サムライニッポンとかナデシコ何とかとか

国際的なスポーツの大会に登場する日本のチームはしばしば標記のようなタイトル文字をつける。ここでいうサムライという語は何をシンボライズするのだろう。

いわゆるサムライの道徳が成立しかかったのは江戸時代の身分制度が確立したときだ。そして明治以降大日本帝国が対外伸張を推し進めるときのいわばスローガンになっていった。戦前の道徳教育のポイントは天皇に臣従することだった。これが「忠」であり、これに次いで親に仕える「孝」が忠とならんだ基本徳目になった。これがサムライの道徳の基本だった。

サムライには、勇敢で自分を無にして目的達成のために死力を尽くす、という程度の意味で「サムライニッポン」と叫ぶのはどうなのだろうか。ただ、そう難しいことはいわないで、うって一丸となって目的(勝利)達成のために頑張るのがわがニッポンだ、といった程度の内容でいうのであればそれでいいのか、とも思うが…。

女性の場合のナデシコはどうなのだろう。2004年のアテネオリンピックで公認された女子サッカーチームの「異名」。日本女性の特質である(?)清楚、ひたむきさ、芯の強さ、明るさ、礼儀正しさをすべて表す「ナデシコジャパン」。

カラナデシコに対して日本に自生していたナデシコをヤマトナデシコと呼んだのが初めてでこれは奈良時代、万葉集に初見されるとのこと。この歌集を編んだとされる大伴家持がこういう歌を詠んでいる。

「秋さらば見つつ偲へと妹(いも)が植ゑし やどのなでしこ咲きにけるかも」というのがある(他にナデシコ関連が20数首)。秋になったら一緒に見て楽しみましょうと植えたなでしこが今咲いているよ。この妻は今はもう亡くなってしまった。

ここで示されるヤマトナデシコの気持ちはオリンピックなどで戦う女性チームの異名としては少々違和感があるのだが、これも繰り返しだがそんなに難しいことを言わないで、ということが一番か。

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