kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

我孫子・手賀沼・文人達(1/2)・・・・隣町我孫子市の歴史の1断面

2009-02-15 06:44:15 | 情報

手賀沼遊歩道を散歩した。文人達の解説の碑が建っていた。次の述べてみる。

我孫子には大正期、小説家、詩人がたくさん住んでいたようです。 彼らが残した作品の中にも当時の我孫子の様子が書かれています。

特に、志賀直哉は友人の柳宗悦のすすめで大正4年に我孫子市弁天山に ... 彼らは平板な武蔵野よりも、変化に富んだ我孫子の風景を好んだようだ。

手賀沼公園から手賀大橋の間のウォーキングコースには、以下の文人達の碑が置かれている。

アクセス:我孫子駅―手賀沼に向かって10分―手賀沼公園―湖岸を楽しみながら手賀大橋方面へー10分ぐらいー文人達の解説碑がある

バーナード・リーチ

イギリスの陶芸家。香港に生まれる。明治時代末から大正時代中頃まで日本に滞在し、柳宗悦や浜田庄司の民芸運動に参加した。イギリス帰国後はセントアイブスで作陶した。大正時代、我孫子の柳宗悦邸内に窯をひらき創作に励んだ。我孫子時代の作品には陶芸のほかエッチングや家具などの作品がある。

加納治五郎

教育者・柔道家。兵庫県に生まれ、講道館を創設し柔道の発達に貢献する。明治時代の末に我孫子に別荘を建て、手賀沼別荘文化の草分けとなる。沼べりの丘に学園建設構想を抱き、のちに農場を開いた。

志賀直哉

小説家。宮城県に生まれる。雑誌「白樺」の創刊に参加する。感受性と推理力に富み、簡潔で格調のたかい作風は「小説の神様」とも称された。大正4年から同12年まで、我孫子に在住、「和解」、「暗夜行路」「城の崎にて」などの志賀の代表作は我孫子時代の作品である。

明日に続きます。