憲法記念日

今日5月3日は「憲法記念日」という祝日である。最近とくに終戦(敗戦)前後のころを思い出す。
敗戦の色濃くなった1945年の1学期、先生は私たち小学生(当時国民学校2年生だった)に対して、「神国日本は不滅」というようなことを盛んに言っていた。しかし夏休みが終わって2学期になるとこの不滅だった大日本帝国は完敗した。
道北の和寒町でも、占領軍がやってくるかも、などといううわさがたったような記憶がある。そして先日まで使っていた教科書のあちこちを墨で消すことになった。具体的なことは覚えていないが、とにかく世の中は完全にひっくり返ったという感じだった。
 
1946年から翌年にかけて、世の中がひっくり返ったことを自覚することになった。「憲法」の大改訂だった。神の子孫だった天皇が普通の人間である天皇に変わり、国民が日本の主人公になったことである。
 
1947年の5月3日、今の憲法が施行されることになった。私たちはこの憲法の前文を暗唱することができるようになった。
 
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。…
  日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。…
  日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」
 
 そして、第九十七条 「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」
 
 また 第九十九条 「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」
 
1946年から毎年お正月の書き初めに「平和日本」とか「新生日本」とかを書いた。文字通り1945(昭和20)年の8月を境にして根本的に日本が変わったことを自覚してきた。しかし1950(昭和25)年の朝鮮戦争を挟んで、日本は以前の古い日本に戻りだしたという気持ちが当時の多くの国民に生まれてきた。
それから60数年、しかし最近日本国民の中に、憲法は今のままの方がいいという意見が多数になっているという(今朝3日の朝日新聞その他の世論調査)。
 
国際的に問題があっても、だからこそ「国際社会において名誉ある地位を占め」るという日本国の理想を貫徹していこうという気構えは絶対に重要な意味をもってくると思う。断固たる姿勢で国際平和を堅持していこうという日本の立場があれば、世界のリーダーになり得ると実感できる。妙にアメリカと運命共同体として動こうという集団的自衛権は逆に日本を危機に陥れるのではないか。
 
憲法記念日、いろいろ昔のことも含めて考えさせられた。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 劇団四季のミ... 母が死んで1... »