落葉松亭日記

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習近平国家副主席、天皇陛下との会見

2009年12月15日 | 政治・外交
習近平国家副主席・天皇陛下との会見は、天皇陛下の体調やご公務日程を無視した民主党政権の設定だとして批判の声が上がった。
小沢氏は14日の記者会見で以下のように発言した。
天皇陛下と習副主席の特例会見問題をめぐる小沢氏会見の要旨 2009.12.14 19:33 産経
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091214/stt0912141933009-n1.htm
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 民主党の小沢一郎幹事長が14日に行った記者会見で、天皇陛下と中国の習近平国家副主席との会見に関する発言要旨は次の通り。
 【天皇陛下と習副主席との会見の経緯】
 --習副主席の会見はいわゆる(1カ月前までに文書で正式に申請する)「30日ルール」にのっとらない形で行われるが 
 「30日ルールって誰が作ったの? 法律で決まっているわけでも何でもないでしょ、んなもの。それはそれとして君は日本国憲法を読んでるかね? 天皇の行為はなんて書いてある?」
 「天皇陛下の国事行為は、国民の選んだ内閣の助言と承認で行われるんだよ。それが日本国憲法の理念であり本旨だ。何とかという宮内庁の役人(羽毛田信吾宮内庁長官)が、どうだこうだといったそうだが、日本国憲法、民主主義というものを理解していない人間の発言としか思えない。どうしても反対なら、辞表を提出した後にいうべきだ。当たり前でしょ、役人なんだもん」
 「天皇陛下のお体、体調がすぐれないというならば、それよりも優位性の低い行事はお休みになればいいことじゃないですか」
(2/2ページ)
 --「30日ルール」はなくてもいいということか
 「誰が作ったか調べてからもう一回、質問して下さい。ルールを無視していいといっているわけじゃないよ。宮内庁の役人が作ったから、金科玉条で絶対というそんなバカな話があるかっていうんですよ。天皇陛下ご自身に聞いてみたら『手違いで遅れたかもしれないけれども会いましょう』と必ずおっしゃると思うよ」

 --小沢氏が平野博文官房長官に陛下と習副主席の会見を要請したという報道がある。政治利用との指摘もある
 「天皇陛下の国事行為は内閣の助言と承認で行うことだ。それを政治利用だとかいったら天皇陛下、何もできないじゃない。内閣に助言も承認も求めないで、天皇陛下が勝手にやんの?」

 --(官房長官に会見を要請した)という事実関係は
 「私が習近平副主席を天皇陛下とお会いさせるべきだとか、させるべきでないとか、というようなことを言った事実はありません!」

 --小沢氏と習副主席の会談の予定が中止になったのはなぜか
 「予定していたわけではない。私は中国行ったばっかりだ。日程がお忙しいだろうと思って『ご無理なさらんでもよろしい』と(伝えた)」

この問答のように会見設定ルールのみを取り上げれば小沢氏の勝ちだろう。
問題は日中友好の名の下に、ウイグル人虐殺を指揮したとされる習近平氏家副主席が天皇と会見することによってシナの国際的批判をやわらげ印象を良くしようとする政治的意図、シナ国内の人民に対する中共政府の印象操作に媚中小沢・鳩山政権が協力したことであり、また小沢氏・鳩山氏に日本国民象徴天皇に対する崇敬の念が欠けているように見えることだろう。

元衆院議員 西村眞悟氏が連日この件で論説されていて勉強になった。
君、日本国憲法読んだことあるの、とは誰のことか No.470 平成21年12月15日(火)
http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?mode=Printview&page=470

 今来日している、中共の副主席が天皇陛下と会見することとなった事態は、許されざる事態である。
 腹に据えかねる思いをもつ国民にとって、図らずも、この事態は、我が国体と天皇の存在について、あらためて認識を深める機会となっている。
 それと同時に、一旦日本側が断っていたこの会見を、中共の意向の元にごり押しして、まさに彼の走狗となって実現にこぎ着けた総理及び党幹事長の「程度」が、極めて低いことも明らかになった。

 昨夜(十四日)の小沢氏の記者会見での発言は聴くに堪えなかった。そして、なるほどなー、かわらんなーこの人はと思った。 彼はぶすっとした顔になって、質問した記者に 「君、日本国憲法読んだことあるの?」と言い放っていた。
 彼のこの発言と北京での発言、「日本解放はまだ」、「私は解放のための人民解放軍野戦軍司令官」を総合すれば、 先ず第一に、この人物は、日本国憲法が分かっていないということが分かる。
 次に、この人物は、日本が「民主主義人民共和国」になるのが「日本解放」だと思っていることが分かる。
 そして、選挙によって政権を取れば、何でもできると考えていることが分かる。

 先ず、日本国憲法第一章第一条にある「天皇」について
 ここに天皇が日本国と日本国民統合の象徴と記述されていて、「この地位(天皇の地位)は、主権の存する国民の総意に基づく」とある。
 では、この「国民の総意」とは何か。
 これがポイントである。これが分からない者は小沢氏のようになる。つまり、国家にとっては極めて有害であり、個人的には恥をさらす。
 この「国民」とは、例えば、今街角を歩いている国民、または家でテレビを観ている個々の国民ではない。つまり、現在の「横の集合体としての国民」ではない。
 日本が誕生して以来、二千年にわたって日本国民であった「縦の集合体としての国民」のことである。歴史のなかで亡くなっていった国民を含めた国民である。
 神話によって伝えられる昔から、つまり二千年以上昔から、途絶えることなく天皇とともに生き、万葉集に歌を遺してきた無量の日本国民が一貫して疑うことなく天皇を戴いてきたこと、これが「国民の総意」である。

 遙か昔、「大君の みことかしこみ 磯にふり 海原わたる 父母をおきて」と万葉集に歌を残し対馬の金田城の長大な石垣の石を運んだた無名の防人、昭和二十年三月、「国のため 重きつとめを果たしえず 矢弾尽き果て 死ぬぞ悲しき」と打電して硫黄島で玉砕した栗林中将と二万の将兵、 そして、今も続く宮中歌会初めに天皇皇后両陛下とともに歌を寄せる数万の国民、さらに、ご皇室のご成婚や皇子誕生に、こころから喜んで日本を明るくしてきた一億二千万の国民、 この二千年の歴史の積み重なりがなければ天皇の地位はない。これら全ての国民が戴いてきたのが、世界のなかで我が国にしかおられない万世一系の天皇であり、この地位が百二十五代を経て今にあるということが、即ち「国民の総意」なのだ。

 ところが、小沢氏は、今生きる個々の国民の集まりが「国民の総意」と思っている。そしてその「総意」は、選挙によって内閣を組織した自分たちが「体現している」と思っている。つまり、小沢氏にとっては、選挙結果が「国民の総意」であり、結局、選挙で勝った自分たちが「国民の総意」そのものなのだ。
 従って、極端に言えば、馬の骨であろうとも、土匪、馬賊、蛇頭の親分であろうとも、自分たちが会わせようとと思えば、天皇と会見してもらう、これが「民主主義」であり「日本国憲法」だと小沢氏は思っている。
 だから、彼は、天皇と副主席の会見セットに関して記者から質問を受けて、自分の正当性を強調するために、 「君、日本国憲法読んだことあるの」、「民主主義なんだろう」という反論をしていた。


 昨日も書いたが、また、語るに落ちたのである。
 馬鹿さ加減極まれりだ。与党の幹事長の答弁とは思えない。大学の憲法ゼミでの幼稚な学生の質問でもあるまいに。また、左翼学生が好んだ団体交渉のヤジでもあるまいに。

 小沢氏は、自分勝手に憲法を読んでいるだけだ。そして、極めて浅薄な解釈しかなしえていない。
 小沢氏の解釈では、日本は「民主主義人民共和国」である。
 今いる国民だけが投票する選挙が「国民の総意」なのだから、国民投票で皇位を廃止することもできる。
 これが小沢氏の「民主主義」である。

 権力を握れば何でもできると思っている幼児性、このような者に限って「民主主義」を強調する。
 何故こうなっているのか。それは小沢氏が、「日本の国体」を理解していないからである。その結果、極めて危険なモデルに合わせて憲法を解釈している。
 そのモデルとは、中国共産党である。従って、北京に行って「日本の解放はまだ」だとか自分は「人民解放軍の司令官」だとか、あきれるようなことを大まじめに言えるのである。

 つまり、小沢氏のマインドは、金正日と同じだ。このような者、つまり「無道の者」は、速やかに掃蕩すべきである。
(C) 2007西村眞悟事務所


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