即位礼正殿の儀

いうまでもなく今日は標記の儀式があるということで「祝日」。私はこの休日を利用して昨日に続いて札幌の紅葉観賞のために「中島公園」に行った。紅葉と黄葉、いずれも今が盛りという彩りを呈していた。

帰宅後、テレビで天皇の即位式である標記の儀を見た。なんだか明治憲法下の儀式ではないか、と錯覚しそうになった。平安時代の正装はともかくとして、天皇に対する国民代表の安倍首相のあの姿勢は儀式の面から仕方がないのだろうか。

まさに「臣安倍晋三」である。天皇も首相も「日本国憲法の趣旨」に則って云々といっているのだが、国民の象徴である天皇が、国民の上に立って先祖の神に宣言しているような感がしてしかたがない。もう少し現代的な形式をとれないものだろうか。

多分天皇ご自身も「これではちょっとどうかな?」と感じられていないだろうか。
天照大神が、この21世紀になんで出なければならないのだろうか。また侍従がうやうやしく捧げ持っている「三種の神器」(実際には二つだったが)もまさに虚構の「物」でしかない。

そもそも三種の神器とは天皇が即位できるシルシとして神代のときから言われてきている物とされる。しかしこれは例の「神話」に基づく物だから、フイクションをネタにして儀式を創造しているとしか言えないのではないか、と思う。(剣、玉、鏡の三つだが天皇も見ることができない代物だとか。多分どれも存在していないのだろう)。
まあそうではあるが、神話=虚構の上に成り立つ天皇制を、ある種の宗教(神社につながる宗教)として国民が黙認すればいいのかも知れないが…。しかしこの趣旨は国家宗教につながる考えだから問題外だ。

余談だが私は「日本史」で上の話が主として日本の最初の歴史書である「日本書紀」に基づいていることは知っている。そしてこの記述はある種の歴史的な事実を反映していることもあるということ知っているが、この正殿の儀の趣旨には大いに疑問がある。やはり21世紀の儀式として再検討されるべきと痛感した。

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