kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

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小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) その1・・・柏シルバー大学院

2012-11-07 09:40:34 | 柏シルバー大学院
10月11日午後の授業でAクラスは、元学習院教授から「小泉八雲」について講義を受けた。
明治時代の方で、今日あまり話題に上りません。思えば、爺は学校の日本歴史教育の中での出会いを記憶している。また、島根県の松江市の松江城に観光して「小泉八雲旧宅」を見学しているので思い出した。
関心のある方、お読みください。

おい立ち

嘉永3年(1850)6月27日ギリシアのレフカダ島で生れる。
2歳の時、父母の離婚により同じダブリンに住む大叔母に引き取られた。
16歳のときに左目失明、父の病死、翌年に大叔母の破産など不幸が重なり退学する。
19歳でアメリカへ渡り、24歳のとき新聞記者となる。

明治23年(1890)39歳のとき記者として来日
島根県尋常中学校及び師範学校の英語教師となる。籠手田知事、西田千太郎などと知り合い、松江の風物、人情が大変気にいった。

武家の娘セツと結婚し武家屋敷に住んだ
冬の寒さと大雪に閉口し、1年3ヵ月で松江を去り熊本第五等中学校へ移り、さらに神戸のクロニクル社、帝国大学(東大)、早稲田大学に勤務した。

日本の伝統的精神や文化に興味をもった八雲は、多くの作品を著し、日本を広く世界に紹介した

日本に帰化し(資産を母子にのこすため)、明治37年狭心症のため54歳で逝去した。 自分の生い立ちが不幸であったため、残される母子に資産を残すために帰化されたという。
人間味が溢れている

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