大船へまずは向かいましょう。
ここは行合川の交差点。
そこから一挙に西へ!
そして途中で北へ。
大船駅が近くなると渋滞。
大船駅が目の前。
ここで用事を済ませたあと、ちょっと戻る。
常楽寺交差点。
中国僧の蘭渓道隆様が建長寺初代管長になる前にいらっしゃったお寺が常楽寺。
当時地獄谷とも呼ばれ、鎌倉の外の刑場だった北鎌倉からすぐの常楽寺にいたことが幸いして、北条時頼に依頼され、蘭渓道隆様が就いたポジションが初代建長寺管長だ。
そして建長寺は臨済宗最初の専門の道場となる。しかし蘭渓道隆様がそれで安泰だったかというとそうではなく、そのポジションは不安定だった。蘭渓道隆様は時頼にかなりヨイショしている。そして時頼がわざわざ中国から招いた別の高僧に、建長寺管長のポジションを譲ることにもなる。あとでまた蘭渓道隆様は建長寺に戻っているけどね。そのあたりは禅文化なんて冊子によく出て来る。あれは良い冊子だ。
砂押橋交差点。
砂押川は下流で柏尾川に合流する。柏尾川は豪雨の時にたびたびあふれたことで有名だ。だいたい砂押なんて名前自体が暴れそうな名前の川だよね。
目的地に到着した。
称名寺だ。鎌倉市今泉にあって、今泉不動とも言う。
リスがお出迎え。君たち、増えすぎなんだよ。
今や害獣扱い。
君たちに罪はないけどね。
なんて思っている私の心を察したか、どんどん遠くへ逃げて行く。
かなり広いお寺だよ。
空海が開山。真言宗で始まり、廃れ、浄土宗のお寺として再興。
この看板もいいんだけど、その後ろの崖がいいね。
鎌倉ではよく見る形だ。
振り返ると、お墓。その向こうにある白い建物が何かご存じですか?
あれは今泉のごみ処理センター。
今はもう燃焼はさせていない。ごみ持ち込みの中継基地になっている。
さあ、中へ進みましょう。
この参道が出来た時の記念碑。
お寺はなんでも石が好き。
六地蔵。半ダースだね。
ここは明るいお寺だ。
気持ちがいいところ。美しい谷にあるしね。
本堂が見えて来た。
下はまたお墓。
本堂を見る。
一心院と読むよ。
称名寺の別名だ。
浄財。ありがとうございますm(_ _)m
さらに奥へ。
右が「報」
左が「恩」
報恩。
恩に報いる。本当にそうだよね。それを忘れちゃいけない。
しかし迷信まがいなことを妙になんでも「ありがたや、ありがたや」と思うのもちょっと・・・頭がおかしくなりそう(笑)。
左側の柱の奉納主にはあまり関心がない。
問題は右の柱だ。
神戸市布引町!・・・なんで??
なぜ布引から奉納されたのか??
住職にお尋ねしたいことのひとつだ。
前川清の名唱、そして神戸をお聴きください♪
この柱の裏を見る。
大正5年11月25日に建てられたらしい。
それはどうでもいい。
「神戸市熊内 石工 時枝定太郎 謹朔」とある。
そう言えばてっぺんの像もどこか洋風な要素があるね。矜羯羅童子(こんがらどうじ )かな。
元神戸市民の私はめちゃくちゃ興味あり。
なぜにここに神戸市熊内の石工さんの製作であり神戸市布引町から奉納された柱があるのか?
JR新幹線の新神戸駅。
その裏は崖。
こんな山だ。
その下は清水が流れる。
街の中なのに、緑が多い。
山と海が迫る神戸は風光明媚。
そして街の近くまで清水が流れ出して来る。
Nunobiki. 明治時代から海外の船員に重宝された布引ウォーターだ。
神戸港に入った海外からの大型船がこの水をタンクいっぱいに積んで、また外へ出て行った。
なかなか腐らないおいしい水だ。
布引貯水池があり、そこから布引の滝を経て、新神戸駅の方へ流れてやがて神戸港に注ぐ流れ。
下の地図で見える街並が先ほど石工の人の住所にあった神戸市熊内ってところだ。
(1)ここは水つながりか?
と言うのは、この称名寺って鎌倉屈指の(笑)小さな滝があるのだ。鎌倉の水と神戸の布引の水。さて、どうかな?
(2)あるいは空海つながりか?
神戸の布引の近くには再度山という山があり、そこは称名寺の開山である空海に係る伝説がある。
私には不明。ご存じの方がいらっしゃれば、教えてください。
神戸って本当にいいわぁ~💛
風光明媚な条件をそろえている。
サンフランシスコ、長崎、ケープタウン、神戸、香港、鎌倉(笑、最後のはおまけ)。
みんな山と海が近い。
なんてことない場所だけれど、ここ(↓)は意味があるようだ。
コンクリートで周囲を全部わざと囲ってあり、向こうは階段にして持ち上げてある。
ここは豪雨の時に水量を調整する池なのだね。
ここから流れ出た水が砂押川となり、それがJR大船駅のホームの下を潜り抜けて柏尾川へ合流するが、それはあふれることで有名な川だ。
階段を上がる。
ここが納涼スポット。
涼しい眺めだ。
イイよね。
男の滝と女の滝。
鎌倉の滝。
小さいけれど、なんとも良いところ。
そして流れはどんどん右手へ。
では谷からまた境内へ戻りましょう。
こちらが弁天堂というらしい。
ここからが大変だ。
階段を登らないといけない。
でも美しい階段だよ。
すり減り朽ち果て苔が生えた、鎌倉らしい階段。
ここまでで半分。
あら、馬頭観音(↓の中央)まであるわ。
さらに上がる。蒸し暑いのに。
振り返ると急峻な階段、その向こうは先ほどの滝。
水が流れる音が聞こえる。
こちらが不動堂。
なんてことはない建物だ。
かなり新しい。
建物の右側。三十六童子がある。
その奥。
一番上にあるのが大日如来。
明治17年らしい。
でもこの建物ははるかに新しいと思われる。
この建物の左は斜面で、コンクリート擁壁が崩れを防いでいる。
下に本堂が見えるね。そこまで一気に下る斜面なのだ。
さて、また階段を下り帰りましょう。
いいお寺だった。
誰にも会わない。
神戸市の石工さん、さようなら。
元神戸市民の私としては、お名残り惜しい。
称名寺さん、ありがとうございました。
【つづく】