「本家」の嫁

一昨日、92歳で死去した叔母(正確には叔父の妻)は、主として昭和の激動を生きた。この世代の女性は誰もがそうであるように、叔母も戦争の荒波に抗して生きなければならなかった。夫(叔父)は生まれたばかりの子どもをおいて戦地に征く。残った家族は、嫁をアゴで使うエライ姑(しょうとめ)と10人もの兄弟その他。そして野良作業に加えて、農家の本家としての仕事がある。「いつ寝ていたんだろうね」などとの話がいつも言われるような状況だった。

夫は運良く帰還した。数年後、その夫は公職に就く。大農家としての仕事(今のような機械などはなく馬と人間の農作業)、掃除洗濯炊事という主婦としての当然の仕事が重なる。
さらに戦争で夫を失った姉(私の母)とその二人の子どもまで家族に加わる。

母の兄弟は全部で9人。一人が若いころ亡くなっていたから、祖母(上の姑)は10人の子どもを産んだことになる。そのきょうだい(弟と姉妹たち)への心配りなど、現在などは想像もできない大変な仕事だったのではないだろうか。「本家」はさらにお盆と正月とお祭り、法事などの年中行事が加わる。本家の嫁だった叔母はそういう激務をこなした。

90年余の人生を過ごした女性たちは、夫を先に送る。夫以上に苦労しただろうに、だいたいが夫よりも10年は長生きする。仏様が与えてくれたご褒美なのかも知れない。

道北地方は大雪と寒さに見舞われた。4月中旬にこの雪で農業準備の仕事もできない。「故人はきっと、仕事を休んで葬式に来てちょうだいって言っていたのかも」などという声が何人もから出された。町長が弔辞を読み、町の有力者はほとんどが会葬したのではないか、と思うほどの葬儀だった。
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