秋深き隣はなにをする人ぞ

松尾芭蕉、ほとんど辞世の句だという。知られている最後の句は、「旅に病んで夢は枯野を駆け巡る」なのだが、この「秋深き…」もほぼ同時に創られたと言われている。

「秋深し隣は何をする人ぞ」だと思っていたが、どうもそうではなく「秋深き隣は何をする人ぞ」が正しいとのこと。

「深き」は連体形であるから、「秋深き隣」とつながるという意見もあるらしい。
秋寒々としている隣は、何か心配なことがあるのかな、といった感じを歌ったのだろか。

「秋深し」なら、秋が深まってきた、隣は何をしているのだろうか、になるから、隣とは距離がある。

よく分からない。だから俳句は難しいのか。

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