「国民のために働く」、その原点について

こういうモットーで菅内閣がスタートして、国民のために何をしようとしているのか、を知りたいものだ、と思っているのは多くの国民だろう。

これを示すことが国の来年度予算関連の事項だ。防衛費に過去最大の5.4兆円をもろうという。電子戦争対応能力を向上させるとかその他の迎撃システムを強めることなどが構想にあるらしい。

防衛力を強めるということは、近隣諸国特に中国の脅威を想定するのだろうか。毎年防衛費が増大していく。これは防衛能力向上をテーマとすれば際限がない予算増大の道だ。

日本は国際的に複雑な状況下で、どういう国際的役割を探究しようとするのか、例えば中国、北朝鮮などを「仮想敵」と想定するなら、これらに対応するためにはどれだけカネを使っても切りがないだろう。そういう方針を国民に対して菅氏は問題提起するのだろうか。

国民のために働くことが基調だというが、まず菅オンタイが国の方向をどういう方向にもっていこうとするのか、をしっかり提起すべきだ。妙に人触りのいい語を使って対処しようとしているが、これからの日本の進む道を想像すると怖くなってしまうのだが。このことをしっかり示すことが「国民のために働く」原点だ。

菅さんには「自分は日本のためにこの道を進める」と総合的視野をもって提起してもらいたいものだ。これまでどの内閣もこれを示してこなかったのではないだろうか。

どうも失礼かも知れないがいいたいのは、昨今の為政者は「哲学」がないことを痛感する。これは先日のギリシャ哲学の先駆者が言っていたことだ。「政治家は哲学者でなければならない」と。プラトンは「イデア」を強調する。これは敢えて言えば「理想」を持てということではないだろうか。

国の理想を明確に示すこと、それが政治家のスタートだった。このことは2500年前も今も為政者である者の基本的資格だろう。国の理想、自分はこれに向かってすすもうという手立て、を。「国民のために働く」という哲学的アピールを具体化した言葉を聞きたい。
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