沖縄・旧海軍司令部壕

私を含めて6名で恒例の研修旅行の第一日目。今回は数面ぶりで沖縄と与論島に行くことにし、その平和学習のために3か所の見学であった。9月の修学旅行の地であるからその事前研修の意味でもある。
3か所というのは旧海軍司令部壕、ひめゆり平和記念資料館、平和の礎(いしじ)の3つ。旧海軍司令部壕を除けば、9年前に来たことがあった。しかし久しぶりであったこともあるのだが、あらためて沖縄戦争の凄さ、無慈悲さ、激しさを知ることができた。また「平和の礎」では、日本人だけでなく当時の敵国であったアメリカ人やイギリス人なども顕彰し追悼されていることに感動した。

旧海軍司令部壕は、私たちが知っていた6月23日牛島中将の自決による「沖縄戦の最後」以前に旧海軍司令官だった太田實海軍少将の自決による悲劇を痛切に訴えていた。
6月13日、拳銃自決を覚悟しながら官軍上層部に送った電文に、陸軍の牛島と異なる海軍司令官の意識・思想に思いを寄せる。

太田少将は次のように最後の打電をする。
「自分たちの戦争を遂行するために沖縄住民を顧りみることがなかった」ことを反省しながら、切々と住民(住民、学生、女子学生たち)を戦争に巻き込んだことを訴えた。「沖縄県民斯ク戦ヘリ」。
この犠牲を余儀なくされた県民に対して「後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」願っていた。

 

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