「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

逗子市沼間(2) 神武寺へ

2024-07-15 19:30:28 | あちこち見て歩く
SNSに比べたら面倒なので、放置気味なブログ。とりあえず再開。

逗子ということで、再びキマグレン♪

リメンバー♪

JR東逗子駅踏切北側、いきなりの急坂。



どんどん登っちゃうよ。


前回お話したように、今より暖かかった縄文時代の海進期には、逗子も鎌倉も現在その中心部となっているところは入り江だった。恐ろしいねえ。温暖化ってこういうことなのか?


【横須賀市】

前回行った逗子アーデンヒル(下の画像の左側の丸で囲んだところ)や、県営住宅(右側の丸で囲んだところ)は古逗子湾の南側の山である。


私が今立っているところは、古逗子湾の北側の山の斜面である。

その間にある低地は、かつては海水が入っていた。

その山の上の住宅街をどんどん上がる。


この住宅の並びの一番奥がここ(↓)。


階段を下りる。かなり急な階段だ。


すると参道に出る。

ここが神武寺の表参道ね。


表参道を上がって神武寺にお参りして、沼間参道を下って帰る予定だ。

メレル社のモアブ3ミッドはますます快調。


かなり山深いですよ。


鎌倉や三浦半島に多い石だ(↓)。


房総半島でも同じような凝灰岩がよく出るらしい。

三浦半島と房総半島は似ているところがあるね。

柔らかく、表面がぬるぬるしやすい石。基本的にこんな石ばかりのこのあたり。

足元を気を付けて。


ここからは昔の参道っぽくなって来るよ。


人が誰も来ないわ。

本格的にハイキングしようという人が長距離を歩いて来るか、それ以外は、神武寺の檀信徒が通るくらいかな。でも最近の檀信徒は、サッとクルマで舗装された沼間参道を上がってしまうらしい。


頼朝もここ神武寺にお参りしたらしいが、これじゃあね、観光客なんて来ないよね(笑)。

でももし神武寺が鎌倉市内にあったら、結構な数の人が来るんだろうね。

変なスポットに行ってないで、住所区分なんて無関係に、こういう面白いところへもっと行けばいいのにと思うが、こういうところは一般的にウケが良くない(笑)。

さらに楽しいのはここからだ。


迫力ある参道。

これぞお寺参り。


大山阿夫利神社みたいにハードじゃないし。

でもどこか荘厳なイメージもあって、良い参道だな。


横の崖も、地面も、よく掘ったよね。

重機もない時代に。

来て良かったな~。まだ参道の途中だけど(笑)。


ここに来るのは18年ぶりくらいかな。

鎌倉市に引っ越してからは、私は一度もここへ来ていない。

こんぴらやぐらへ行きましょう。



やぶの中でちょっと鬱陶しいけど。


こちらがそのやぐらだ。


かなりの規模だよ。


逗子市のホームページによれば、中国北方の長頸瓶や、常滑壺が出土しているらしい。


また表参道に戻る。

変わった標識だね。行き先を示す矢印が下の方についている。


総門。


山門ではないらしい。

総門を反対側から見ましょう。


ここまでは別の参道(沼間参道)でクルマで来ることができる。

ただし檀信徒だけね。ここがその駐車場だ。


山号は医王山。


724年、行基がやって来て創建。天台宗のお寺だ。

平城京の時代ですよ。本当にここまで行基が畿内から来たのかね?

そしてこの山の上までさっき私が登って来た参道をつくり神武寺を建てた? 

杉本寺でも少し怪しいと思う。平城京の時代の鎌倉の山側なんてただのド田舎ですぜ。さらにこの逗子市沼間の山の上って・・・。

仮に杉本寺まで行基が来てそれを建てたとして、「あ~、なんだな、となりの逗子に天台宗でひとつ建てといてくれる?」って修行僧のだれかに託したとか(笑)。

あるいはこの山くらいは見に来たかもしれない。でも参道づくりやお寺の建築は「よきにはからえ」。

参道をつくるだけでも何年かかかりそうなことだし、そんなあちこちのお寺の建築全部に行基が関わっていられないのでは?って思うけど。そうした歴史はよく知らないので、どなたか当時の詳細をご存じの方がいたら教えてください。

完成した参道を楽に歩いて来るだけで私なんて疲れ切っている私だ。当時は大変だったことでしょう。


奥に客殿(本堂)があるが、閉じられている。


檀信徒のみが入れる。

このやり方の方がよほど清いから、私は好きだな。

鐘楼の屋根が見える。


未練たらしくふたたび客殿を覗いてみる。


ここからもう一段高くなったところに先ほどの鐘楼がある。


こちらだ。


美しい建物だね。

湿度が高くなったのか、レンズのフィルターがやたら曇る。

画像が光ってしまうね。

神武寺の森の力?(笑)


さらにもう一段上がる。


もう登りは止めてくれ~。

六地蔵に到着。


まだ上があるよー。


朱の楼門。二階建て構造だ。


横にはナンジャモンジャ。


樹齢400~500年らしい。


楼門には山号が書いてある。


医王山神武寺だね。

旧漢字は「醫」。

楼門を逆側から撮影。


こちらは薬師堂。これは本堂じゃないよ。本堂(客殿)はさきほど見た岩の向こうで、檀信徒以外は進入禁止だったところにある。


解説はこちらをどうぞ。


以前、屋根はかやぶきだったとある。

それも美しかっただろうね。

斜めから撮影。


さらに階段があって、そのままハイキングコースにつながり鷹取山(横須賀市)に行けるらしい。


しかし私はここで終了。


東逗子にクルマが置いてあるからね。

戻らなければならない。


あ、ここからなら客殿(本堂)が見える。


その右手が庫裏なのかな?


ここから(↓)「こんにちは~」なんて堂々と入って行ったら、新しい檀信徒が来たとばかりに歓迎されるかしら。


すごかった。

鎌倉の多くの寺よりよほど古いしね。山岳信仰らしい厳しさがあった。

先ほどの鐘楼がまた見えた。


こちらは檀家さんの墓地。


その横を下る。こちらは沼間参道と言う。登って来たすごい山道が表参道ね。


こちらはコンクリート製の参道で楽々だ。

お寺までクルマで檀信徒さんが上がれるように、こういう道にしたんだろうね。

途中に檀信徒用の駐車場があった。


かなりの傾斜の下り坂を一気に下る。


谷戸の下まで来たよ。ここはもう住宅地。


鎌倉でも逗子でも、谷戸が好きな人は世の中に一定割合いるんだね。



地形的には私も好きだけど、私自身が住んでいるところはまったく違う(笑)。

三井のリパークは昼間は1時間あたり300円。


しかしなあ、ちょっと行ったところにヨークマート東逗子店の無料で広大な駐車場があるのに、ここを使う?

海宝院。いつ見てもかっこいい。


今日は前をそのまま通過。

JR東逗子駅前のチキンノグチ。

鶏肉の惣菜店で、珍しい存在。昔からあるよ。


休業中って話だ。

ヨークマート東逗子店に戻って来た。


よく歩いたわ~。

逗子アーデンヒルに上って下って、神武寺に上って下って。

縄文時代なら、古逗子湾を横切るように泳がないといけないコースだ。

ヨークマートのお弁当を買って帰りましょう。


無料の駐車場。やたら広い。


この駐車場の他に、店舗ビルの地下にも駐車場がある。

はい、こちらがお弁当。


沼間の南から北まで、上がって下りて上がって下りて、めちゃくちゃ歩いた。

ここ最近、お仕事日もお休み日も、毎日結構歩いているなぁ。

これだけ歩けば、かなり食べても許されそう。がっつり行きましょう。
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18 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (おちゃ)
2024-07-18 12:47:55
ウランさん

神武寺へのご注目をありがとうございます。
そりゃあ京急沿線の方からすると、神武寺駅って
まったく地味。駅前に何もないようなところで
金沢八景とか上大岡なんてところと比べたら
「ここに駅をなぜつくった?」みたいなところ
ですね。

それに、神武寺というお寺からは、京急
神武寺駅はかなり離れており、
「なぜこの駅を神武寺駅と名付けた?」と二つ目の
疑問が出て来るところ。
つまり神武寺駅は謎に満ち満ちているのでした。

私はこの駅、好きですねえ。
でももしウランさんがこの神武寺に
来られるのなら、表参道から入って頂きたい
です。

また、仮にウランさんが神武寺駅で下車して
神武寺を目指したとしても、結局はJR東逗子駅
近くまで歩いて来て、表参道に入ることに
なるのではないかと思われます。

私がおすすめするのは、行きは神武寺駅まで
京急で来て、つまらない道ですが、JR東逗子駅
の方まで徒歩で来て表参道を上がり、神武寺に
お参りし、そのまま鷹取山にハイキングしちゃう。
そしてそこからは京急追浜駅がすぐです!
そうしたら金沢八景まですぐ。

朝早く出たら、金沢八景に昼には帰れそう
ですよ。
返信する
Unknown (ウラン)
2024-07-18 11:22:03
神武寺ってこんな立派なお寺だったんですね!全然知りませんでした~ 
私にとって神武寺は京急の無人駅(今はどうなんでしょう?)でしかなかったので、なんか大変失礼しましたって気分です。これが表参道?と思うほどの山道、まさに山岳信仰ですね。
おちゃさんの撮られた写真、建物と光の具合がどれも神々しいばかりです。いつか行ってみたいです。
返信する
Unknown (おちゃ)
2024-07-17 05:00:50
めいさん

会社の決算報告書みたいなのがお寺からも公開
されると面白いでしょうね。
お寺の収入項目を細かく上げる。それを見ると、
そのお寺が何で食べてるかがよくわかる。

檀信徒からの寄付やお布施や墓地管理料、
墓地永代供養料等が殆ど全てであるお寺が
ある。

一方で拝観料、御朱印発行料、お守りその他
グッズ販売収入、宝物殿等の特別内覧料、
そういうのが多くを占めるお寺もあるでしょう。

その他、地代、駐車場収入、幼稚園経営、
イベントのための場所提供なんてのも。

お寺は中を見ればだいたい一目でそれが目指す
ところ、その考え方が分かってしまいますが、
この決算報告書みたいなのがあればハッキリ
しますね(笑) しかし宗教法人はそれを
公開してない。。。
返信する
こんばんは (めい)
2024-07-16 23:44:00
>檀信徒のみが入れる。

檀信徒さん優遇を堂々と述べてる御寺って、潔いかも。
「うちは信仰の場です!」と主張してるのはカッコイイですね。
返信する
Unknown (おちゃ)
2024-07-16 08:38:02
自治会員さん

移動は大変な時代。奈良の都からど田舎の
鎌倉の山側へ。そして逗子の山の上へ。
行基がどこまで関わったのか?
どれくらいの期間そこに留まったのか?

山の中に長々と参道をつくり、山の上を平らにし、
そこに様々な建物を建てる。土木工事、
設計、建築工事、重機のない時代、
一生かかりそうな仕事ですから。

謎ですね。
返信する
Unknown (七里ガ浜自治会員)
2024-07-16 08:14:24
えばらさんとおちゃさんの会話が面白いです。
確かに本当に行基がここまで来るか? 全部見届けるか? 疑問ですね。
返信する
Unknown (おちゃ)
2024-07-16 06:06:48
うちまるさん

こんな山の中、平城京の時代に、行基がここを
建てたと言われております。表参道はごらんの
ように登山でもするかのような場所。その上に
こうした美しいお寺があります。

檀信徒以外は本堂に近寄れませんが、
岩の間からちらっと見ることは出来ます。
神々しさを感じる場所です。でもそんなに
ハードな登山ではありません。

こちらにお越しの節はお時間があれば
お立ち寄りください。
返信する
Unknown (おちゃ)
2024-07-16 06:03:02
鎌倉山のおじさん

京急には神武寺という駅がありますもんね。
この日は鷹取山から歩いて来る人、あるいは
こちらから鷹取山へ向かう人を見かけません
でした。もう蒸し暑いですからね。

沼間参道を降りると、普通の谷戸なんですよね。

昔からここには住宅が建っていました。
ここを抜けて、やがてまた東逗子の中心部へ
戻ってきました。長い散歩でしたわ~
返信する
Unknown (おちゃ)
2024-07-16 05:59:57
タッジーマッジーさん

よく歩きました。そしてお腹が減ってかつ丼を
食べてしまいました。ピリ辛きゅうりは
スーパーのお惣菜の中で、安くて、おいしくて
水分たっぷり。よく買います。

>それぞれの建物の佇まいがとっても良い

そうなんですよ! 薬師堂も本堂も楼門も鐘楼も、
屋根が美しい。長く軒を出して、これぞ日本の建築
であります。私もここの建物を順番に見て
美しいなあと思っていました。

軒が長いだけでなく、微妙にカーブしていて、
たいへん魅力的です。

なんじゃもんじゃは逗子市が指定していまして
大事にされています。今では大木ですね。
画像に収まり切れません(笑)
返信する
Unknown (おちゃ)
2024-07-16 05:53:30
ほたるさん

神武寺はよいところです。以前は逗子市民であり
この近くに住んでもいたので、よく歩きに
来ました。山岳信仰と言ってもいいくらいの
山道の表参道。しかしそんなにヘビーではない
ですしね。

横須賀市と逗子市にまたがるハイキングコースの
一部でもあり、ここを含んでずいぶん歩けます
よ。

縄文海進期には、古逗子湾といって逗子の
中心部は海水が入り、沼間はその湾の一番
奥にあたります。前回の山の上の住宅地が
南側の山、今回の神武寺が北側の山で、
その山に挟まれる形で、古逗子湾が間の
低地に広がりそれがその後「沼浜」と呼ばれる
地域であり、頼朝の父の義朝がそこに居館を
持っていました。その沼浜が今の沼間です。

温暖化とは恐ろしいものだなとこの地図を見て
いると思います。今よりも暑かったらしい。
そして海水面が高かったらしい。我々も
ひとごとではありません。
返信する
Unknown (ユーアイネットショップ店長うちまる)
2024-07-16 05:05:10
神武寺。
歴史あるお寺の散策楽しめました。
急な山道に守られた静かなお寺ですね。
返信する
Unknown (鎌倉山のおじさん)
2024-07-16 01:32:24
神武寺は随分前に行ったきりです。京急で行く人も多いでしょう。また横須賀市の鷹取山方面とのハイキングで、ここを通過する人も多い。

これだけの場所にあるから、楽しめます。帰りの沼間側の参道の先の道がいかにも逗子の山側の住宅地ですね。
返信する
Unknown (タッジーマッジー)
2024-07-15 23:12:05
今回もたくさん歩かれたのですね。
山の中の神武寺に心惹かれました!
いつものことながら、おちゃさんの丁寧な案内…
参道の荘厳な雰囲気も伝わってきましたし、
それぞれの建物の佇まいもとっても良いですね。

ナンジャモンジャの大木にビックリ!
この木の写真がとっても素敵です。
この神武寺に似つかわしい雰囲気の木ですね。

たくさん歩いたのですから、たくさん食べて
しっかりエネルギーを補給してください。
お漬物で塩分補給もされてさすがです!
返信する
Unknown (ほたる)
2024-07-15 22:00:58
神武寺への参道、気に入りました♬
生い繁った樹木も楼門も薬師堂も山岳信仰に
相応しい厳かな雰囲気で、おちゃさんの光の
入った写真が効果を上げていますね。
逗子にこのようなお寺があるとは知らなかった
です。

縄文時代海進の地図も面白い。
温暖化の話しは知っていても地図を見ると
こんなだったのねと。
百聞は一見に如かず ですね。
返信する
Unknown (おちゃ)
2024-07-15 20:52:43
あきちゃん

浄光明寺に執事ってタイトルの人がいるのですね。
お寺で執事ってなかなかないと思うのですが。

インターネットで検索するとそういう人が
確かに出て来ますね。

浄光明寺の家系の方を存じ上げているので、
今度尋ねてみよ。
返信する
Unknown (おちゃ)
2024-07-15 20:48:12
えばらさん

鎌倉史家のみなさんは、いくつかの史実らしい
ことから一旦決めたらあまり動かないことが
心地いいでしょうから。1192年ではない!と
なった時はさぞかし精神が不安定になったと
思いますよ(笑)

そりゃ当時最先端の行基がわざわざ奈良の都
からやって来て、あちこちにお寺建築を指導
して初代住職になっていたら、人生が数百年
あっても足りない。おそらくほとんど何も
していなかったと思います。ましてや田舎の
鎌倉の杉本寺、もっと田舎の山の上にできた
神武寺。そりゃ無理だろうと思うのが
普通だと思います。

でも可能性としてはあるんでしょうね。
そこを想像するのが、面白いのかも。
返信する
Unknown (1kamakura)
2024-07-15 19:55:12
江戸の秋

神武寺はコロナ前に行きました。
浄光明寺の執事、古田土先生について行くツアーがありまして。
その時に五霊神社も行ったのです。

ナンジャモンジャの木を見たり、楼門をくぐったり。
楼門の天井に青龍、白虎、朱雀、玄武の絵が鮮やかに描かれていました。

山を登って、降りて。
ツアーのメンバーさん、70歳前後の方が多いのに、みなさん普通に山登りをされていてびっくり。
返信する
Unknown (えばら)
2024-07-15 19:46:50
これぞおちゃさん。
ありきたりの鎌倉紹介じゃないのでいつも楽しいです。神武寺って神々しいですね。おちゃさんがお書きのとおり、これが鎌倉市にあれば人が押し寄せそうです。

行基が創建したとされる、杉本寺さえ怪しいとの見解、同意します。そりゃそうでしょう。移動が大変な時代、田舎の鎌倉まで、平城京からわざわざ来て、それが立ちあがるのを見届けてたら、人生が終わる。

しかもこの逗子の山の中。行基がこの参道を作り、その上に神武寺が建ち上がるのを監修してたら、ずっとここにいなければならない。行基はもっと多忙なはずです。

そんなことは承知の上で客観的に観察、歩く。おちゃさんらしい投稿でした。それにしても美しいですね。鎌倉の数多くの寺より輝いてます。
返信する

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