かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

ビヤザケ通り

2006年05月04日 | Yokohama ( Japan )
今日も、絶好の散歩日和。
午前中は、庭の草むしり。最近の草むしりの経験から、膝の痛み防止のためお風呂で使う小っちゃないすを、草を抜く時の指先痛み防止のため草抜き用ペンチを使用開始。効率も上がってきた。
しかし、こんな小さな庭にほんとにたくさん生えている。先週末以来、大きなビニール袋5つがいっぱいになったが、まだ全然足りない。雑草は元気だ。

午後は、横浜山手を散歩。万歩計購入後、最高記録の17,000歩を記録。一歩70cmとして、距離で、約12km。大体4時間だったから、1時間4,250歩、一分70歩。時速約3km、分速約50m。止まっている時間もあるから、我ながらすごい。

基本的には、山手西洋館巡りなのだが、通った公園順にいうと旧仏領事公邸跡→港の見える丘公園(一番有名)→山手外国人墓地(特別に公開されていた)→元町公園→キリン園公園(ビール発祥の地)→山手公園(日本最古の西洋式公園。テニス発祥の地でもある)→イタリア山公園となる。
久し振りだったのだが、随分整備されていた。公開されている洋館も多く、その豪華さと家具の美しさに目を奪われえる。家具は、必ずしも、当時実際使われていたものではなく、元町家具による復元品もあったようだ。これだけの雰囲気のある家を作るには、我が家の最低でも5倍の面積が必要。家具の一部だけでもあやかりたいが....

キリン園公園に行く途中に、ビヤザケ通りなる坂があった。


なかなか大胆な名前だ。ビヤ酒というのは、昔、ビールのことをこう呼んでいたんですね。
公園には、巨大な碑(麒麟麦酒開源記念碑)が建てられていた。説明によると、1870年に、ノルウェー生まれのアメリカ人であるコープランド氏がスプリング・バレー・ブルワリーを当地に開設し、日本で始めてビールの醸造を開始。1885年にグラバーとうい人が、ジャパン・ブルワリーを設立し、1907年に麒麟麦酒が事業を引き継ぎ、関東大震災まで、当地で、ビールの醸造を続けたという。この碑自体、1937年建立というからすごい。
今キリンビールの工場は、生麦にあるが、当時のビールの復刻版をサービスしているらしい。作るのは、結構たいへんらしいですが。


この歴史については、キリンビールのH/Pにありました。
コメント
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