「自由教育」の歴史を少し…(2)

「窓ぎわのトッとちゃん」。あまりにも有名な黒柳徹子さんの自伝のエッセイである。1981年から講談社から出され普及した750万部はこれまでのベストセラーという。それほどたくさんの人に読まれ、そして「こういう学校に子どもを入れたい」という期待が重なった書である。

1980年代からフリースクールがつくられたのは、いわゆる登校拒否・不登校が増えてきたことだけが理由ではなく、トッとちゃんの出た「トモエ学園」の影響と関係があったのではないだろうか。

ほんの少しだけこの書の内容をおさらいしておく。
小学校1年で「こんな子どもは見たことがない」「困らされたことは数えることはできない」と、校長先生に言われて、トッとちゃんは退学し、お母さんはさんざん探し回って東京の自由が丘駅から歩いてトモエ学園にたどり着いた。
この6台の電車教室(その後1台が増えた)を中心としたこの小学校は全校50人足らずの学校だった。「君は本当はいい子なんだよ」と言い続けてくれた小林宗作校長先生のもとでトッとちゃんは元気はつらつ勉強し遊んだ。

(この小学校は昭和12年、手塚岸衛の死去により、小林宗作が「自由ヶ丘学園」を再出発させる形で始めた学校だった。そして1944年戦災により閉校した)。

トッとちゃんは次のように書いている(あとがき)。
「それにしても、あの戦争中、こんな自由な小学校を、なぜ文部省や国が許したのか、と疑問をお持ちの方もいらっしゃると思います。くわしいことは、いまになっては、わかりませんが、確かなのは、なんといっても小林先生が…今でいうマスコミ嫌い、ということで、戦前も一度も学校の写真を撮らせるとか『変わった学校ですよ』と宣伝することはありませんでした」。
要するに、こんな学校など存在しても人畜無害だという認識がお上にはあったのではないか、ということである。

いずれにしても、戦前のある時期、学校設立という点では今よりも可能性があったといえるのかも知れない。
しかし「窓ぎわのトッとちゃん」の空前の普及があったにもかかわらず、この30年間、教育・学校の自由は拡大していない。単に学校設立の自由だけでなく、教育内容の面でもむしろ自由が制約されていることを知る必要があろう。

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