プナン語には、「借りる」という言葉がない。
マレー語から借用して、mijam(借りる)という語を使うことがないわけではない。
しかし、彼らの会話に耳を傾けてみると、その言葉は、プナン社会では、ほとんど使われない。
モノやお金を借りるとき、プナンは、どのように表現するのだろうか?
「お金ちょうだい、明日返すから(akeu manii rigit sagam mulie)」という言い方になる。
つまり、もらっておいて、それを返すという表現になる。
わたしたちの「借りる」という言葉には、あらかじめ、返すという意味が潜んでいることにいまさらながら気づく。
プナン語では、「頼む」と「命じる」という語は、分かれていない、一語しかない。
それは、両方とも、menyeu ということばで表される。
わたしの感覚では、「頼む」と「命じる」は、ちがう意味である。
「頼む」よりも、「命じる」のほうが、強制度が高い。
「コーラ買ってきてください、よろしく頼みます」
という表現と
「コーラ買ってくるように命じる」
という表現では、どこがちがうか?
前者では、べつにお金がなくてもいいかもしれない。
しかし、後者では、「命じる」わけだから、お金は必要だと思われる。
プナン語では、そのどちらもいっしょである。
つまり;
akeu menyeu kau aleau kola.
(コーラ買って来てよ)
という。
だいたい、お金を出すことなく、そう言う。
私の感覚としては、彼らは頼んでいる。
しかし、それをマレー語に訳していうとき、
しばしば、「コーラ買ってくるように命じる(saya suruh kamu beli kola)」という表現を使う。
そのとき、プナンは、たいていの場合、金を出さない。
プナンは、ときどき、マレー語で謝意を述べることがある。
terima kasih.
プナン語では何というかと尋ねると、 jian kenep という答えが返ってくる。
jian とは、「よい」という意。
kenep とは、「心」の意。
jian kenep とは、「よい心」あるいは「よい心がけ」という意味である。
前述したように、プナンは、よく、誰かの持っているモノを「ちょうだい」という。
「けちはダメ(amai ibah)」という規範に沿って、モノは与えられる。
そのとき、(物惜しみしないとは、何と)jian kenep(よい心がけ)だ!という。
それは、謝意というよりも、「物惜しみしない心」に対する賞賛のようなものである。
ひるがえって、わたしたちが「ありがとう」というとき、相手の何に感謝しているのだろうか?
「心」や「心がけ」なのか、あるいは、「モノ」の有難さにだろうか?
ついでながら、プナン人は、人間だけが「心」を持つのではないという。
「心」は、動物にもあるのだという。
だから、イノシシは、人間に撃たれないように逃げるのだという。
そのあたりが、狩猟民らしいと思う。
(写真は、物悲しい音を奏でる鼻笛を吹く女性)