kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

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宮沢賢治について・・・その1

2013-11-20 11:32:52 | 柏シルバー大学院
Aクラスでは、大学院名誉教授先生から、宮沢賢治について講義を受けました。
要点をアップします。

1. 宮沢賢治の一生

  童話作家・詩人である。明治29年(1896年)8月27日生まれる。昭和8年(1933年)死亡。享年37歳

1-1 父政次郎は質・古着商の宮沢商店の二代目で、理財の才に恵まれ、宗教心の篤い人であり、母イチは楽天的な性格の持ち主で、ユーモアのセンスを有し、藝術や自然の美しさに、ここをひらくことのできる人でした

1-2 県立盛岡中学校から盛岡高等農林学校へ入学した。宗教と文学に多大の関心を示し、法華団体の国柱会に入会したり、友人等と同人誌「アザリア」を刊行した。

1-3 大正10年12月、稗貫郡立稗貫農学校の教諭ななり、大正15年3月まで勤める。
  同年、妹の「トシ子」失い、衝撃をうけた。
1-4 大正13年4月に「心象スケッチ「春と修羅」を、同12月にはイーハイブ童話「注文の多い料理店」を、それぞれ自費出版した。「春と修羅」に対しては、ごく一部の人からの反応はあったが、「注文の多い料理店」には全く反応がなかった。

1-5 大正15年4月以降は、農業に従事し、一方では農民のために羅須地人協会の設立や無料肥料相談所を開設した。健康問題で挫折した
1-6 回復後は東北砕石工場技師として最出発したが、健康の理由で挫折した
1-7 昭和8年9月21日、「国訳妙法蓮華経」を1千部つくり、友人知人に配布することを遺言にして永眠した

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