沖縄言葉を使うと首に「方言札」をかける!

先日、北大教育学部の同窓会に行ったときに出会った准教授の近藤健一郎さん(教育史研究)から研究論文の抜き刷りを送ってもらった。近藤さんの論文は「学校記念誌にみる近代沖縄における方言札」である。沖縄が、1872年以降日本国への帰属措置の「琉球処分」は知られているのだが、この具体的内容はあまり知られていない。というより私自身教科書にあるような「琉球の清国への朝貢を禁止し、1879(明治12)年には琉球藩を廃止して沖縄県を設置した」程度のことしか知識がなかった。そして沖縄修学旅行の事前学習と指導で前記のことと同時に「ひめゆり」に代表される沖縄戦争を勉強させることだった。

近藤さんは、明治以降の「琉球処分」の政策が学校教育の分野でどのように展開されたかを記述する。人びとが使う言葉(「沖縄言葉」)から日本語を標準語として、まず学校がその大きな役割を果たすことになる。子どもたちは、沖縄言葉を使った場合には「方言札(ほうげんふだ)」を首からぶら下げられた。この措置は1904(明治37)年から、沖縄も「進歩した」という「証明書 をもらおうとした」という。「方言取り締まり」を徹底するために学校の先生方は、生徒の中から出された取締札の施行を採用した。
この札はもちろん方言(沖縄言葉)を使った罰で、罰当番や廊下に立たされたり叩かれたりタバコの火で耳たぶなどを焼かれるこそすらあった。単に教師から行われるだけでなく生徒同士がお互いに罰を与え合うという事態にも進んでいた。

生活語が沖縄言葉であったにしても「せめて学校だけでも標準語を」という論理だった。だから沖縄言葉を話した場合の罰だけでなく、沖縄言葉を使わなければ賞を与えるということもあった。

近藤さんのまとめである。「標準語教育の徹底を推進すべく、…近代沖縄における大和への同化を推進する手段として生まれ、…1940年前半にいたるあらゆる時期に存在していた」「弱い者いじめのように方言札を押しつけるような教育環境がつくられた」。
「沖縄を起点として近代日本における『国語』普及の実態について」あきらかにしながら「国民国家日本の成立展開を考察」していきたいと、今後の課題を記している。

                                                    

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