「新学期」を9月からにするという構想

今、学校では休校が続いている。そしてこの新型コロナ休校を契機に、日本の学校学期の時期をこれまでの4月でなく、グローバル化の意味をもって9月に替えるべきという構想が言われ出した。この主要な根拠は学校の9月スタートは世界の主要な流れであり、これに合わせるのがこれからの日本のあり方からいって合理的なのではないか、というようなことらしい。

留学する、とか留学生を受け入れるとか、どちらにしても9月が適切だというのだ。
どうも私は古い世代といわれるかも知れないが、日本では新規スタートは4月が歴史的になじんできた時点ではないか、と思う。

単に歴史的、伝統的な事項であるだけでなく、春夏秋冬の4期をもって日本人は個人的行動も年間計画も立案の前提としてきていたのではないかと思う。春は、長い冬から身も心も解放される季節であり、これは長年4月だった。「卯の花」の咲く月を意味する卯月が4月の旧名。そして日本的には4月は「初夏」だ。

子どもも大人もこの時期、身も心もステップアップできるのだ。この春の匂いがどこからも感じられる4月、ランドセル背負って1年生、新しい服を身につけて社会人のスタート。これが明治以来150年間行われてきた。

それを世界の習わしに合わせないとグローバル化日本が通用しない、などというのはどうなのだろう。留学生云々はごくごくわずかの人のケースだ。
3月がこれまでの終わり、4月が新しいスタート。そういう日本的しきたりはこれからも生かしていきたいのだが。古い思想なのかな。

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