。

・反省をしないプナンの人々について。これはプナンの人々は日本人にくらべ、自分の行動に対して批判される、人から言われることに対しての意識が低いから反省しないのだと思う。逆に日本人は批判をされるからこそ反省しなければならない状況が作り出されていると思う(言4)。

・反省が文化だなんて今まで考えたこともなかったので、面白かったです(国3)。

・プナン社会は文明社会で生きてきた自分としては、反省しないというのは腹立たしいことであろう。ただ、プナンでは、それが当たり前であり、逆にその考え方が過ごしやすい生活になるのである。言い換えれば彼らの知恵であるのかもしれない。それを思ったうえで彼らを責めることはできない(国3)。

・プナン社会について全て通して最後の反省しない、反省するということが不在であることに驚いたし、私が必然的に社会に反省を気づかないうちにしむけられているような気がした。向上と共に反省はあるのだろうかと思ったLA2)。⇒将来的に向上するということ、言い換えれば、右肩上がりの時間軸を視野に入れていないと反省しなくてもいいということなのかもしれません。

私たちは、小さい頃から悪い事をするたびに、先生や親から“あやまりなさい”、“反省しなさい”といい続けられるので、プナン人の反省しない生き方をうらやましく思っても、すでに、反省しないということをできないだろう、と思った。反省をしようと思っているだけでなくて、失敗した事を後でその失敗について思い出してる、時点ですでにもう反省しているのだろうと思う。プナン人の反省を見ていると、成長するために反省している我々だが、反省と成長は関係ないように思えた(国4)。

次回に続く。

(写真は、反省しない子どもたち?)


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