無言館と館主窪島誠一郎氏。卒業式

少し過ぎたことだが、11日(日)に「無言館」の意味することを館主の窪島誠一郎氏が講演した。道私学教組の結成60周年の記念行事でもあって、私もこれに参加した。
数年前に、札幌駅前で無言館に展示されている作品の展覧会があり、無名の作者の文字どおり無言の叫びに言いようのない感動と作者を死に追いやった戦争に憤りを感じさせられた。
無言館とは、長野県の上田市にある美術館で、先の戦争で若くして命を絶たなければならなかった画学生たちの遺作品を展示している。詳しくはサイトを参照いただきたいのだが、この美術館をつくることになった経緯とこの美術館の意味を、館主の窪島氏は原稿なしに2時間感動的に語った。
「作品のできの良し悪しではなく、ひとつひとつに込められた愛の訴え」を受けとめて欲しいと語っていた言葉が印象的だった。

(いつも戦没者にかかわるイベントに接するたびに思う。後の人に自分が生きた証を残すことができた人は、それでも幸いだ。わが父も戦争で死んだが、中国大陸だったので、何も残っていない。そんな無数の人たちがいる!と)

私学教組の書記長に頼まれてこのイベントの舞台の横幕を毛筆で書くことになった。最近、素人で書く人が少なく、しばしば私が書く機会をもつ。学校の行事などでも毛筆を使う。いつ書いても「もっとうまく書けないか」と忸怩たる思いをもつのだが、カネをかけないのだからこんな程度でガマンしてもらおう、と自分に言い聞かせている。

無言館の横幕を、前日学校に出てそれなりに真剣に取り組んだ。まあこんなものだろう、と舞台に掲げられたものを見ていた。
イベント終了後の懇親会で、窪島氏が「ヘタですね。ミミズのはったよう…」と批評してくれた。酔っぱらっていたからでしょう、とか芸術家の目は厳しいですね、と弁護のひと言もあったが、私としてはかなり不愉快な思いを消し去ることができない。「良し悪しではなく愛の訴え」という彼の言葉は、多分「講演用にしつらえたセリフ」なのだと認識している。

それはともかくとして、今日17日、本校で一人の卒業生の旅立ちを祝う式典をささやかに行った。小さい横幕を掲げた。3年半の高校生活で得た絆と思いが彼女の貴重な糧になることを信じている。

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