或川柳教室の講師から、第2回目の講義を聞き、学生は即席で川柳を詠んだ。
第1回目は、昨年と思いますが、このブログでアップしました。内容がダブっていますが
頭の鈍い爺さんには好都合でした。ダブリはご容赦ください。
1. 川柳の誕生
江戸時代中期の前句付(「まえくづけ」と読む。7.7文字)の点者(てんじゃ、川柳を選ぶ人)であった柄井川柳(からいせんりゅう)の名前からきています。
柄井川柳(本名・八右衛門)は宝暦7年(1757年)、40歳の時に.撰者としてスタートし「川柳評万句合(せんりゅうひょうまんくあわせ)」を発行します。つまり1万句の川柳を選んで発行することです。それは明和2年(1765年)に「誹風柳多留(はいふうやながぎだる)・全」が刊行された。8年間かかった。
後にこれが初編とよばれるようになります。
当時、川柳の詠み方は、「前句付」とは、題として出された「7.7」の前句(短句ともいう)に、「5.7.5」の付句(長句ともいう)をつけて答えること。
つまり、前句の問題の解答として、「5.7.5文字」で川柳を自由につくること。
第1回目は、昨年と思いますが、このブログでアップしました。内容がダブっていますが
頭の鈍い爺さんには好都合でした。ダブリはご容赦ください。
1. 川柳の誕生
江戸時代中期の前句付(「まえくづけ」と読む。7.7文字)の点者(てんじゃ、川柳を選ぶ人)であった柄井川柳(からいせんりゅう)の名前からきています。
柄井川柳(本名・八右衛門)は宝暦7年(1757年)、40歳の時に.撰者としてスタートし「川柳評万句合(せんりゅうひょうまんくあわせ)」を発行します。つまり1万句の川柳を選んで発行することです。それは明和2年(1765年)に「誹風柳多留(はいふうやながぎだる)・全」が刊行された。8年間かかった。
後にこれが初編とよばれるようになります。
当時、川柳の詠み方は、「前句付」とは、題として出された「7.7」の前句(短句ともいう)に、「5.7.5」の付句(長句ともいう)をつけて答えること。
つまり、前句の問題の解答として、「5.7.5文字」で川柳を自由につくること。
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