豊臣秀吉の妻たちのこと(5)

このシリーズの締めとして、秀吉の妻ではなく、千姫について記してみよう。この姫は、記した通り、徳川秀忠(家康に次ぐ第2代目の将軍)の娘であり、秀頼の妻だった。

豊臣秀吉は側室・茶々(淀殿)との間に生まれた豊臣秀頼を後継者として、1598年、2歳の千姫と、6歳の豊臣秀頼とを婚約させた直後、伏見城で亡くなる。もちろん、自分亡き後は徳川家を秀頼のスポンサーにすることがその意味だった。

このままごとフレンドのような二人は楽しい数年間を過ごす。しかし家康の思惑通り大坂落城の運命が迫る。家康は可愛い孫である千姫だけは戦火の中から救い出したいと考え、身近の家臣に、命をかけて千姫だけは救って欲しい。もし無事救い出すことができれば、希望するなら姫を嫁にすることを許す、と言った。これに応えたのが、坂崎出羽守だった。「それでは私が命に代えて。姫を嫁にする約束は忘れないでくださいよ」と、落城の火の燃えさかる中を走り回り、秀頼自決直後の千姫を抱きかかえるようにして救い出すことに成功した。

坂崎は千姫を自分の嫁にすることは当然だと思っていたが、彼女は「いやじゃ」と拒否。別の男と結婚することになる。坂崎は、怒り狂って千姫の嫁入りを襲うということまでしたというが、取り潰しにあう。
その後、千姫は後の講談話になるような行状の女性になったとのこと。彼女のウチは吉田御殿と言われ、そこから下を通るいい男がいたら「そこを通るお兄さん、よってらっしゃいな」と呼びかけたとか。
興味ある人は調べてみてください。ケッコーな話ですよ。
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